コラム63:苦しみの中から支えに気づく文化 皆が穏やかに暮らせる世の中を作るために (1)

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コラム63:苦しみの中から支えに気づく文化 皆が穏やかに暮らせる世の中を作るために(1)
沖縄県立中部病院 呼吸器内科/地域ケア科 長野宏昭さま
(第1回ELCin沖縄受講生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター)

・患者さんとの関わりのなかで学んだ、援助を言葉にすることの大切さ

 私は学生の頃、勉強も運動もできない、何の取り柄もない内気な男子でした。医師になりたいという夢だけはあきらめきれず、浪人して悪夢のような受験勉強を乗り越えて、何とか国立大学の医学部に入ることができました。私は漠然と、「日野原重明先生のような、苦しんでいる人の力になれるような医師になりたい」「人の役に立つ仕事をしたい」と思っていました。

 ところが、研修医になってからは苦難の日々が待っていました。

 患者さんの力になりたくて、しかし、知識と経験不足から全然力になれない自分。

 たくさんの患者さんを診たいと思いながら、体力がついてゆかず、患者さんとを診ることができず、病気の診断が遅くなってしまうことがありました。持病の喘息も再発してしまい、私は自己嫌悪と絶望で押しつぶされそうになる日々が続きました。

 医師として、ダメダメな自分でしたが、唯一の救いは、担当患者さんの笑顔と優しい言葉でした。

 「先生と出会えて本当に良かった、ありがとう」
 「先生なら何でも話せる。これからもずっと私を担当してください」

 患者さんのその一言で、その日の疲れが癒されて、また明日からも頑張ろうと思うことができました。私にとって心の支えは、間違いなく、担当患者さんのかけてくださる言葉です。

 それは今でも私の力の源になっております。

 しかし、現場は綺麗なことだけではありません。

 私はこれまで、末期ガンや不治の病で苦しむ患者さんの役に立ちたい、少しでも寄り添いたいという一心で、患者さんと関わってきました。お看取りをさせていただいた患者さんは500人以上になります。しかし、力になりたくても、厳しい現実を目の当たりにして返す言葉が出てこず、悔やまれる事例もたくさんありました。

 医師になってまだ4年目くらいのことでした。エンドオブライフ・ケア(ELC)に出会うより、はるか昔のお話です。

 40代女性、現役でスナックのママをされている元気な女性カヨさん(仮名)。

 ところが、ステージ4の小細胞肺癌と診断され、化学療法を開始しましたが、病状はどんどん進行してゆきました。彼女はいつも

 「はやく元気になりたい、元気になってお店に立ちたい。お客さんが私を待っているから」

とそれを希望に治療を頑張っていました。

 傍らでは、旦那さんがいつも優しく寄り添って、彼女を勇気付けておられました。

 やがて、抗がん剤の副作用で髪の毛は少なくなり、嘔気も強くなりました。

 体調が悪いと、彼女は
 「私、あとどれくらいなん? もうすぐ死ぬの?」
 と私に問いかけました。

 私は言葉に詰まってしまい、その時は「最後まで希望を捨てないで頑張りましょうね」と述べることしかできませんでした。

 Kさんの病状が進み、いよいよご臨終が近くなったある日の夜。自宅にいた私は病院からの電話で目覚めました。ベテラン看護師から

 「先生、困ったことがあります。カヨさんはもうすぐ息を引き取られようとしています。旦那さんがカヨさんの枕元で大声で「もうすぐ死ぬからな、もうすぐ楽になるんやで!」と叫んでいます。ちょっと隣の部屋まで聞こえて不謹慎ではないでしょうか…」

 私は気が動転してしまい、とりあえず急いで病院へ駆けつけました。そして息も整わないままにカヨさんの病室へ入り、旦那さんに向かって

 「辛いお気持ちはよく分かります。でも奥様が聞いたら悲しまれると思うので…」

 と申し上げました。すると旦那さんは涙で濡れた顔を真っ赤にして

 「お前に俺たちの何がわかるんや!俺たちはな、がんて診断されてから、来る日も来る日も二人で泣き続けて、たくさん語り合ってきたんやで!よくそんなことが言えるな!」 と叫びました。私は一礼してその場を立ち去る他ありませんでした。

 あの時、私はどうすれば良かったのか…時が流れても、ずっと私の心の中でしこりとなって残り続けていました。

 

 私はあの時、本当にあの家族の支えになりたかったのです。
 でも、あの時はどう自分の気持ちを伝えて良いのか分かりませんでした。

 援助を言葉にするということは本当に大切なことだと、今になって思います。

 

・地域で繋がり、学び続けることの大切さ

 6年前、ご縁があって沖縄へ来て、伝統ある中部病院で働く機会をいただきました。沖縄に来てからは、奇跡的な出会いに数多く恵まれました。

 ELC協会との出会いは2018年5月、 沖縄で基礎講座を受講したことがきっかけでした。 その当時、地域の訪問看護師をしていた親泊朝光くんからELCの話を聴いて、自分の考えに近いなと思いました。小澤竹俊先生、千田恵子さん、全国のELC仲間との出会いは私にとって新たな人生の始まりを予感しました。

 沖縄ELCのファシリテーターは医師、看護師、薬剤師、介護士など職種を超えてつながり合っています。仕事で辛い事があったとき、プライベートで悲しいことがあった時も彼らに相談し、支えてもらっています。

 2018年以降、ファシリテーターが中心となって地域学習会を開催しており、これまでに5回の学習会を開催することができました。また、小学校、中学校、一般の方、学生向けに「折れない心を育てる、いのちの授業」を展開しており、私も認定講師となり活動を開始しております。

 共に学び続けることで、地域の仲間は単なる「顔見知り、仕事仲間」という関係から、共に夢に向かって走ってゆく「かけがえのない伴走者」という深いつながりへと進化しました。これからも草の根運動を続けながら、伴走者を増やしてゆきたいです。(後編に続く) 

エンドオブライフ・ケア協会では、このような学び・気づきの機会となる研修やイベントを開催しております。活動を応援してくださる方は、よろしければこちらから会員登録をお願いします。

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