エンドオブライフ・ケア協会
小澤 竹俊
新型コロナウイルスの影響は甚大です。医療機関への負担増大だけではなく、イベント中止に伴う人物金の停滞、インバウンドへの悪影響など、社会への影響は東日本大震災に匹敵するのではないかと案じています。その思いを一言で言えば“不条理”です。
何年もかけて準備していたイベントを中止しなくてはいけない思い、楽しみにしていた企画を断念するだけではありません。定期的な集会で資金を得ながら活動していた団体や企業は、活動を継続できなくなる可能性もあります。
なぜこの時期に…、
どうして新興感染症が日本に…、
特にこれからオリンピックを控えて、大会関係者をはじめ、多くの人が、きわめて不条理な思いの中にいるのではと案じます。
このような時だからこそ、あらためて私たちの人生の困難や危機との向き合い方が問われます。そこで、アルベール・カミュの「ペスト」を読みなおしています。以前100分DE名著で紹介されたとき、気になっていたのですが、改めて読み直して、不条理な今を生きていく上で、カミュのメッセージが心に響きます。
何回かにわけて、気になっていることを紹介したいと思いますが、小説ペストを読みながら、ペストという言葉を新型コロナウイルスとして読むことできれば、不条理な苦しみとして、病気、老い、親の介護、引きこもり、いじめなどとして読むことも可能です。
さて小説では、アフリカ・アルジェの街オランを舞台にペストが発生し、多数の死者が出たため封鎖されてしまいます。(まるで中国の武漢みたいですが…)。その中で、医師のリウーは、多くの人が亡くなっていく厳しい現実の中で、いろいろな人との出会いから多くの示唆に富む対話が生まれてきます。
看取りという不条理の現場に身を置く医師として、解決できる苦しみには最善を尽くします。痛みを和らげることや、希望の場所で過ごせる配慮、尊厳を守るケアなどです。しかし、どれほど最善を尽くしても残り続ける苦しみがあります。
それは、死にたくない思い、家族に迷惑をかけたくない苦しみ、1つひとつできなくなっていく悲しみ等です。
今の新型コロナウイルスの報道の多くは、解決できることの対応です。これは、これで大切です。しかし、解決できない不条理な苦しみとどのように向き合うのか、そのような報道はほとんどありません。あらためて、この不条理な今を生きていくことの意味を、探りたいと思います。(つづく)
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