コラム125:ヒーローがつらい時、誰が
私は家庭医です。いわゆる「昔ながらの町医者」というやつです。赤ちゃんからお年寄りまで、産前相談から緩和ケア・看取り・グリーフケアまで。年齢やジャンルを問わず、心・体の問題を問わず対応する、プライマリ・ケアの専門医です。 何でも診るといっても、何でも解決できるわけではありません。プ…
コラム108:はじめての「いのちの授業」
2023年8月27日、富士市の男女共同参画事業の一環で、「折れない心を育てるいのちの授業」認定講師の関口圭子さんが、子育て中の保護者、地域の子育て応援者、興味のある方などを対象にお話をされました。その際、娘の関口眞央さん(小学校5年生)が、講師認定後、はじめて講演をサポートされました。当日をふりか…
コラム90:いのちの授業を伝えることで私自身が教えられたこと
エンドオブライフ・ケア協会との出会い 私が製薬会社の抗癌剤グループで勤務していたころ、その時代は癌になったら病院で最期まで治療をし続け、最後の最後まで延命治療をする時代でした。 そのような延命治療について国民が疑問視し始めたころ、父親が長い間 闘病していた前立腺がんが全身骨転移と…
コラム81:「いのちの授業」は〇〇の始まりです
「折れない心を育てる いのちの授業」は〇〇の始まりです。さて、何の始まりでしょう。 以下、私が実践した「折れない心を育てる いのちの授業」に参加くださった方からいただいたメールからの一部抜粋です(ご本人に掲載の許可をいただいています)。 "授業が終わったあとすぐ、息子は「…
コラム80:種を撒き、実を結ぶ
私は公立小学校、中学校、また公設私営の大学で児童・生徒・学生のためにソーシャルワークを行ってきた。元々心理職として教育現場で勤務していたのだが、私の力量が足りず、心理的なサポートのみでは一時的に子どもを笑顔にすることはできるが、子どもを取り巻く環境に根本的な原因がある場合、その環境に戻っていくと彼…
コラム77:「OKプロジェクト」を共通言語に!!!
お恥ずかしいながら、当時小学2年生の娘と私は、本当に仲が悪かった。小さい時から、なぜかすぐにぶつかり合う。本当はとても愛おしい大切な存在なのに。 このぶつかり合いを何とかしたい、どうしたらいいんだろうと悩み、子育てが苦行にしか感じられない時もあった。 こんなことを思ってしまう私は、…
コラム75:パパとママからの手紙が私の支え~当たり前なんてことはない~
私は先天的に靭帯がゆるい「ラーセン症候群」と言う病気で生まれてきました。すごく珍しい病気で、生まれてすぐ大阪の子ども専門の大きな病院に行ったのですが、そこでお医者さんに「この病院では3例目」と言われました。 私は、1歳になるまで両足首、両膝、両股関節の手術をしました。その後は、一…
<副島先生からのメッセージ>
副島先生から、皆さんへ、メッセージが届きました。 今回のテーマはは、『ふあんの受けとめ』です。 病気と闘っている子どもさんたちと向き合ってきた副島先生ならではの、あたたかなメッセージです。 不安は、自分を守るためのあたりまえの反応 “立ち向かう”だけではなく、“はなれる…
<なぜ副島先生の鼻は赤いのだろう?>
副島先生との出会いは、もう何年になるのでしょうか。テレビドラマの主役になるような雲の上の人でした。ある医療とメディアとの学習会の懇親会の席で、サシでお酒を飲みながら話を伺ったときに感じたことは、その熱量は、半端ない(他人のことを言える立場ではないのですが…)ということでした。 これほど苦し…
<本当の幸せは、身近なところにある>
昨日はFB投稿できませんでした。というのも愛犬が低血糖発作で意識低下、けいれん発作などから、一時期危篤状態となりました(もともと持病がありまして…)。ということで、一日、お休みを頂きました。深夜帯ではありましたが、ブドウ糖をシリンジで何度が飲ませ、何とか事なきを得ましたが、これからも何があるかわか…
<苦しむ人の力になろうとする全ての人へ>
前回、私はアリとキリギリスの話を紹介しました。少しだけ補足をさせてください。 一般的にイソップのアリとキリギリスの逸話は、「働かざる者食うべからず」という教訓として紹介されます。働いていたアリに対して、遊んでいたキリギリスが、やがて冬になって食糧難になって困る話です。ですから、「…
<経験を積むあまり 大切な感性を失うなかれ>
何事も経験は大切です。はじめからうまくいく人はほとんどいません。料理を作ることも、楽器を演奏することも、人前で話をすることも、最初は失敗することが多々あります。うまくいかなくて、取り組んだことを止めてしまう人もいるでしょう。それでも根気よく続けていくと、だんだんと上達していきます。 …
<できない自分をこれでよい(Good Enough)と認めること>
4月23日は、私にとって忘れられない日です。2年前の今日4月23日午前3時19分、ご自宅で一人の患者さんの人生最期の診察を行いました。名前は、ペンネームでNanaさんと紹介します。Nanaさんの表情は、とても穏やかでした。それは、もう苦しむことも無く、人の迷惑をかけることもなく、限られた人生であっ…
コラム65:「折れない心を育てる いのちの授業」の源流から
コラム65:「折れない心を育てる いのちの授業」の源流から 浄土真宗本願寺派 走井山善西寺 住職 矢田俊量さま (ELC第6回生) ここは三重県のとある小学校。創立百二十周年記念の講演会。会場の体育館には、幼稚園児、小学生児童、教職員、保護者があつまり、熱心に講演に聞き入…
コラム57:折れない心を育てるいのちの授業
エンドオブライフ・ケア協会 代表理事 小澤 竹俊 私は人前で話をすることが苦手でした。少なくとも中学や高校の時には、クラスで手を挙げて自分の意見を言うことも、あるいは、球技大会や文化祭の実行委員などで全校生徒を前に話をすることも、できる限り避けていました。そのような私が、気づくと人前で話をす…
コラム56:「自分なんかもういい!」なんて言わないで、しなやかに生きる力を
船橋市立習志野台第二小学校 スクールカウンセラー 小松良子さま(ELC第61回生) 我が家の庭のあちこちにビオラの花が咲いている。前年のタネが落ちて春に芽を出すが、もう5年繰り返されている。自分の場所に安堵したかのようにたくましくそれぞれの育ちをしています。「いのちの学習」を通して、子供達…
コラム55:生涯教育者として
このコラムは、ディグニティ・セラピーの一環として、ご本人が大切にしてきたこと・伝えたいことを口頭で伺い、ご本人の言葉を活かした形で記録・編集したものを、後日ご家族とともにご本人に確認していただいたものです。子どもたちをはじめとして、次の世代へ伝えるメッセージとして、ペンネームで掲載することをご承諾…
コラム53:かかりつけ医から地域へ広げるエンドオブライフ・ケア
はじめに ELCとの出会い 子供へ認知症について伝えること いのちの授業への関わり 最後に 【はじめに】 父がこの地域、喜入で開業して54年という月日が経ちました。地域のかかりつけ医として武家屋敷跡を使って外来を始めた頃から在宅看取りを行っ…
コラム50:母乳育児支援の立場から見る「5つの課題」の普遍性 〜「始まりと終わり」の共通点〜
多摩ガーデンクリニック 小児科、田村クリニック在宅診療部 内科 医師 高橋有紀子さま (ELC第45回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター) 当方はもともと小児科医です。ここ数年高齢者の在宅医療にも従事しています。今年2月に偶然小澤先生を囲む少人数の勉強会を…
コラム41:W杯のゴミ拾いといのちの授業プロジェクト
エンドオブライフ・ケア協会 理事 めぐみ在宅クリニック院長 小澤 竹俊 いのちの授業という言葉は、昔からありました。その多くは命の大切さを伝えるために、1つの命(かけがえのないもの)、つながる命(今まで何世代もつながってきた大切なもの)として紹介されてきました。 あえて従来のいの…
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