コラム126:大好きな祖母が癌に。「自分は役立たず」と言う祖母に、何の返事もできなかった悔しさ
ELCと私の出会い 私は看護師でも医者でもない、ただただ祖母のことが大好きな一般市民です。そんな私がELCと出会ったのは、祖母が癌になったことが大きなきっかけでした。 私が生まれてからずっと一緒にいる祖母。そんな祖母が癌を告知されてから毎日毎日、懸命にサポートして…
コラム124:自信をもって寄り添える支援者になるために ~「苦しみをわかってくれた人」と思ってもらえた方から教えてもらったこと~
講座受講の経緯 私は、がんの闘病で苦しんでいる患者さんと関わった時の無力感から、専門的に緩和ケアを実践したいという気持ちで、緩和ケア認定看護師になりました。今は古民家をリノベーションした在宅ホスピスで働いています。 これまでに多くのがん患者さんと関わらせていただきましたが…
コラム122:やっぱり「支え」があれば頑張れることを教えてくれる子ども達
私は長く小学校教員をしています。心理師でもあるので、自分の学校だけでなく地域の子ども達の相談やカウンセリング、保護者の教育相談にも多くかかわらせてもらっています。 特に近年は、不登校の児童生徒や、生きること自体に希望が持てなくなっている子ども達、困り感を抱えたまま相談できずにいる…
コラム121:誰もが穏やかで、笑顔で過ごす『お茶の時間』へ
受講のきっかけ 私は、紅茶やハーブティーを提供する小さなカフェを営んでいます。また、そこでティーウェリスト協会神戸校の講師として、生徒さんに様々なティーについての知識をお伝えしています。医療や介護の仕事ではない私がこの講座を申し込んだのには、あるきっかけがありました。 そ…
コラム120:苦しんでいる人の役に立ちたい浪人生が緩和ケア医になるまで
私が、小澤先生と出会ったのは、約20年前です。当時、私は大学浪人生でした。農学部志望でしたが、受験に失敗、苦しい浪人生活の中で、「世の中で最も苦しんでいる人の役に立ちたい」との想いが湧きました。そして、テレビで、聖路加国際病院の日野原重明先生の特集を目にし、もう治療できないと言われた癌患者さんは最…
コラム118:つなぐ架け橋
実母と夫の膵臓がん遺族であり、患者会・遺族会の運営にも携わっている私がエンドオブライフ・ケアを知ったのは、看護師さんや薬剤師さんからの案内でした。 患者会・遺族会は、対面・オンライン・SNSで交流しており、治療の情報交換をしていくうちに、胸の内をポツリポツリとお話になるこ…
コラム117:お互いに「ここにいていいんだ」と穏やかになれる看護師を目指して
私は、今年度から看護師人生が始まりました。病棟看護師として勤務しています。 エンドオブライフ・ケア協会の援助者養成基礎講座に参加したきっかけは、私はもともと「自尊感情」や「いのち」、「死」などにとても興味があり、偶然にも通っていた奈良県立医科大学での小澤先生の特別講演を拝聴し、「もっと詳し…
コラム116:お互いのこころのために
「応え、答え」の壁 「家に帰りたい、胃ろうにしたら帰れると先生に言われた。どうしたらいい?」 2015年、神経性の難病を患い、自宅で療養していた父が救急搬送され、まだ言葉を話せていた時の会話です。 何か言わなきゃ、答えなきゃ、励まさないと、どう答えたらいい…
コラム115:その方にとって、“自分が理解者になれた”と感じた涙の瞬間
小澤先生との出会い 介護保険が始まった翌年、2001年にケアマネージャーの資格を取得しました。 私の記憶が確かならば、小澤先生がケアマネージャー更新研修の講師という形で出会ったと認識しています。 私たちは「本当に苦しんでいる人の気持ちを理解出来るのでしょう…
コラム113:学び続けることで芽生える小さな一歩
エンドオブライフ・ケア協会との出会い 私は、島根県出雲市内の特別養護老人ホームで施設ケアマネとして勤務しています。施設で看取りまで関わらせて頂く機会が増え「ご家族へなんと声をかけるといいのか?」…と構えるばかりで言葉が出ず、ご利用者家族を前にして何もできない…力になれないな…と足が遠のくよう…
コラム111:優しく包み込んでくれたユニバーサル・ホスピスマインド
自らの人生、悩み 現在24歳。私は、人生は常に頑張らなければならないと思い込んでいました。 小学2年生のとき、私は視力が悪く、眼鏡をかけるようになりました。当時眼鏡をかけている子は珍しく、一部の子は私に「メガネザル」とあだ名をつけてからかったりいじめたりしました。私はその時から、…
コラム109:できることをできるだけ
私は現在、愛媛県松山市内の地域包括支援センターで社会福祉士として働いています。 お彼岸も過ぎ、訪問途中に見上げる松山の空に浮かぶ雲も、秋の雲が主役となり季節の移り変わりを知らせてくれています。今回は、大阪市内で援助者養成基礎講座を初めて受講した、2019年3月から現在までに出会った中で…
コラム108:はじめての「いのちの授業」
2023年8月27日、富士市の男女共同参画事業の一環で、「折れない心を育てるいのちの授業」認定講師の関口圭子さんが、子育て中の保護者、地域の子育て応援者、興味のある方などを対象にお話をされました。その際、娘の関口眞央さん(小学校5年生)が、講師認定後、はじめて講演をサポートされました。当日をふりか…
コラム107:いのちの授業の温かさ 苦しむことは無駄なのか
ELC、いのちの授業との遭遇 大学1年の5月、サークルのイベントの一環で『折れない心を育てる いのちの授業』と出会いました。そして、長野宏昭先生との出会いもこのときでした。いのちの授業では、3つのレッスン「苦しみから支えに気づく」「苦しむ人を前にしてわたしにできること」「自分を認め大…
コラム104:苦しくて悲しい。けれど、その向こうに明るい静けさを見ていたい。いつも一緒に。
去年、山口県にあるサービス付き高齢者向け住宅「おげんきハグニティ」内の父の部屋に泊まって、看取りをしました。親子だからこそ理解し合うことの難しさもあり、看取りも簡単なことではありませんでした。 私の気持ちが揺れることは何度もありましたが、スタッフの皆さんのおかげで、父と過ごせる温か…
コラム103:過去から繋がる未来への道
「あなたより小さな子供でお母さんがいない人もいるんだから、あなたはここまで育ててもらえて恵まれているでしょ」 母が亡くなった19歳当時に言われた言葉。 「子供なんていたら大変なこともいっぱいあるのよ。むしろ羨ましい」 「人は結局ひとりなんだからみんな同じよ」 …
コラム102:沖縄の活動に見るワーカーズコープとの重なり:ユニバーサル・ホスピスマインドの社会実装を目指して
エンドオブライフ・ケア協会8周年記念シンポジウムで登壇された、ワーカーズコープ連合会センター事業団理事長・田中羊子さんは、「ワーカーズコープは、共に生き、共に働く社会をめざして、雇われるのではなく、自分たちで出資して、経営に責任を持ち、地域に必要な仕事をつくり出す「協同労働」という働き方を実践して…
コラム101:ハングルで伝えたい
在日朝鮮人として生まれて 私の祖父母は韓国で出生、両親は日本で出生したので、私は在日三世の朝鮮人である。学生時代から教師の道を目指していたが、家庭環境(長男、貧困)の事情もあり、高校を卒業して現在の職場である共和病院に就職した。 当初、臨床検査技師を志望したが、枠がなく事務…
コラム98:ピアサポーターとして 心はいつも近くにありたい
結ぶに夏と書いてゆか。名前の通り夏生まれのかに座です。2006年秋に乳がん告知を受け、かに座キャンサーが文字どおりキャンサーがんになったわけです。 そんな折、小澤先生のご講演を拝聴、『苦しみの中でも幸せは見つかる』との出会いがありました。が、当時の私には、苦しみの中に幸せを見つける…
コラム95:「Good enough」を届けたい
私は長女としてこの世に生を受けました。亡き母は、沢山愛してくれていましたが、とても厳しい人で、何に対しても完璧を求め、中々褒めてもらえなかった子供時代を思い出します。例えばスイミングのテストが不合格だった時、試合に負けた時、学校の成績表をもらった時、大学入試が不合格だった時・・・。悲しくて、悔しい…
コラム94:医師として治せなくても「わかってくれる人」に、私はなりたい
出会い 14年ほど前、松山市医師会主催の講演会でのことです。医師として私の人生に大きな変化が訪れました。当時の私は、大学病院から父の診療所に帰り、在宅医療を始めたばかりでした。在宅緩和ケアをしたくて地域医療を選んだのに、自分が役に立てているのか不安でいっぱいでした。 何が不…
コラム93:スクールカウンセラーとして、わかってくれる人になりたい
1冊の本との出会い 私は心理職、主にスクールカウンセラーをしています。保育園から小・中・高校まで様々な学校へ行きます。ある日、学校の図書室で、ふと目にとまったのが『折れない心を育てるいのちの授業』の本でした。 友人との話し方がわからない、勉強が全く理解できない、家族と仲良くし…
コラム89:ELCに出会って変わったこと・気が付いたこと
「苦しむ人の支えになりたい」 看護師を目指したとき、私はこの気持ちをどれくらい強く思っていたのだろう・・・ 「白衣の天使」にただ憧れていたのかもしれません。 自分の原点は何だったのか、なぜ命の現場に立とうと思ったのか・・・答えは出ていませんが、日々の患者さんやご家族とのかかわりの中で…
コラム88:弱さを認め 強く生きる
「強く、つよく 生きろ」 父は実直で厳しくも、いつもそばで私たちにたくさんの愛情を注いでくれました。 そんな父がこの言葉を残し急逝してから20年が経ちます。何もできなかった申し訳なさと、自分の無力さに後悔の念しかありませんでした。 その後看護師となった私は…
コラム87:カムカムエブリバディ!仲間と学び続けて<いのちの授業>を全国に届けよう!
私は2019年12月に<折れない心を育てるいのちの授業 (以下「いのちの授業」という。)>認定講師になりました。でも講師デビューをしたのは、つい最近の今年1月になってからのことです。 なぜすぐに授業をすることができなかったのか? 一つは翌年からコロナが流行り始め…
コラム86:「いのちの授業」を伝えている自分自身がいやされていく理由
私は「折れない心を育てる いのちの授業」を、小学生を中心に、たくさんの方にお話しする機会をいただいて、大阪市内、また最近ではオンラインでも活動させていただいております。 エンドオブライフ・ケア協会では、認定をいただいた講師が「折れない心を育てる いのちの授業」をそれぞれの…
コラム84:PTA・いのちの授業コーディネーター・親としての三つの視点から取り組んだこと
私はこれまで、実際に悩む中学の娘と一緒に「折れない心を育てる いのちの授業」を数回受講しました。娘は、何に悩んでいるのかもわからなくなるほどふさぎ込んでいましたが、この授業を受けるたびに、一つ一つ気持ちを伝えてくれるようになりました。 藁にもすがる思いで受けたあの日、娘は、隣にい…
コラム83:死に向き合うこと
「もう年だから。早く迎えにきてほしい。」 「これ以上しんどい思いをしながら生きていても仕方がない。」 病院で働いていると、しばしば耳にする言葉です。 このような言葉を聞いた時、何と言葉を返しますか? 私は理学療法士としてケガや障害を持った患者様に対…
コラム80:種を撒き、実を結ぶ
私は公立小学校、中学校、また公設私営の大学で児童・生徒・学生のためにソーシャルワークを行ってきた。元々心理職として教育現場で勤務していたのだが、私の力量が足りず、心理的なサポートのみでは一時的に子どもを笑顔にすることはできるが、子どもを取り巻く環境に根本的な原因がある場合、その環境に戻っていくと彼…
コラム79:優しい言葉と違和感の理由
「大丈夫だよ」 乳がんが見つかったと告げた時の夫の第一声。 「ありがたい言葉…のはず。だけどなんで?何がどう大丈夫なのか教えてよ!って言いたい自分がいる。 でも…私のためを思って言ってくれている言葉だし。 こんなことを思う自分の方が間違ってるのかな?」 心の中で押し問答…
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