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コラム55:生涯教育者として


 このコラムは、ディグニティ・セラピーの一環として、ご本人が大切にしてきたこと・伝えたいことを口頭で伺い、ご本人の言葉を活かした形で記録・編集したものを、後日ご家族とともにご本人に確認していただいたものです。子どもたちをはじめとして、次の世代へ伝えるメッセージとして、ペンネームで掲載することをご承諾いただきました。

 

生涯教育者として

 人生において、様々な役割を担ってきましたが、生涯変わらないことは、教育者であるということです。大切にしてきたそれぞれの役割を、思い出とともに振り返ってみたいと思います。

 

●教員として:家内と二人で守ってきた、子どもには嘘をつかないということ

 私が先生になったときの気持ちとしては、子どもには嘘をつかない。子どもを大事にする。子どもの家族を大事にする。この3つだけはなんとしても守りたい、そういう主義できました。結婚してうちの家内をもらったときに、今度は二人でこの言葉を守るんだって。

 他の校風がどうか知りませんけど、大抵の人はそうだろうとは思っていました。ですから、子どもの名前も性格も成績も、子どもにまつわるいろんなことを、うちの家内と共通認識としてきたんです。特に私がいなくても、私のクラスが、中身がまわるように。このために私が、何べん助けられたかわかりません。

 クラスの行事を、必ず子どもたちにも話をして、うちにたびたび遊びに連れてきては、うちの家内や子どもと一緒に交流する。だから、うちの家内には、負担が大きかっただろうと思います。

 うちの家内は、嘘のつけない人。隠したことがすぐ顔に出てくる。だから自分は家内に警戒したり、疑ったり、そういうことは、この60年間、全然ありませんでしたね。天皇陛下が美智子さんを信じたとおり。天皇陛下と美智子さんと、私たちは同じ歳。お二人の次の年に結婚しました。

 平教員として:子どもたちと和気藹々と過ごした我が家での時間

  まだ平教員というか、役職がないとき、結婚したころのことです。そのころから、子どもたちを自分の家に呼んで、夏休みのキャンプとか、子どもに枕と毛布1枚持たせて、時々泊まりばんこしたものです。クラスのほとんど、30人一度に遊びにきます。

  あのころのうちは、16畳くらいの大きな家でしたから、それだけで子どもはびっくりします。天井は高いし、天井までは暗いし、汚いし、くもの巣は張ってるし、家の中をねずみが這い回ってるし、川は流れているし、とんでもない。まあ、今の都会生活をしている子どもたちには想像のできない一般家庭です。そういうのが普通、一般なんです。

 そして女の子たちには、うちの家内と一緒に夕食を作ってもらったりする。火をたいたり、カレーを作ったり。そういう簡単なものを一緒に。あと、夕方ごろには一緒に畑に行って、できたキャベツとか大根を抜いて。一本ずつ、うちに運んでもらったり。これが、喜ぶんだねえ。

  夜はいろんな話をしたり、物語をしたり、夢を語り合ったり、そうやって、10時ごろ、一緒に寝ます。数人の親も見守って、子どもは夜遊びしません。だから、私自身も、幸せだったわけです。親に囲まれて、信じられて、親もその活動ぶりを夜中に見ていくんです。

 幸せなことに、平教員のときと、管理職のときが、だぶって、同じ学校に勤められたから、いいことも、悪いことも、みな教えられるんです。だから、私のクラスは和気藹々しすぎて、校長にしかられたりもしました。

  5年生6年生、感受性が豊かな時期ですから。嫌われたら終わりです。

 でも、受け持ってしまうと、どんな子もいい子なんですよ。

 

娘たちの父親として:学校での対応に娘から学ぶ

 逆に言うと、私が勤めていたのと同じ学校に通っていた自分の娘たちが、「お父さん構ってくれないの?」って。かわいそうだった。ついつい、毎日一緒に過ごしているから。

 全体集会のときに、いろんな表彰がありますよね。作文で入選した、絵で入選した、なんやかんやで活躍した、と。その読み上げる役が私のときもあるわけです。私は娘に、「こんなんでいいのかなあ」と思いながら、呼び捨てで呼んだ。うちへ帰ってから娘に叱られました。なんで、よその生徒を、「さん」「くん」つけて呼んでいるのに、自分の娘に「さん」「くん」つけないんだって。これには、ぎゃふんとしました。Aさん、Bさん、って、呼んでやれば、普通なわけです。名前をすっぺらかす*ことは、逆に子どもに大きな反応を見せるわけですから。これは、娘に教育されました。

*ご本人補足:表面だけを見て、その人の性格など、中身を判断すること。重んじないこと。

  私の担任がそのころ5-6年で、長女は3-4年です。一番過敏な時代ですから、そう言われるのは当たりまえ。ほんとに、ダメだったなあと思います。そういうことを、ずーっと、悔やみました。

  でも、ちゃんと言える娘に育てたこと、うれしかったです。これがうれしかったです。

 娘2人ともあっけらかんとして、いい娘です。

 

 校長として:忘れられない出来事が、もっと子どもたちと触れ合うきっかけに

  私、普通一般の教員のときと、教員に毛がはえた、業務主任っていう役割の時代、その上の教頭という役割とその上の校長という役割、それぞれ重みも深みも持ち回りの仕事、全部違うんです。それをわきまえていないと、相手を不幸にしたり悲しませたりしますよね。

 学校教育ですから、校長という役割が一番重いですね。すべてに、すべてに責任があります。

 私自身、一番不幸だったことは、現職中に、自分の子どもを亡くしたことです。校長になって初めのころ、51歳のことです。校長っていうのは、担任はありませんけど、100人なら100人、全部担任です。その担任の子どもを、自分が出張と重なって留守のとき、6月のはじめに、校内水泳大会っていう一番危険で事故の起きやすい、その行事の最中、出張していて、子どもを見てやることができなかった。その渦中にいたとしても、助けられたかどうかはわかりません。突発性事故っていう名前を頂戴しました。水泳大会を目前にして、その前の週の日曜日、川原で担任の先生と6年生の子どもたち35名が川遊びをした。その川遊びの体験が事故につながった。私もわからなかったんですが、担任の先生が泣きながら言うことは、「誰がこの川の流れにそって、死んだふりをする人か、お前か?」という遊びをしたんだなあ。そんときに、一番上手な遊びをした子どもが、踏み台から、ぽーんと水面に飛び降りて、あとは、ずーっとみんなに声をかけられるまで、ほんとに死んだ名人をしたわけです。みんなふり返ってみたって、それは遊びの延長だと思っていた。長過ぎると思って声をかけたとき、もう死んでいた。ちょうどお昼の時間で学校から電話が入って、すぐに学校に戻りました。亡くなっていました。これはきっと死ぬまで心から離れない。

 そのことがあって、もっと子どもをよく見ておかなくちゃならない、子どもの表情とか名前とか動きとか、そういった、あまり校長なんていう立場と関わりのない、中身にも気をつけなくてはならないと思いました。

 それで、もっともっと子どもと触れ合う機会がないかと考えて、詩の暗誦をはじめました。詩を何十編も挙げたノートをつくらせて、そのうちの一編を暗記させて、完全に暗記したら、いつでもどこでも、校長室に来てもいいし、廊下でもいいし、お手洗いでもいいし、目の前に校長を見つけたら、「校長先生!覚えました!」って声をかけて、その覚えた一章節を、ちゃんと、言ってちょうだいって。そして、言ったら今度、私のほうでは、合格っていう、おもしろいスタンプをつくって、金ぴかのシールを貼って。これはおもしろかったですね。

 そしたら、あるとき町内会の老人会に呼ばれて、老人クラブのお祝いに行ったんですよ。公民館とかそういうところでやるわけですよ。近づいていったら、子どもの声ではない、じいさんばあさんの声で、詩の朗読が聞こえてきたんですよ。「なんじゃこりゃ!」と思って、黙って聴いていましたら、ノートに書き写した、ある詩の一編が、じいさんばあさんで、声をそろえて、一生懸命、暗誦している。

 じいさんばあさん、自分の孫に聞かれたときに、答えられるように、一生懸命。「これは、なんちゅう教育なんじゃ!」と、俺も困ってしまって!

 そしたら、隣の学校と交流会があって、その学校の先生から、「校長先生、こういうことあったそうですね」って、聞かれたんです。「え!なんで知ってるの?」って言ったら、「うちのばあちゃん、聞いてきた」って。その先生に惚れられて困っちゃった。

 こんなことになるとは思っていませんでした。

 この学校って、私の来る3年ほど前までは、市から指定をもらって、おじいちゃん、おばあちゃん、親を含めた、学校教育の家庭教育っていう、そういう題名をもらって研究した学校だったんです。

 それで、行ってはじめてびっくりしたのは、なんぼ数えても、150人しかいないはずの父兄が、50人も多いんですよ。教頭先生に「親の数多いんでないか?」って聞いたら、「だべ、校長先生、私もびっくりしてんだけど、ここの父兄は、じいさんばあさん、みな来る」って。「そういう学校なんだよ」って。「わー、こんな素敵な学校って、あっかい?」って。だから、各学年で、畑を作ったんですが、その畑も、見事に、子どもの手では作れないような畑になっているんですよ。それが、孫が学校に行っている間、じいさんばあさんが畑に作りに行っているんですよ。

 まいったまいった、でした。いやあ、いい学校でした。

 

●不登校の指導員として:肩を並べて、子どもの「好き」と「自律」を見守る

 学校を引退した後は、市の教育委員会からの委託で、不登校の子どもの指導員をしていました。校長をやっていたことは関係なくて、5年間フリーの指導員としてやりました。

 魚釣りが好きな子どもなら、その子どもと一緒に魚を釣りに行く。朝早くから夕方まで、一緒に付き合ったりする。逆にこっちが楽しませてもらいました。とっても楽しい、釣り仕事。魚を探すことと、釣り上げること。その葛藤が、おもしろいんですね。私と子ども二人して、どのくらい釣れるか競争して。私のほうが、知識があります。魚の習性を知っているとか。子どもは釣りをやっと覚えたばかりですから。その子どもは釣ることだけが目的だったらしくて、魚をいろんな形に処分したり、食べたりすることに抵抗を感じてましたね。

 中学生6人ほど手元に置いて、6人の子どもと一緒に魚釣りをする。他の子どもたちとどう付き合っていくかを知る。それをあえて、朝早くから夕方ちょっと遅くまで。早く起きることが、なかなかできません。それなら、そこの子どもの家のまわりにいて、目覚めるのを待ってあげるほかない。私もつらかったけど、朝早―く行って、何時ごろ起きんのかなって。だいたい6時ごろ、いやもっと遅いなあって、朝起きる時間の予想を立てて行ってみる。5時に起きられる、6時に起きられると言いながら、実際に起きられるのは9時。もう、私からしてみると3時間もロスがあって。でも、これは子どもと約束した時間ではなく、私が勝手に決めた時間。それに、勝手について行こうと人が勝手に予定を立てているわけですから、仕方ありません。だから、「3時間半も前から待ってたよ」、とか、「寝坊だな」とか、「もっと早く起きられるじゃないか」、など、そういう合図はしません。

 どこのうちでも共通していることは、庭でも畑でも、そういう子どものうちのほうが、ずーーーっと普通の子どもの家よりもきれいだったこと。これには参りました。常識としては、汚い、草だらけの庭だろうと思っていたら、そこの家のお母さんというのは、働き者。自分が働いて、その姿を子どもに見せない、というのが口癖でした。お母さんがまともだったんです。行った隙に2階から学校の荷物がぼーんぼーんっておろされて、じゃあいくぞーって声をかけて行くような状態ではない。ちゃんと整えてあげて、服装も、持っていくものも、靴も身支度も、全部お母さんがしてあげて、釣堀までいきます。

 釣堀は、学校から考えると、遠い場所にありますから、勝手な想像でくっついていくと、虫や蚊に食われて、痛い目にあいます。だから、母親は、蚊取り線香であったり、瞬間殺虫剤であったり、自分にできる範囲でいろんな虫予防をしてくるわけです。本人は釣りたいと思うだけで、何も準備しないわけです。だから、池に行ってはじめて、虫除けが必要だ、魚とりの道具が必要だって。感じないんだな。釣れる、おもしろい、たのしい、それだけ。なぜか、自分で何にもしない。釣るぞーっていう気持ちが強いからな。ある程度の不登校の子どもって、釣り道具を用意するとか、そういう用意をちゃんとしてから、行くぞってなるんだけども、そうでない子がたくさんいました。

 だから、同じ「釣るぞ」にしても、その子どもその子どもの性格がわかります。で、これは、子どものしつけと関わるわけ。だから、きちっとメモまでして、子どももちゃんと、きちっとしているお母さんというのは、少ないんですよね。お母さんによって、「お母さん、どういう準備して、これこれどうなんだ?」って、そういうことを聞いてやって、「あれは全部お母さんがするんでなくて、お母さんは口を出していいから、一回は子どもに準備させる。そこまでいかないと、このうちぶっ壊れるよ」って。

 お母さんがなんでもやってくれる。それに気づかない。過保護だって子どもは気づかない。

 それが、一つずつ自分で自分のことができるようになっていくと、学校にも行けるようになっていく。だいたい、ふた月くらいで変わりますね。これは不思議でした。

 相談員4人おりましたが、4人で打ち合わせをして、子どもにはそれぞれ性格がありますから、性格を4人とも理解しあって、「どこが足りない?」、「何が足りない?」、「どうしたらいい?」、「終わったらどうするといい?」、そういうことまで詳しく話し合っておかないと、ただのおせっかいで終わってしまう。だから、おせっかいをおせっかいではなくて、指導教員の指導としていかないと、私たち仕事がなくなっちゃうわけ。だから、4人の先生方が自覚しながら、何だかんだと準備に時間をとって、用意をします。これが私たちの仕事ですから。この打ち合わせが大事。

 どの子も好き嫌いってありますから。指導員としては、好き嫌いをいち早く見つけてやることでしょうね。従わない遊びを勝手にこっちで設定して、「さあ活動しろ」、「遊べ」、「学校来い」、って言ったって来ません。そういうときには、その子のうちに入り込んで、住んでいる場所、日ごろしている遊び、そんなことを、肩並べて2人で直接的に話を聞きながら、そうこうしているうちに、子どもは自分の教材が入ったかばんを、ぶったり、ぶんなげたり、足で蹴ったり、ということがなくなってきます。大事そうに、愛おしそうに、その教材を持つ、腰に抱える、胸に持つ。そういうことが出てきたころには、不登校の半分はなくなります。

 不登校なんてのは、全然言う必要なし。だって、自然と自分の口から不登校なんて言わなくなります。だから、県に不登校児の活動を活発にできるように、子どもたちの経験が豊かになるように、いろんな図書館とか、子どもたちが入りやすいように、ただで動けるようにしてもらいました。わざわざ駅まで自分で来て、自分で歩いて図書館に行ったり、博物館に行ったり、そこの入口で集合にしました。そこの前に来るまでは、かなりの勇気や自信がないと動けません。わざと、よその地域の先生方とやりました。我々は交友会議に行って、月にいっぺんかふた月にいっぺん会議をしますから、顔見知り。子どもの顔も、写真やなんかで見てますから、一応知っています。で、わざと時間を遅らせて集合したり、場所を変えて集合したり、ひそかに相手を探らせる研究をそこでしてみたり、嫌がらないか、どういう反応を示すか。でも、そんなことはひとことも言ってませんから、人が来るもんだとは思ってなかったそうです。これこれ、こういうわけで会うことにしたんだよ、なんて知らないまま。でも、知ったり知られたり、探ったり探られたり、そういうことって、子どもらは気にする。 

 その図書館で勉強したら、今度はまちの本屋さんに行くんです。まちの本屋さんでも時間をずらして、よその子の本屋さんでの動きをお互いに見せあうわけ。人それぞれですから、一箇所にたたずんでじーって動かない子。まるで警戒するような子。本屋さんのまわりをじろりじろりじろりと眺め回して、自分の気持ちと闘っているような子もいるし。早くこの時間終わらないかなあっていうような、時間で待っている子もいるし。とっても、たのしくて、たのしくて、本屋さんを一生懸命走り回って、本当に堪能している子どももいるわけです。子どもって、一概に言えない。何にも興味示さなかった子どもが本屋のなか、小走りで、ずっと見たい本や買いたい本を探しているときの活き活きした姿を見ると、来てよかった!という感じがしましたね。

 子どもたちが不登校になってしまう原因は、縛りつけですね。親も教師も担任も。それから、子どもってこうあるべきだという先生勝手の呪縛があるわけだ。子どもだからこうする、不登校だからこうなる、そういう見方で見てしまうと、いっぺんそういうクラスに陥ってしまうと、なかなか逃げ切れません。

 

生涯教育者として:大人が率先垂範

 「小さな親切」の会の活動として、引退した後も学校に行きました。

 「小さな親切」八か条に挙げたことを率先してできるように働きかけたり、この運動の一つひとつを具体的に取り上げて、子どもたちや我々理事が見本を示したりする。それから、ポスターを描いていただいて、ポスターの審査をして、学校の会場を借りて優秀なポスターの展示をする。それから、年に1回の集いに子どもたちを呼んで、公開でいろんな劇をしたり、小さな親切の活動を訴えたり。おえらいひとを呼んで講演をしたり、ちょっとした寸劇をしたりする。

 私は、「おしょうしな~(ありがとう)」という言葉をよく用います。これは地域では誰もが知っている言葉。しょっちゅうそういう言葉が飛び交いますね。

 特に人間関係で、まずは大人が使えること。結局、子どものお手本は大人です。大人が恥ずかしくて言えない。苦しくて言えない。そういう状況だと子どもに使えない。

 月に何べんか各学校を訪問します。「どんな楽しいことありますか?」とか、「人の親切に関わるどんな行事がありますか?」とか、聞きに行きますと、もう、はるかかなたから、我々を見つけて、「おはようございまーーーす!」「こんにちはーーー!」「今日はおしょうしなーーー!」とかって言ってくる学校と、聞いても、引いてしまったように、しーーーーんとしている学校とがあるわけですよ。

 でも、みんな変わります。だんだん、付き合っていくうちに、変わってきます。相手を信じることでしょうね。

 

これから社会に出て行く子どもたちに向けて:自分を信じること

 私たちが教員のころは、教員も子どもも信じあっていましたから、今のような難しい、親対教員、子ども対教員、そういったトラブルは、ほとんどありませんでした。

 実に極楽泰平でした。今のような状況の教育界になったのはどうしてかなあと思いますけども、私たちはすごく幸せな時代を過ごしていました。

 子どもたちには、もっと自分を信じなさいって伝えたい。自分を信じないで誰を信じるんでしょう。自分を信じて。

 言い訳ばっかり考えないで。もっと堂々と、誇らしく子どもらしく、間違いも、みなありなんだから。間違いもたまにないと。ただ、間違いのなかにも、いい間違いと悪い間違いがあるんでしょうから、それを自分でちゃんと納得するように、考えて、みんなが大事にすることです。

 「小さな親切」の会の活動には、その精神が含まれています。

 

「小さな親切」八か条

1.朝夕のあいさつをかならずしましょう。

2.はっきりした声で返事をしましょう。

3.他人からの親切を心からうけ入れ、「ありがとう」といいましょう。

4.人から 「ありがとう」といわれたら、「どういたしまして」と言いましょう。

5.紙くずなどをやたらにすてないようにしましょう。

6.電車やバスの中でお年よりや、赤ちゃんをだいたおかあさんには席をゆずりましょう。

7.人が困っているのを見たら、手伝ってあげましょう。

8.他人のめいわくになることはやめましょう。

 

2019年4月16日
望月草也


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