コラム127:ELCで見つけた玉手箱
養成講座参加にいたった経緯 「今までいっぱいありがとう。私の事を忘れないでね。そして何十年か先でいいから、いつかきっと私を迎えに来てね。」旅立つ母の手を握りながら伝えました。「3月4日で91歳よ。何を食べても美味しい。食べれんごとなったら終わり。」と言っていた母。その通りでした。これからもう…
コラム106:母の介護、父の看取り、そして穏やかな母の看取りに備えて
一人ひとりの存在が尊ばれるような温かいメッセージが聴こえてきました。一つ一つの言葉が心の琴線に触れて、思わず手を止めてその方の語りに聴き入りました。相手の思いを聴こうとする生きた言葉の重みと温かさに感動を覚えました。 それは、2019年4月21日の朝、NHK「日曜討論」を聴きな…
コラム105:わが息子との別れが、導いてくれた学び
息子に悪性脳腫瘍(膠芽腫)が見つかったのが、高校3年生の10月。開頭手術を終え、放射線治療が終わったのがクリスマス・イブでした。 その後、地元の大学に進学し、抗がん剤や治療のための手術を繰り返しながら、すてきな友達や部活動の先輩などと充実した大学生生活を送っていました。 …
コラム90:いのちの授業を伝えることで私自身が教えられたこと
エンドオブライフ・ケア協会との出会い 私が製薬会社の抗癌剤グループで勤務していたころ、その時代は癌になったら病院で最期まで治療をし続け、最後の最後まで延命治療をする時代でした。 そのような延命治療について国民が疑問視し始めたころ、父親が長い間 闘病していた前立腺がんが全身骨転移と…
コラム88:弱さを認め 強く生きる
「強く、つよく 生きろ」 父は実直で厳しくも、いつもそばで私たちにたくさんの愛情を注いでくれました。 そんな父がこの言葉を残し急逝してから20年が経ちます。何もできなかった申し訳なさと、自分の無力さに後悔の念しかありませんでした。 その後看護師となった私は…
コラム69:エンドオブライフ・ケアの活動に寄せて
エンドオブライフ・ケア協会(ELC)との出会いは通勤途中に聞いていたラジオでした。エンドオブライフの研修を探していた私はさっそく調べて申し込み受講しました。 私の看護師としての経験は救急が一番長く、救急の現場では何人もの人の最期に出会ってきました。突然の心肺停止で運ばれてくる方に…
<始動します>
2月頃から続いていたコロナ騒動も、さすがに4ヶ月も経つと、新しい日常に変わりつつあります。この数年、毎週末は各地方で人材育成活動をしてきましたが、2月からは自粛しなくてはいけませんでした。 しかし、立ち止まるわけにはいきません。今まで以上に、それぞれの地域で苦しむ人は増えています。この3ヶ…
<20年前から変わらないこと>
今から20年前に書いたコラムを紹介します。前任のホスピス病棟で出会った患者さんから学んだことです。 「医療は治すことが目的でしょう。だから治すことができない患者は、医療の対象ではないと思うのです。あきらめるしかないのでしょうね。」 鍛冶屋の職人として生きてきたその人は、本当の病名を…
ありがとう
今朝、一人の人を見送りました。つい、先日41歳の誕生日を迎えたばかりでした。その人の人生を表す言葉と言えば、[耐]とお母さんは話されていました。 最期まで笑いの絶えない家でした。 誕生日には友人達からの最高のビデオメッセージが流れました。 私はあまり訪問の様子を紹介することはほ…
<今 私が笑えるのは 一緒に泣いてくれたキミがいたから>
キャンサーペアレンツの西口洋平さんが5月8日に旅立たれました。35歳でステージ4のがんと診断される中、つながることで前向きに、声なき声を届け、生きやすい社会を実現したいと考え、キャンサーペアレンツを立ち上げました。2016年に、社会起業塾に応募されたとき、私もエンドオブライフ・ケア協会のメンバーと…
<それでも人は穏やかになれるから>
ゴールデンウィークが開けました。今日から仕事を再開される方も増えていくことでしょう。緊急事態宣言は、続いていますが、社会的な距離を取りながら、徐々に一部の生活は戻りつつあることを願っています。 しかし、新型コロナウイルス感染の影響は色濃く残っています。とても笑顔なんてなれるはずがないと思う…
<できない自分をこれでよい(Good Enough)と認めること>
4月23日は、私にとって忘れられない日です。2年前の今日4月23日午前3時19分、ご自宅で一人の患者さんの人生最期の診察を行いました。名前は、ペンネームでNanaさんと紹介します。Nanaさんの表情は、とても穏やかでした。それは、もう苦しむことも無く、人の迷惑をかけることもなく、限られた人生であっ…
<見えないものに気づくために、私たちが気をつけること>
どのような境遇にあったとしても、私たちは現場で学び続ける事ができます。学ぶことは、何も学校に行き、教科書を読み、先生の話をノートに書くことだけではありません。社会人になっても、それぞれの現場で何かに気づき、学びを深めていくヒントは溢れています。 私は人を相手に仕事をしてきました。さまざまな…
<何をしたら、苦しむ人の力になれるのでしょう>
今まであたりまえにできていた外出や、友達を一緒に食事をすることや、映画を観たりすることができなくなりました。生活のために働き稼ぐことすら自由にできなくなりました。 地域で苦しむ人が増えていきます。そして、苦しみのあまり、誰かを傷つけたり、自らを傷つけたりする人もいることでしょう。 もし、…
コラム39:Bearing Witness:国際NGOで学んだ私がいま伝えたいこと
このコラムは、ディグニティ・セラピーの一環として、ご本人が大切にしてきたこと・伝えたいことを口頭で伺い、ご本人の言葉を活かした形で執筆・編集したものを、後日ご自身の目で確認していただいたものです。お名前・写真の掲載を含めてご承諾をいただきました。ご家族へのメッセージという形ではなく、このような形での…
コラム38:ディグニティセラピーと「千」の語り
コラム38:ディグニティセラピーと「千」の語り 千葉県がんセンター 緩和医療科部長 坂下美彦さま (ELC第19回生 ELC東京代表 認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター) エンドオブライフ・ケア協会のディグニティセラピーワークショップに参加し、患者さんにディ…
コラム21:ELC~草の根の仲間
コラム21:「ELC~草の根の仲間」 宇部協立病院 医師(在宅医療担当) 立石彰男さま(ELC8回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター) 「背景」 わたしは、山口県宇部市にある在宅療養支援病院の勤務医をしています。山口県は、人口145万人、高齢化率28%…
コラム18:エンドオブライフ・ケアから学んだことを生かし、家がいい。と言える在宅看取りモデル地域となる日を夢見て。
はじめまして。私は介護職12年目の訪問介護員です。 エンドオブライフ・ケア援助者養成基礎講座を受講したきっかけは、どうしても忘れられないケアがあり、振り返り日々あれで良かったのかと悩んで忘れられない思いからです。 2025年には、団塊の世代がすべて後期高齢者となり、また多死社会を迎える中…
コラム11:「私の人生は幸せだった」と振り返ることができるようなエンドオブライフ・ケアを目指して
コラム11:「私の人生は幸せだった」と振り返ることができるようなエンドオブライフ・ケアを目指して 社会福祉法人足立邦栄会 施設長、看護師 新井 五輪子さま(ELC1回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士) 2000年4月 特別養護老人ホームさくら(定員60人)、身体障害者療護…
コラム7:「穏やかに、朗らかに、和やかに、」~“ドゥシ(同志)”とともに~
コラム7:「穏やかに、朗らかに、和やかに、」~“ドゥシ(同志)”とともに~ 医療法人ネリヤ ファミリークリニックネリヤ 院長 徳田 英弘さま(JSP2期生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、 認定ELCファシリテーター) エンドオブライフ・ケア協会 会員のみなさま、あけましておめ…
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