【イベント】いのちの授業~認知症とともに生きる~(第202回 浜田努さん)

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 2024年6月19日、エンドオブライフ・ケア協会理事、きいれ浜田クリニック院長の浜田努さん進行のもと、認知症当事者の方とともに開発中の「いのちの授業~認知症とともに生きる~(仮称)」をもとに、問いを立て、ご参加のみなさまと対話の機会といたしました。

 

 ご参加のみなさまからいただきましたお声です。

 

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・これまで認知症の方への支援は病態を知って、アプローチを検討することだと考えていました。でも今日の授業をうけて、認知症の方であっても反復や沈黙、わかってくれる人の存在があるとたとえ病気が治らなくても、穏やかに過ごせる可能性を感じました。

 

・医療者は相手に何かをしてあげなくてはという視点を持ちがちですが、あくまでも相手がどうしたいのか耳を傾けることが重要だと感じました。実際に認知症を持つ方、家族の方からなぜ苦しんでいるのかを聞けたのはとても良い経験になりました。

 

・グループに分かれてご本人とそのご家族の想いを想像しながら色々な想像力を働かせて話し合いました。想像力は相手を想う上でとても大切としながらも、想像だけで決めつけずきちんと「聴く」ということの大切さを再認識もしました。

 

・皆様の意見から次々と思い出される光景があり、とても学び深い時間でした

 

・グループワークで、皆さんの意見を聞きながら、自分ごととして、深く考えることが出来ました。

 

・以前子供たちに向けたいのちの授業を子供たちと一緒に参加させていただきました。改めてこのユニバーサルホスピスマインドがどんな分野でもぴったり説明ができることに感動しました。私ももっと勉強して、深めて、人に伝えていけるようになりたいです。


・子供向けとは違った内容ですが、すんなりと理解できました。認知症のおじいさんおばあさんがいる子供にも、あるいは先入観や偏見なく接することができるように感じる子供から実践できる世の中になったらいいなと思いました。

 

・私自身の幼いころの切ない思いでが蘇りました。かれこれ40年ほど前、私の祖母が認知症になった時の思い出でした。その頃は、今よりもっと本人から「できること」を奪い、閉じこめていたように思い出します。私にはなんら変わらない祖母なのに、周りの変化と、祖母の悲しそうな姿が忘れられません。あの時、この授業を見ていたら、私は大好きな祖母の側に変わらずいられたのではないかと。この授業は、あの時の私に聞かせたいと思いました。そう、あの頃の私と同じ世代の子どもたちに届けらたら温かい社会になるのではないかと思いました。

 

・講師が一方的に教える、という形ではない「いのちの授業」の在り方が、イントロで感じられることで「この人と自分も一緒に考えたい」という気持ちが湧き上がってくるのを感じました。完璧な人間など居なくて、過ちや苦い経験を今に繋げる・・・まさに「苦しんだからこそ見えるもの、見えてくるもの、目指すものがある」という所につながる気がしました。

 

・今日のこの日を待っていました。自分に偏見があることを話せる場をつくっていただいてありがとうございました。私の場合『私のなかに偏見がある』ことを認識することから、覆ることで毎回発見があり、それを伝えることで、周りの見方が少し変われば、それを積み重ねれば、認知症とともに生きやすくなるのかなと思っています。支える人にこそ支えが必要、これはご家族に必要なこと。ここも大事にすることで、ご家族がご本人を大事にしてくれることにつながるといいなと思います。やさしさ・あたたかさの連鎖をELCからまた広がってほしいと思っています。

 

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ご参加のみなさま、ありがとうございました。
次回も第三火曜日19時からお待ちしております。

 

●第203回
マザーテレサ「死を待つ人の家」で学んだこと:
誰からも必要とされていないと感じていた人が
生まれてきてよかったと思えるには(片柳弘史さん)

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#ユニバーサルホスピスマインド
#エンドオブライフ・ケア

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