コラム Column


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コラム49:施設での看取り~n.r氏との関わりを通して私たちが学んだこと、成長したこと~


特別養護老人ホーム
看護師 佐々木あかりさま
(ELC第41回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士)

 

▷自己紹介

 私は特別養護老人ホームで看護師をしています。入所者150人を抱える大所帯です。ここ数年の間に、住み慣れたところで最期を迎えたいと、施設での看取りを希望される方が増えました。以前は調子が悪くなったら病院へという流れだったはずが、いつの間にか年間20人ほど施設でお見送りするようになっています。

 これまで看取りに慣れていなかったスタッフは戸惑います。「自然なかたちで」と言われても、臨床が長かった看護師(私も含め)は何もしないことに負い目を感じてしまいます。目に見えないケアは、ケアではないように感じがちですが、本当はそういうケアの方が最期を迎える方には大事だと内心はわかっています。

 自分の心の有り様を学び、看取りに不慣れなスタッフへも還元したいと思ってエンドオブライフ・ケア援助者養成基礎講座を受講しました。本ケースはその入学式を終えたばかりの私が関わった看取りです。

 

▷事例紹介

 n.rさん 70代女性 脳梗塞後遺症、心房細動、うつ病

 H25心原性脳塞栓症発症し、左片麻痺の残存、食事意欲の低下をきたしPEG造設後、当荘へ入所。既往のうつ病のため感情の起伏は激しく、攻撃的になったり悲観的になったり、センチメンタルになったり。職員へ唾を吐きかける、暴言を吐く、叩く等は日常。職員は、その強烈なキャラクターに入所当初度肝を抜かされたが、強烈さが新鮮であったこと、ツンデレ具合がたまらなく可愛らしく直ぐに彼女の虜になった。

 家族は夫と孫娘。孫娘は離婚して帰ってきた次男の子供。自分の子供同然に育てた。次男が事故で亡くなったことをきっかけに、うつ病が悪化。被害妄想、食欲低下等はその頃よりひどかった様。孫娘をみるようになってから、自身の長男、長女とは関係が複雑になったもようで、面会で本人の夫と子供達が揃うことは一度もなかった。

 昨年、11月発作性心房細動をおこし、状態が不安定となる。施設でできる治療には限界があったが、夫が病院での治療を希望されなかったため施設で看ることを決めた。徐々に施設での対症療法の奏効も乏しくなり、看取り期へと移行していった。

▷職員の葛藤

 職員みんなから愛されていたため、彼女が体調を崩した時には誰もが「病院で治療した方がいい。しんどいのはかわいそう」と考えた。発作性心房細動に対する薬は施設に十分にないため、入院して治療してほしいというのが職員の本音だった。ところが夫の希望は私たちの思いとは異なった。「現状よりADL回復がないのならできることをしてもらったのでよい」と言われた。職員は愕然とした。「あれだけ面会に来てくれて、奥さんのこと大事に思っているんだと思っていたのにがっかり」「治療すればよくなるかもしれないのに。しんどい姿を看ている私たちの思いとは違うのね」「それなら家で看たらいいのに」職員からのブーイングはすごかったように思う。

▷職員の気持ちがシフトしていったきっかけ

①援助者への支援、援助者間の情報共有

 私が「ここで看とるから。そういう家族の希望だから。」と介護員に伝えたところ、「ナースは亡くなる方をたくさんみてきたから怖くないかもしれないけれど、私は怖い。夜勤でフーフーいう患者を見たら不安になる。夜勤は介護員だけですよ。」と強い口調で言われた。以降、情報共有は特に注意して行った。冷静に見えるかもしれないが、私も決して慣れているわけではないことを伝えた。本人に起こる多量の発汗、呼吸苦、痰絡み等苦しそうな様子を看るときは焦るし、怖いと思うことも多いことを伝えた。それに、私自身も本当は治療してほしい。と今でも思っていると伝えた。そうすることで介護員は思いを表出できやすくなったのか、そう思いながらもナースはご主人の思いをサポートしようと看ていると思ってくれたのかどうか、具体的にどういうことが怖いのか、そのためにどう対応してあげればよいか聞いてくるようになった。また、うまくいったことを職員間で共有するようになってきた。「ナース、脈が速いと暑いんですね。汗をいっぱいかいて呼吸が苦しそうだったから、アイスノンをあててあげたんですよ。そうしたら少し楽になったのか、眠ってくれました」等、本人が穏やかになった瞬間やケアを自然と皆が口にするようになった。

②支離滅裂な会話の中にも夫や子供、孫の名前が必ずでてきたこと

 彼女の話はいつも支離滅裂であったが、「あなたお父さんが言い寄って来て迷惑しているって言っていたわ」とか「Kちゃんは心が優しい。あんたみたいに汚れてない。あんたハート持ってない。」と家族が必ず登場した。

③夫の本人への声掛け

 夫が面会に来ると手を差し出すくせに「何しにきた」と暴言を吐く。しかし夫は「会いに来たよ」と言う。すると本人がまた「なんで会いに来た」と暴言を吐くと、夫は決まって「愛しているからだろ」と優しく言う。その後、彼女の暴言のトーンが少し下がる。夫が帰るときには手を振る。

 また、「眠っているときは呼吸が楽そうだ。薬を使って眠る時間を増やすこともできるが、お話できない時間も増えてしまう」と説明した際、夫は安定剤の使用に即賛成した。以降、夫が面会時、彼女が眠っている時間は増えたが、彼女へ声を掛けたりはせず静かに手を握って面会を済ませていた。帰る際、職員に「今日は眠っているから声を掛けずに帰ります。楽そうでよかった。」と声を掛け、穏やかな表情で会釈をしていた。

④彼女が家族から愛され彼女自身も家族に絶対的な信頼を寄せていると感じた事

 真面目で何事にも一生懸命であったこと。もともと心臓が悪かったが、子育てや孫の親代わりを頑張ったこと。次男に先立たれてもなお頑張ったこと。孫娘を育てるようになり、自身の子供たちは行き来が減っていったけれど一生懸命に頑張る姿を家族みんなが好きだったと夫から聞いた。
 床頭台においてある長女からのプレゼントには「ママ愛してる」と書いてあった。

 「支えになりたい」という思いは職員誰もが持っていたのに悲観的な言葉や消極的なケアにフォーカスしてしまい「みんな看取りは嫌なんだな」と思い違いをしていた。私自身も実は怖いとか難しいという感情をもっていたが、実際看取りケアでは、そのような思いを出してはいけないように思っていた。しかし、職員間では出した方がケアがうまくいくことに気付いた。看取りは苦手だと思っている仲間は支えになる。同じ思いでいる仲間を見つけると心強い。怖いからこそ慎重に丁寧になり、怖いからこそ知恵を出し合った。「支えになろうとする人こそ支えを必要としている」をまさに体感した。

 そして、支えを見つけた仲間は強い。それ以降は、とにかく愛溢れるn.r氏家族のやり取りを目の当たりにし、「夫の決定をサポートしていこう」と職員の気持ちは自然とシフトしていったように思う。

▷その他の関わり

 看取り期になるまで比較的安定して当荘で3年を過ごされた。前述したように愛されキャラだった彼女の周りには、自然と人が集まりよい関わりができていたように思う。「私は皇室の人間なんだから」とよく皇室の話をしていたが、刊誌の皇室記事を本人と一緒に見たり、部屋に掲示。愛媛国体で皇族の方が順に来松された際は、テレビ中継を見たり、翌日の新聞記事を見たりとスタッフが進んで動いた。よく口ずさんでいた歌を一緒に歌ったり、YouTubeで流したりした。会話から情報を得た彼女の出身校を、ネットで調べ映像を見てもらった。自然とバレー部だったこと。通学バスの車掌さんのことを好きだったこと。そのことはご主人にも内緒であること。にまで話がひろがった。

▷男性スタッフの活躍

 今回のケアでは男性スタッフが大いに活躍した。男同士話しやすいという事もあったのか、「自分も調子が悪くて今度入院する」とか「あまり来れなくなって申し訳ない」等、これまでの本人の歩みはもちろん夫自身の体調のことにも話は拡がり相談を受けることもあったそうだ。担当外の男性看護師は私以上に情報を持っていて妬けるほどだった。「妻が眠っているので声はかけずに帰るよ」と言いつつも、男性スタッフとは長話をする様子をたびたび見かけた。男性スタッフ等は夫にとっての「苦しみをわかってくれる人」として選ばれていたように思う。

▷事例を通して

 特に援助者への支援を意識して臨んだわけではなかったが、自然と①のような関わりの流れとなった。結果、スタッフがお互いを支えと意識し良いチームケアに導けたことは幸いだった。改めて振り返り「支えになろうとする人こそ支えを必要としている」ってこういうこと!と気付けた。4月の異動でメンバーが入れ替わり、初めての看取りケースだった。初めは足並みがそろわず、職員それぞれの彼女への思いもあり、ご主人の思いをサポートしようとなるまでに時間を要したが「サポートしよう」と決めた後の私たちは強かったように思う。

 「亡くなる前日まで入浴する」という試みはこの事例まで一度もなかったことだが、お嫁に行った孫が誕生日に着せてほしいと送ってくれた花柄の服を「きれいな体に着せてあげたい」と多くのスタッフで入浴介助にあたった。高リスク状態の中で入浴することについて、疑問を呈する者はおらず、自然とそのような流れになったことは今後関わるエンドオブライフで大きな成果につながる経験になったと思う。

 私は、このケースにおいて夫の本人に対する愛情、本人の家族に対する愛情があまりにも深いことを強く意識付けさせられ、愛情が深いことを知れば知るほど、夫に妻の死が近いことを伝えることが苦しくて仕方なかった。本当の穏やかな最期には、「看護師」なんていう専門性は役に立たないということを思い知らされた。私のエンドオブライフ・ケアはまだまだだ。まさに「支えになろうとする人こそ支えを必要としている」これだ。

 今回多くのスタッフに助けられ、感謝しています。

 n・rさんは77歳の誕生日の2日前に亡くなった。夫が検査入院を終え自宅に戻ったわずか2日後だった。5日後は夫の胆のう手術と知っていたのだろうか、最期まで愛に溢れる人だと感じた。葬儀には、子供たち全員が揃い、喪主は長男が務めたそうだ。最後、夫がキスをしてお別れしたと葬儀に参列した相談員より担当スタッフに報告があった。


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