コラム16:いい人生だったと人生を終(しま)うために エンドオブライフ・ケアを地域に広めたい

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医療法人橘会 訪問看護ステーションたちばな 所長
丹後ゆかりさま(ELC3回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター

私は大阪市東住吉区で今年設立20年を迎えた訪問看護ステーションに勤務しています。

1990年頃病院での看取りの際に言われる「全力を尽くしましたが残念でした」という言葉に矛盾を感じ、訪問看護の世界へ飛び込みました。在宅看護は人生の最終段階となっても、人生のドラマの中にある、それまで生きてきた力、最期まで生きる力を信じる看護です。その過程にある最期では、「人生おつかれさまでした、ありがとうございました」と言ってお別れすることができ、多くのことを学ばせていただきます。

1年前、エンドオブライフ・ケア協会の設立記念シンポジウムに参加しました。協会の主旨は私自身が長年訪問看護を実践する中で感じていたものと同じであり、「ぜひ講座を受講したい!」「そしてこれを広めたい」と大阪での初開催を心待ちにしていました。そして10月にエンドオブライフ・ケア援助者養成基礎講座第3回に地域の様々な職種の人たちと共に参加しました。その後の講座にも地域から多様な職種が参加しています。

講座を受講した時に、担当させていただいている、とある患者さんのことを思い出しました。当訪問看護ステーション開設当時から訪問看護をご利用のK氏は、40歳代の時に脳幹部脳梗塞を発症、四肢麻痺、気管切開の状態で奥様の介護を受け、今も在宅で生活しています。体を動かせず、食べられず、話せず瞬きでの会話。意識が回復し意思を伝えられるようになった時に発した言葉は「死なせてくれ」。介護保険のない時代の在宅介護で、奥様の支えは、医師が“話を聴いてくれたこと”でした。そしてベッド上で過ごすこと30年、苦しみの中に支えを見出し、今では、夫として、父として、おじいちゃんとして、私たち訪れる者にとっては“生きる”こと、“あたりまえに感謝する”ことを考えさせてくださる存在です。多くの役割を果たすK氏は、「今が満足」と大きな口を開けて笑っています。講座で学んだことにより、K氏が長年かけて今思えることを、人生の最終段階の支援で、しいてはたった1回の出会いでも伝えられる可能性を感じています。

講座受講後は、地域の多職種で「苦しんでいる人は苦しみをわかってくれる人がいるとうれしい」を共通言語として援助を実践。これまで在宅での最期は考えにくかった方、考えたことがない方への支援が、本人家族にとっても、支える職種にとっても、穏やかになっています。人生の最終段階では身体機能は衰え、いずれ“死”を迎えることは避けられませんが、それまでの人生を回想し(ディグニティセラピーの問いかけはいいですね)、家族、支援者で語る時間を持てると、穏やかな表情、嬉しそうに人生を振り返る場面と出会えます。今までできていたことができなくなり、生きる意味を見いだせなくなった時にも、“ずっと家で過ごす”を目標として多職種で苦しみをキャッチし、共に苦しみ関わり続けると、本人、家族が自ら支えを見出し、支援者と共に支えを強め(必要な支援を考え)“ずっと家で過ごす”過程に穏やかに最期が訪れました。残される家族、私たち支援者は、その時間が苦しいだけでなく、多くの学びをいただきます。国は2025年までに“地域包括ケアシステム”の構築、地域で人生の最期まで尊厳をもって暮らし続けられる社会の実現を目指しています。地域の多職種でエンドオブライフ・ケアを実践することは地域包括ケアそのものです。援助を言葉にできることで“ずっと家で過ごす”が叶う方が増えると感じられるようになりました。

訪問看護利用者の死亡場所は在宅が56%、在宅死の全国平均13%に比べると高いものの、訪問看護師は全看護師のわずか2%。この魅力ある仕事が周知されていないのが現状です。訪問看護師が行う援助を言葉とし、魅力ある仕事として地域へ広める役割を感じています。

もうひとつ、エンドオブライフ・ケアを広めたい理由の根元には、私の母の死があります。
母は53歳で脳梗塞を発症。リハビリに励み、右半身麻痺と呂律の回りにくさは残ったものの、車の運転も練習し、買い物にも出かけ、料理をし、順調に過ごしているように思っていました。

発症から1年、寒さが厳しさを増す中、母は自宅で自死しました・・・なんでこんな目にあったのか、みんなに迷惑をかける、父はうつ状態への励ましは逆効果とは知らず、一生懸命励ましました。母はどんなに苦しかっただろう、麻痺で思うように動かない体は寒さで一層動きにくかったのだろうか。励ましでなく、苦しさを理解してくれる人は周りにいませんでした。

離れて暮らし、子どもを保育所に預けて働き日々追われる私は、母からのメールに返信していませんでした。きっと返事を待っていただろう、支えを探していただろう、苦しさを聴いてほしかっただろう。母はどんな思いで旅立っただろう、自死を発見した父の思いは。

身近に“ 死 ”の経験がない人が増え、いい人生だったと人生を終(しま)うことに支援が必要となっています。しかし、少しの支援があれば穏やかに“いのちのバトンリレー”ができることも、訪問看護を通し経験させていただきます。人生の最終段階とはどういったものか、苦しむ人への支援を知り、苦しみの中にあっても支えをキャッチし強められたなら、いい人生だと思い生きる人や、いい人生だったと思って旅立てる人が増え、残された人も、いい人生だったねと振り返れると感じています。

「お母さん苦しかったね。」「理解してあげられなくてごめんなさい。」

この後悔を一人でもしないですむ人があれば・・・苦しみをキャッチし理解者と思ってもらえる関わりができる人材育成。今の私にできることがある。母にできなかったことを悔やみ悲しむだけでなく、母との別れから大切と感じることを発信したいと思うようになりました。そう思うと、今の私は母に支えられています。一部のエキスパートだけでなく、すべての人ができる支援を普及させること、いのちの大切さ、自己肯定感、この考えが文化となる日まで、できることをひとつずつ重ねていきたいです。

そして今やっと伝えられます。
「お母さんありがとうございます。」

エンドオブライフ・ケア協会では、このような学び・気づきの機会となる研修やイベントを開催しております。活動を応援してくださる方は、よろしければこちらから会員登録をお願いします。

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