コラム123:「ねぇ?私これからどうなるんやろ・・・」長年の悩みに私なりの答えが見つかった・・・
高校卒業して、病院に勤めながら、昼から看護学校への生活を5年間行い、ようやく看護師免許をもらえた私はこれからの看護人生を謳歌する予定でした・・・。急性期、終末期病棟を経験し、看護ケアには自信が出てきた頃、結婚し、のちの自分の「私の支えとなる」子供も生まれ、予定通りのレールをルンルンと進んでいった矢…
コラム120:苦しんでいる人の役に立ちたい浪人生が緩和ケア医になるまで
私が、小澤先生と出会ったのは、約20年前です。当時、私は大学浪人生でした。農学部志望でしたが、受験に失敗、苦しい浪人生活の中で、「世の中で最も苦しんでいる人の役に立ちたい」との想いが湧きました。そして、テレビで、聖路加国際病院の日野原重明先生の特集を目にし、もう治療できないと言われた癌患者さんは最…
コラム119:消えたかったわたしがいのちの授業を伝え続ける意味
もう何度授業という名の「お話」をしただろうと、ふと考えていた。そもそも、この活動に、どうして関わり続けているのか? 振り返ると、私は、自己肯定感が低い、でもそこそこ勉強はできる複雑な心理状態をもった子供であったように思う。良い成績をとると、学校では褒めてくれる人もいる、先生もいる。でも…
コラム117:お互いに「ここにいていいんだ」と穏やかになれる看護師を目指して
私は、今年度から看護師人生が始まりました。病棟看護師として勤務しています。 エンドオブライフ・ケア協会の援助者養成基礎講座に参加したきっかけは、私はもともと「自尊感情」や「いのち」、「死」などにとても興味があり、偶然にも通っていた奈良県立医科大学での小澤先生の特別講演を拝聴し、「もっと詳し…
コラム111:優しく包み込んでくれたユニバーサル・ホスピスマインド
自らの人生、悩み 現在24歳。私は、人生は常に頑張らなければならないと思い込んでいました。 小学2年生のとき、私は視力が悪く、眼鏡をかけるようになりました。当時眼鏡をかけている子は珍しく、一部の子は私に「メガネザル」とあだ名をつけてからかったりいじめたりしました。私はその時から、…
コラム101:ハングルで伝えたい
在日朝鮮人として生まれて 私の祖父母は韓国で出生、両親は日本で出生したので、私は在日三世の朝鮮人である。学生時代から教師の道を目指していたが、家庭環境(長男、貧困)の事情もあり、高校を卒業して現在の職場である共和病院に就職した。 当初、臨床検査技師を志望したが、枠がなく事務…
コラム97:I believe in future.
私は介護職(施設介護・訪問介護・居宅介護)3年目です。私がエンドオブライフ・ケア協会に出会ったのは、主に施設で利用者様と関わることについて自分の中でモヤモヤしていた、ちょうどそんな時期でした。 「はやくお迎えが来て欲しい」「はやく死にたい」そう話される利用者様が時々いらっ…
コラム91:ELC千葉船橋始動!最期は真心の輪の中で迎える-幸せを実感できる社会を創りたい
痛みと苦しみの中で迎えた家族の死 がん末期の家族が最期を迎えたのは、痛みの原因を調査するために検査入院した病院だった。手術後わずか3か月で痛みは起こった。がん転移による痛みとわかるのに2か月が経過し、既に歩くと激痛が襲うような状態であったが、十分な緩和ケアを受けられていなかった。 …
コラム89:ELCに出会って変わったこと・気が付いたこと
「苦しむ人の支えになりたい」 看護師を目指したとき、私はこの気持ちをどれくらい強く思っていたのだろう・・・ 「白衣の天使」にただ憧れていたのかもしれません。 自分の原点は何だったのか、なぜ命の現場に立とうと思ったのか・・・答えは出ていませんが、日々の患者さんやご家族とのかかわりの中で…
コラム87:カムカムエブリバディ!仲間と学び続けて<いのちの授業>を全国に届けよう!
私は2019年12月に<折れない心を育てるいのちの授業 (以下「いのちの授業」という。)>認定講師になりました。でも講師デビューをしたのは、つい最近の今年1月になってからのことです。 なぜすぐに授業をすることができなかったのか? 一つは翌年からコロナが流行り始め…
コラム86:「いのちの授業」を伝えている自分自身がいやされていく理由
私は「折れない心を育てる いのちの授業」を、小学生を中心に、たくさんの方にお話しする機会をいただいて、大阪市内、また最近ではオンラインでも活動させていただいております。 エンドオブライフ・ケア協会では、認定をいただいた講師が「折れない心を育てる いのちの授業」をそれぞれの…
コラム76:目的ではなく手段としての国際協力を
今から22年前。僕は生まれた。 それから数年後、白血病になった。 もちろん、今の僕は一切の記憶がない。 小学生の時、母親から当時の様子を伝えられた。 「自分の人生をこれからどうやって使うのか」 12才の僕にこの命題が課せられた。 しかし、答えは明確だった。 …
<ここから始まりました>
今から6年前、クリニックで企画した研修が、今のELCの活動のきっかけになりました。 あれから6年、世の中は新型コロナウイルスのために大変なことになりました。でも、この時のために活動してきたように感じます。1日1日を大切に、必要としている人に届きますように。 小澤 竹俊 …
<苦しむ人に誠実に関われる担い手を増やすために>
毎回、堅い話が続いていたので、たまには、柔らかい話をしたいと思います。暦の上では新学期が始まりました。私が若かりし頃、慈恵医大の進学課程2年生の時の話です(なんとまだ19歳!)。 当時は、学生会と硬式野球部と疫学研究会(農村で健康診断や家庭訪問を行うクラブ)に所属していました。 この…
コラム64:苦しみの中から支えに気づく文化 皆が穏やかに暮らせる世の中を作るために (2)
コラム64:苦しみの中から支えに気づく文化 皆が穏やかに暮らせる世の中を作るために(2) 沖縄県立中部病院 呼吸器内科/地域ケア科 長野宏昭さま (第1回ELCin沖縄受講生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター) ※前半はこちらからお読みください…
コラム63:苦しみの中から支えに気づく文化 皆が穏やかに暮らせる世の中を作るために (1)
コラム63:苦しみの中から支えに気づく文化 皆が穏やかに暮らせる世の中を作るために(1) 沖縄県立中部病院 呼吸器内科/地域ケア科 長野宏昭さま (第1回ELCin沖縄受講生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター) ・患者さんとの関わりのなかで学んだ、援助を言葉にす…
コラム61:私の宝 ―『聴く』と『支え』
さがらパース通りクリニック 医師 小齊平 智久さま (ELC第39回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター) 【私が医師になるまで】 私は生まれつき体の弱い子供でした。発熱が毎日のように続き、鹿児島大学病院で精密検査した結果、先天性心疾患(ファロー四…
コラム59:もう見て見ぬふりはしない・もう眼をそむけない、全国に広めようELC連帯の輪!
日本のてっぺん最北端の街 稚内市 道北勤医協 宗谷医院 指定居宅介護支援事業所 社会福祉士・精神保健福祉士・介護福祉士・主任介護支援専門員 石山武浩さま (ELC第53回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター) 私は、いつも周りから「困っている…
コラム58:0歳も100歳も 誰一人孤立しない地域づくり
地域互助力向上ネットワーク 0-100(ぜろひゃく)地域の輪 代表 中島 直子さま 私は北海道生まれの父と九州生まれの母に生を受け神奈川県相模原市で生まれ育ちました。こもれびの森という森林が近くにあり、成人するまでの様々な思い出と共にその風景も思い出されます。両親の活動の関係で暮らしは赤ち…
コラム56:「自分なんかもういい!」なんて言わないで、しなやかに生きる力を
船橋市立習志野台第二小学校 スクールカウンセラー 小松良子さま(ELC第61回生) 我が家の庭のあちこちにビオラの花が咲いている。前年のタネが落ちて春に芽を出すが、もう5年繰り返されている。自分の場所に安堵したかのようにたくましくそれぞれの育ちをしています。「いのちの学習」を通して、子供達…
コラム54:自分のことを大事だと思えるように
「私って必要ないのかな。」 私がよく感じた思いです。幼少期から自信がない子だったような気がします。決して家族から愛されていなかったわけでも、友達がいなかったわけでもありません。自信がなくなるきっかけは引っ越しでした。 私が幼稚園年中の時、親が祖父母との同居を決めました。小さい…
コラム53:かかりつけ医から地域へ広げるエンドオブライフ・ケア
はじめに ELCとの出会い 子供へ認知症について伝えること いのちの授業への関わり 最後に 【はじめに】 父がこの地域、喜入で開業して54年という月日が経ちました。地域のかかりつけ医として武家屋敷跡を使って外来を始めた頃から在宅看取りを行っ…
コラム43:美容を生きる力へ
予防美容サロンmatane 美容師 木野田 秀樹さま (ELC第36回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター) 私は札幌で予防美容サロンを開業している美容師です。 変わりゆく、私たちの環境。少しずつお客様の悩みにも変化がみえます。 先進国でアレ…
コラム27:エンドオブライフ・ケア協会と私の原点
一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会 事務局長 千田 恵子 ●健康で活動的な父が神経難病ALSに。 身体の自由は失っても、最期まで自分らしく生き、旅立ち、私の中で生き続ける 写真は2011年、父母と弟と私で、ホノルルマラソンに参加したときのものです。私と弟はフルマラソン…
コラム24:どんな状況でも逃げずに傍にいる、ということ
コラム24: どんな状況でも逃げずに傍にいる、ということ ホームケアクリニックえん 緩和ケア認定看護師 高橋 美保さま (JSP第3期生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター) 当クリニックは東北の雪国、人口7万程の工業・農業の町にあります。春には1万本の桜が見事…
コラム16:いい人生だったと人生を終(しま)うために エンドオブライフ・ケアを地域に広めたい
医療法人橘会 訪問看護ステーションたちばな 所長 丹後ゆかりさま(ELC3回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター) 私は大阪市東住吉区で今年設立20年を迎えた訪問看護ステーションに勤務しています。 1990年頃病院での看取りの際に言われる「全力を尽くしました…
コラム10:人生がかわる瞬間
コラム10:人生がかわる瞬間 相仁介護支援サービス 看護師、介護支援専門員 相田 里香さま(ELC2回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、 認定ELCファシリテーター) 春になると思いだす 私には大切なひとがいる そして苦しい時ほど思い出す言葉がある …
コラム9:人生の伴走者として、介護職やケアマネができること
福祉の世界に足を踏み入れて10年目になります。福祉系の学校を卒業した訳でもない転職組。介護保険が開始した後、特養の介護職員として福祉の仕事を始めました。 現在は、居宅介護支援事業所で介護支援専門員として勤務しています。 日々、高齢者の方々と関わる中、皆さま様々な感情の中…
コラム8: ~ 思い上がりからの気づき ・・・・・・本人の思いを尊重するとはどういうことか ~
コラム8: ~ 思い上がりからの気づき ・・・・・・本人の思いを尊重するとはどういうことか ~ 社会福祉法人柏原市社会福祉協議会 福祉推進課地域福祉係 課長補佐 神崎トモ子さま(JSP3期生、認定エンドオブライフ・ケア援助士) 相手の思いを汲み取り、尊重するとはどういうこと…
コラム3:苦しむ人と逃げないで向き合う援助者をめざして~仲間とともに未来を育む~
コラム3:苦しむ人と逃げないで向き合う援助者をめざして ~仲間とともに未来を育む~ 四条畷看護専門学校 教員 久保田千代美さま (JSP第2期生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター) 私は看護学校の教員です。その前の5年間は、訪問看護をしていました。大好きな…
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