コラム9:人生の伴走者として、介護職やケアマネができること

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社会福祉法人公友会 介護支援専門員

田上 里佳さま

(JSP2期生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター)

福祉の世界に足を踏み入れて10年目になります。福祉系の学校を卒業した訳でもない転職組。介護保険が開始した後、特養の介護職員として福祉の仕事を始めました。

 

現在は、居宅介護支援事業所で介護支援専門員として勤務しています。

日々、高齢者の方々と関わる中、皆さま様々な感情の中にいます。認知症の方、癌で余命数ヶ月の方、伴侶を亡くされ悲しみの中に在る方など。様々な不安の中で生活しています。

 

「もうすぐお寺に行きたいのよ。早くお迎えが来ないかしら。生きてるのに疲れたわ。」

ケアマネに成り立ての頃、私は、「一生懸命助けてくれる家族が悲しみますよ。」と返答していました。でも、何と言ったら良いのだろう。力になりたいのになれない。どの様に寄り添って行けば良いのだろう…そんな不全感を感じていました。

 

そんな時、JSPを受講しました。介護職時代に小澤先生の講演は数回拝聴していましたが、ケアマネとなり異なる立場となりどの様に関わっていったら良いだろう。ケアマネのスタンスって?そんな疑問を抱いていた時期でした。

 

講座でロールプレイを繰返しました。反復するのをためらう様なつらい言葉。私は恐る恐る言葉にする。相手役は反復する。この繰返し。そして、穏やかに「そうなんです。」と答える私がいました。「そうなんです」には聴き手への気持ちが隠っていることに気付けました。気持ちを分かってくれたのですね。と、感じた。私はこの体験を忘れない様にしたい。と思いました。

 

ケアマネは看護師さんやヘルパーさんの様に直接ケアをする役割ではありません。ただ、時間を取り、話だけを聴くことはケアマネしか出来ません。

 

苦しみを一緒に味わうことなしにその方の人生の核に迫れない。建前でない本当の気持ちに触れることは出来ないと感じます。言いたくない方もいるかもしれない。でも、苦しみを吐き出したい方に取っては受け止められる器を持った人生の伴走者となりたいのです。

 

今後、独居の看取りケースも増えてくることでしょう。身寄りのない方、地域の方の協力を得、旅立つ方も増えていくことでしょう。地域ケア会議の検討内容も看取りに関したものにスイッチしていく可能性もあります。地域の方々からどの様に関わったら良いのでしょう。と聞かれることも想定されます。援助的コミュニケーションは地域まで広げる必要性があると考えています。

 

また、私達が関わる方々は、意思表示出来る方ばかりではありません。例え言葉がなくとも穏やかな表情で限りある時間を過ごしてほしい。認知症であっても、癌でも、非癌でも穏やかに旅立ちの時を迎えてほしいと思います。

 

私がエンドオブライフ・ケアを学びたいと思ったのは、介護職員時代の経験からです。

 

経管栄養の方でした。訪室すると、顔をしかめ額を叩いていました。何度も何度も。話せない方で手を握っても止めるのは一瞬だけでした。話しかけても苦しそうな表情が緩むことはありませんでした。結局、穏やかになることはなく、その方は天に召されました。何かもっと出来ることはなかったのだろうか。苦しんだまま送ってしまったことにずっと後悔していました。

 

今なら何と声をかけるだろうか。つらくて苦しいのですね。今の自分が嫌なのですねと話し、苦しみをキャッチしたい。そして、好きだったお花の話、歌を聞いてほしいです。それは距離が近い介護職だから出来ることと思います。1人の人間として、穏やかな最期の時を迎えるために医療職でなくても、介護職でも、専門職でなくとも出来ることがきっとある。

 

人は1人で生まれ、1人で旅立ちの時を迎えます。そして、生まれて来る時も旅立つ時も関われるのはわずかな一握りの人たち。人の一生でどれだけの方と出会うでしょうか。世界73億の中、日本人口1億2680万程度。その中で同じ時代に生まれ言葉を交わす人達は限られていることに気付きます。

 

関わりを持たせて頂いたことに感謝します。私は援助する側でも人生の大先輩から人生の教えを受け、大きなプレゼントを頂いています。限られた時間に出会えたからこそ、現在の私の最善を尽くそうと思うのです。

エンドオブライフ・ケア協会では、このような学び・気づきの機会となる研修やイベントを開催しております。活動を応援してくださる方は、よろしければこちらから会員登録をお願いします。

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