コラム126:大好きな祖母が癌に。「自分は役立たず」と言う祖母に、何の返事もできなかった悔しさ
ELCと私の出会い 私は看護師でも医者でもない、ただただ祖母のことが大好きな一般市民です。そんな私がELCと出会ったのは、祖母が癌になったことが大きなきっかけでした。 私が生まれてからずっと一緒にいる祖母。そんな祖母が癌を告知されてから毎日毎日、懸命にサポートして…
コラム124:自信をもって寄り添える支援者になるために ~「苦しみをわかってくれた人」と思ってもらえた方から教えてもらったこと~
講座受講の経緯 私は、がんの闘病で苦しんでいる患者さんと関わった時の無力感から、専門的に緩和ケアを実践したいという気持ちで、緩和ケア認定看護師になりました。今は古民家をリノベーションした在宅ホスピスで働いています。 これまでに多くのがん患者さんと関わらせていただきましたが…
コラム110:大切な人との別れ、新たな出会い、大切なものに気づいた私。そしてこれから・・・
私のエンドオブライフ・ケア協会との出会いは、大切な夫を亡くした頃でした。 生きる意味を見失い、もうどうでもいい、でも子供達のために生きなくちゃという使命感で必死に毎日を過ごしていました。 でも見える世界はモノクロで、笑い声やジョークが、私にとって不協和音にしか聞…
コラム106:母の介護、父の看取り、そして穏やかな母の看取りに備えて
一人ひとりの存在が尊ばれるような温かいメッセージが聴こえてきました。一つ一つの言葉が心の琴線に触れて、思わず手を止めてその方の語りに聴き入りました。相手の思いを聴こうとする生きた言葉の重みと温かさに感動を覚えました。 それは、2019年4月21日の朝、NHK「日曜討論」を聴きな…
コラム105:わが息子との別れが、導いてくれた学び
息子に悪性脳腫瘍(膠芽腫)が見つかったのが、高校3年生の10月。開頭手術を終え、放射線治療が終わったのがクリスマス・イブでした。 その後、地元の大学に進学し、抗がん剤や治療のための手術を繰り返しながら、すてきな友達や部活動の先輩などと充実した大学生生活を送っていました。 …
コラム104:苦しくて悲しい。けれど、その向こうに明るい静けさを見ていたい。いつも一緒に。
去年、山口県にあるサービス付き高齢者向け住宅「おげんきハグニティ」内の父の部屋に泊まって、看取りをしました。親子だからこそ理解し合うことの難しさもあり、看取りも簡単なことではありませんでした。 私の気持ちが揺れることは何度もありましたが、スタッフの皆さんのおかげで、父と過ごせる温か…
コラム100:援助的コミュニケーションを学び、自分の心を反復することで癒されたこと
悲劇のヒロイン…私は何年もこの状態から抜け出せなかった。二十歳の時、当時44歳の母が病で他界し、「なんで私にはお母さんがいないのだろう」…今思い返せば「なんで、なんで」の繰り返しだったのだろうと思う。 母が闘病している頃、私は県外の大学に通っており、一人暮らしをしていた。亡くなる少…
コラム99:「よく生きて、よく死ぬ」を声にする第一歩として
私は医療とは関係のない金融機関勤務で、40年目になります。そして一人の人間として、両親の死について、深い思い入れがあります。 私は小さい頃から母がこの世からいなくなってしまうことが、常に最大の恐怖でした。もう25年も前になりますが、母はガンの発覚から一年半の闘病後、69歳で亡くなりました。…
コラム97:I believe in future.
私は介護職(施設介護・訪問介護・居宅介護)3年目です。私がエンドオブライフ・ケア協会に出会ったのは、主に施設で利用者様と関わることについて自分の中でモヤモヤしていた、ちょうどそんな時期でした。 「はやくお迎えが来て欲しい」「はやく死にたい」そう話される利用者様が時々いらっ…
コラム96:ディグニティセラピーを学んでいこうと思った理由 ~すべての人が、自分が自分で良かったと思えるように~
私がいま学び始めて思うことは、ディグニティセラピーの効果は年齢や健康状態に関係なくすべての人に置き換えることができるセラピーであるということです。 本来は人生の最終段階における人へのセラピーが中心だと思いますが、自分自身や身近な誰かを癒し、耀かせることの出来る素晴らしいものだと思います。 …
コラム95:「Good enough」を届けたい
私は長女としてこの世に生を受けました。亡き母は、沢山愛してくれていましたが、とても厳しい人で、何に対しても完璧を求め、中々褒めてもらえなかった子供時代を思い出します。例えばスイミングのテストが不合格だった時、試合に負けた時、学校の成績表をもらった時、大学入試が不合格だった時・・・。悲しくて、悔しい…
コラム92:母の介護を通して学んだこと、気づいたこと
私は内科医ですが、現在、母校の医学教育に関係する部署に勤めています。どういう仕事をしているのか、よく質問されます。医学科のカリキュラムの構築や医学科4-6年生が参加する臨床実習に関する教育に携わり、各診療科や学外病院・実習生とのコーディネートを行っています。 昨年4月、同級生から…
コラム90:いのちの授業を伝えることで私自身が教えられたこと
エンドオブライフ・ケア協会との出会い 私が製薬会社の抗癌剤グループで勤務していたころ、その時代は癌になったら病院で最期まで治療をし続け、最後の最後まで延命治療をする時代でした。 そのような延命治療について国民が疑問視し始めたころ、父親が長い間 闘病していた前立腺がんが全身骨転移と…
コラム88:弱さを認め 強く生きる
「強く、つよく 生きろ」 父は実直で厳しくも、いつもそばで私たちにたくさんの愛情を注いでくれました。 そんな父がこの言葉を残し急逝してから20年が経ちます。何もできなかった申し訳なさと、自分の無力さに後悔の念しかありませんでした。 その後看護師となった私は…
コラム84:PTA・いのちの授業コーディネーター・親としての三つの視点から取り組んだこと
私はこれまで、実際に悩む中学の娘と一緒に「折れない心を育てる いのちの授業」を数回受講しました。娘は、何に悩んでいるのかもわからなくなるほどふさぎ込んでいましたが、この授業を受けるたびに、一つ一つ気持ちを伝えてくれるようになりました。 藁にもすがる思いで受けたあの日、娘は、隣にい…
コラム78:家族介護者支援の視点の広がり:研修での気づきを実践へ
私は普段は居宅支援事業所でケアマネージャーとして、 在宅生活の支援をさせていただいております。 昨年、エンドオブライフ・ケア援助者養成基礎講座に、小グループでの演習のファシリテーターとして参加した際、事例検討のなかで参加者の方からいただいた気づきが、自身の現場での支援のあり方を省みるきっ…
コラム75:パパとママからの手紙が私の支え~当たり前なんてことはない~
私は先天的に靭帯がゆるい「ラーセン症候群」と言う病気で生まれてきました。すごく珍しい病気で、生まれてすぐ大阪の子ども専門の大きな病院に行ったのですが、そこでお医者さんに「この病院では3例目」と言われました。 私は、1歳になるまで両足首、両膝、両股関節の手術をしました。その後は、一…
コラム74:家族を大切に思い一生懸命介護するからこそ 虐待してしまうプロセスを断ち切りたい~家族による高齢者虐待を防止する活動を求めて~
-コロナ禍で、介護を必要とする方とその家族のあり方が変わってきていると伺います。川内さんは、企業から委託を受け、従業員のうち家族介護にあたる方からの相談支援等に携わっていらっしゃいますが、まずは、なぜそのような活動をするに至ったのか、きっかけを教えてください。 以前、私は訪…
<20年前から変わらないこと>
今から20年前に書いたコラムを紹介します。前任のホスピス病棟で出会った患者さんから学んだことです。 「医療は治すことが目的でしょう。だから治すことができない患者は、医療の対象ではないと思うのです。あきらめるしかないのでしょうね。」 鍛冶屋の職人として生きてきたその人は、本当の病名を…
コラム60:いのちの授業と私
訪問看護ステーションきりん 管理者 訪問看護師 中村マサ子さま (ELC第39回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター) 現在高校三年生の娘は、中学時代、教室に入れなくなり、特別室で過ごしていました。「お母さん、教室に入ろうとしたら具合が悪くなって体が震えて、…
コラム51:悩める介護家族がELCと出会って学んだこと
医療・介護の専門職でもなく「看取り」に関わった経験もない自分が、今日こうしてエンドオブライフ・ケア協会の会員様向けコラムを書かせていただいていることに、いささかの戸惑いと人生の不思議さを覚えます。 私の職業は、ビジネス分野が専門のフリーランス・ジャーナリストです。千葉の自…
コラム49:施設での看取り~n.r氏との関わりを通して私たちが学んだこと、成長したこと~
自己紹介 私は特別養護老人ホームで看護師をしています。入所者150人を抱える大所帯です。ここ数年の間に、住み慣れたところで最期を迎えたいと、施設での看取りを希望される方が増えました。以前は調子が悪くなったら病院へという流れだったはずが、いつの間にか年間20人ほど施設でお見送りするようになって…
コラム42:ペットが繋ぐ絆:家族、そして地域へ
NPO法人 HALAW(ホッカイドウ・アニマル・ロー)代表理事 行政書士 オフィス プライム・アイ 行政書士/動物法務士/愛護動物取扱管理士 (ELC第44回生) 今井 真由美さま ●ペットも命ある大切な家族 一昨年ある雑誌に「ペットは第5の家族」という記事が掲載されました…
コラム28:支えること、支えられること
コラム28:支えること、支えられること 医療社団法人 大坪会 三軒茶屋第一病院薬剤科 薬局長 平島 明希枝さま(ELC第26回生) 私は大学卒業後、小澤先生の母校である東京慈恵会医科大学附属病院に入職し、結婚を機に退職、調剤薬局を経験し現職に至って…
コラム27:エンドオブライフ・ケア協会と私の原点
一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会 事務局長 千田 恵子 ●健康で活動的な父が神経難病ALSに。 身体の自由は失っても、最期まで自分らしく生き、旅立ち、私の中で生き続ける 写真は2011年、父母と弟と私で、ホノルルマラソンに参加したときのものです。私と弟はフルマラソン…
コラム24:どんな状況でも逃げずに傍にいる、ということ
コラム24: どんな状況でも逃げずに傍にいる、ということ ホームケアクリニックえん 緩和ケア認定看護師 高橋 美保さま (JSP第3期生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター) 当クリニックは東北の雪国、人口7万程の工業・農業の町にあります。春には1万本の桜が見事…
コラム20:人生最期の数ページに寄り添わせていただく者として何ができるのか
コラム20: 「人生最期の数ページに寄り添わせていただく者として何ができるのか」 一般財団法人光ヶ丘愛世会 光ヶ丘スペルマン病院 緩和ケア内科病棟看護師 浅野志保さま(ELC7回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士) ①緩和ケア病棟におけるエンドオブライフ・ケ…
コラム19:「それぞれの生き方を選択した熊本地震」 ~地域の絆で暮らす一方、地域を離れるという決断~
コラム19:「それぞれの生き方を選択した熊本地震」 ~地域の絆で暮らす一方、地域を離れるという決断~ 熊本県熊本市南区在住 グループホーム ヒューマンケア富合 施設長 前川春美さま(ELC4回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター) 雄大な阿蘇山を構…
コラム16:いい人生だったと人生を終(しま)うために エンドオブライフ・ケアを地域に広めたい
医療法人橘会 訪問看護ステーションたちばな 所長 丹後ゆかりさま(ELC3回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター) 私は大阪市東住吉区で今年設立20年を迎えた訪問看護ステーションに勤務しています。 1990年頃病院での看取りの際に言われる「全力を尽くしました…
コラム10:人生がかわる瞬間
コラム10:人生がかわる瞬間 相仁介護支援サービス 看護師、介護支援専門員 相田 里香さま(ELC2回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、 認定ELCファシリテーター) 春になると思いだす 私には大切なひとがいる そして苦しい時ほど思い出す言葉がある …
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