コラム118:つなぐ架け橋
実母と夫の膵臓がん遺族であり、患者会・遺族会の運営にも携わっている私がエンドオブライフ・ケアを知ったのは、看護師さんや薬剤師さんからの案内でした。 患者会・遺族会は、対面・オンライン・SNSで交流しており、治療の情報交換をしていくうちに、胸の内をポツリポツリとお話になるこ…
コラム114:わたしを一歩前へ進めてくれた、ELCとの出会い
ELCとの出会い 私は、訪問リハビリテーションで理学療法士として働いています。ELCとの出会いは、5年前。余命1ヶ月の癌末期患者さんの担当になったことでした。「余命1ヶ月…。私に何が出来るのだろう」と思い悩み、参考書を探しに書店に行きました。そのときに、小澤先生の『死を前にした人にあなたは何…
コラム112:コンパッションをめぐる旅~日本ホスピス・在宅ケア研究会 in 仙台と松崎町に伺って~
2023年10月、『コンパッション都市~公衆衛生と終末期ケアの融合~』著者であり、米バーモント大学臨床教授のアラン・ケレハーさんと、その実践部分を担う、イギリスのCCUK(Compassionate Communities UK)でコミュニティ形成担当理事のエマ・ホッジスさんが、日本ホスピス在宅ケ…
コラム110:大切な人との別れ、新たな出会い、大切なものに気づいた私。そしてこれから・・・
私のエンドオブライフ・ケア協会との出会いは、大切な夫を亡くした頃でした。 生きる意味を見失い、もうどうでもいい、でも子供達のために生きなくちゃという使命感で必死に毎日を過ごしていました。 でも見える世界はモノクロで、笑い声やジョークが、私にとって不協和音にしか聞…
コラム100:援助的コミュニケーションを学び、自分の心を反復することで癒されたこと
悲劇のヒロイン…私は何年もこの状態から抜け出せなかった。二十歳の時、当時44歳の母が病で他界し、「なんで私にはお母さんがいないのだろう」…今思い返せば「なんで、なんで」の繰り返しだったのだろうと思う。 母が闘病している頃、私は県外の大学に通っており、一人暮らしをしていた。亡くなる少…
コラム99:「よく生きて、よく死ぬ」を声にする第一歩として
私は医療とは関係のない金融機関勤務で、40年目になります。そして一人の人間として、両親の死について、深い思い入れがあります。 私は小さい頃から母がこの世からいなくなってしまうことが、常に最大の恐怖でした。もう25年も前になりますが、母はガンの発覚から一年半の闘病後、69歳で亡くなりました。…
<始動します>
2月頃から続いていたコロナ騒動も、さすがに4ヶ月も経つと、新しい日常に変わりつつあります。この数年、毎週末は各地方で人材育成活動をしてきましたが、2月からは自粛しなくてはいけませんでした。 しかし、立ち止まるわけにはいきません。今まで以上に、それぞれの地域で苦しむ人は増えています。この3ヶ…
<たとえ思い通りにいかなかったとしても、全ての希望を失うわけではない>
2020年は、春も夏も甲子園で開催される高校野球の大会は中止となった歴史的な年となりました。 今までどれほど苦しくても、どれほどつらくても、厳しい練習に耐えてきたのは甲子園に行くためであった。そのような高校球児の夢ははかなくも消えてしまいました。 特に高校3年生にとっては、もう2度と…
<いつでも捜しているよ どっかに君の姿を…>
なぜ大切な人を失うと悲しくなるのでしょう? まもなくお迎えが近くなり、意識も薄れていく中で、私たちは本人と家族にどのように声をかけるとよいでしょうか? このような問いに、簡潔に答えることができるでしょうか? 私がこだわってきたことは、一部のエキスパートだけが行える援助ではなく、…
<本当の幸せは、身近なところにある>
昨日はFB投稿できませんでした。というのも愛犬が低血糖発作で意識低下、けいれん発作などから、一時期危篤状態となりました(もともと持病がありまして…)。ということで、一日、お休みを頂きました。深夜帯ではありましたが、ブドウ糖をシリンジで何度が飲ませ、何とか事なきを得ましたが、これからも何があるかわか…
不条理な今を生きていくこと その6:なぜ人は大切な誰かと会えなくなると悲しくなるの?
突然の休校の指示により、多くの学校では春休みが前倒しになりました。卒業を迎える学年では、準備もなくクラスの友達とお別れをすることになります。また多くの介護施設では、新型コロナウイルス感染予防の観点から、面会ができなくなりました。毎週のように面会に来ていた家族にとって、会えなくなることは、生活の一部…
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