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<不条理な今を生きていくこと その2:不条理を認めたくない思い>


 新型コロナウイルスのため、さまざまな行事が中止となり、経済がさらに停滞していこうとしています。先行きが見えない不透明な思いを抱えながら、この不条理な思いとどのように向き合うのか、アルベール・カミュの小説「ペスト」を読みなおしています。

 一般的ですが、私たちは不条理な苦しみを認めようとしません。そのような事実はないと否認しようとします。

 不条理な苦しみの代表例は、がん(癌)です。健康診断などで疑いがあっても、“これは何かの間違いに違いない”と認めようとしません。私が病気になるはずがない、こんな馬鹿げた話はない。まだこの家族を養っていかなくてはいけない。その私が病気になってよいはずかない。

 小説ペストの前半では、ペストの公表にためらう行政・医師の姿が描かれています。

 

医師会長リシャールと予防措置を提言する医師リウーと知事の会話

「ほんとうのところ、君の考えをいってくれたまえ。君はこれがペストだと、はっきり核心をもってるのですか」
「そいつは問題の設定が間違っていますよ。これは語彙の問題じゃないんです。時間の問題です」
「君の考えは」と知事はいった。「つまり、たとえこれがペストでなくても、ペストの際に指定される予防措置をやはり適用するべきだ、というわけですね」
「どうしても私の考えを、とおっしゃるんでしたら、いかにもそれが私の考えです」

医者たちは相談し合い、リシャールが最後にこういった
「つまりわれわれは、この病があたかもペストであるかのごとくふるまうという責任を負わなければならぬわけです」
この言い回しは熱烈な賛意を持って迎えられた。

 

 このあとリウーは、皮肉を言って対話は終わります。

 悪いことを認めようとせず、あたかもないように振る舞うことがあります。そのように動いてしまう気持ちを、人が判断を下す際の、非合理的な思考の枠組みと解き明かした行動経済学を用いて解説してみたいと思います。

 

 今は、まだみんなが平和であり、誰もまだ病気が発症していないように見える状況で、イベントを中止したくない思いを、行動経済学では「損失回避」と言います。

 まだ該当地域には感染報告がないから、今まで苦労して準備してきたイベントを中止したくないという思いは、当然なことです。しかし、実際には、厳しい判断をしないといけません。

 では、このような不条理な苦しみと向き合う為には、どのように考えていったらよいのでしょう。(つづく

(小澤 竹俊)


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