エンドオブライフ・ケア協会
小澤 竹俊
イベントやコンサート中止が現実のものとなり、いよいよ不条理な思いは広まってきました。なぜ、楽しみにしていたコンサートが中止になるのだろう。どうして、来年ではなく今なのだろう。やるせない思いから、誰かに怒りをぶつけることがあります。
アルベール・カミュの小説「ペスト」から、不条理な今を生きるヒントを紹介しています。今回のキーワードとして「追放」を挙げます。
一般的ですが、不条理な災難に陥ったとき、人は周囲の世界から追放された感覚を覚えます。その典型例の1つとして、がん(癌)の診断を受けたときの周囲の対応です。それまでの生活が一変し、まるで腫れ物にさわるかのように遠ざかっていくと言います。中には、病気になったことを周囲に隠し続ける人もいます。特別扱いされたくない思い、今まで通りでいたい思い、迷惑をかけたくない思いなどからです。
しかし、周囲にその事実が知られたとき、状況は一変し、独特な視線があたるようになります。数ヶ月前のあたりまえの世界を懐かしく思い出し、その状況に戻ることを夢見ながらも、気がつくと厳しい現実が待っています。今まで、気づかなかった周囲との距離が、きわめて遠い存在に感じ、世の中から追放された感覚を覚えます。
今回の新型コロナウイルスの診断を受けた人や、その人が出入りされていた施設・地域は、独特な疎外感を覚えたことでしょう。何か特別なことをしたわけでもないのに、たまたま感染が確認されただけで、名前が挙がり、周囲から追放されるような事態に追い込まれてしまうこともあるでしょう。
小説「ペスト」にもその様子が描かれています。
そういうわけで、ペストがわが市民にもたらした最初のものは、つまり追放の状態であった。
(中略)
実際、まさにこの追放感こそ、われわれの心に常住宿されていたあの空虚であり、あの明確な感情の動き-過去にさかのぼり、あるいは逆に時間の歩みを早めようとする不条理な願いであり、あの突き刺すような追憶の矢であった。かりに時おり、われわれが想像のおもむくままに任せて、帰宅の呼鈴の響き、あるいは階段を上る聞きなれた足音を楽しみに待ってみたところで、そしてその瞬間、汽車が動かなくなっていることをみずから忘れる気になり、そこで普通夕方の急行で来た旅客がこの界隈にたどり着く時刻に、ちゃんと都合をつけて家にいるようにしてみたところで、もちろん、そういう遊びは長く続けていられなかった。必ずある瞬間がやって来て、汽車は到着しないということにわれわれははっきり気がつくのである。
(中略)
結局現在のとらわれの境遇を再び完全に認め、過去のことだけに追い込まれてしまい、そして、かりにその内の2-3人の人々が未来に行きたいという誘惑を感じていたとしても、想像を心の便りにしようとするものが、結局そのためにこうむるところの傷の痛みを感じて、すくなくともできうる限りすみやかに、それをあきらめてしまうのであった。
あらためて私たちは、このきわめて理不尽で不条理な現実とどのように向き合っていけば良いのでしょう。
誰かを批判しても、社会は良くなるとは思えません。志のある仲間とともに、この難局を乗り越える方策を探していきたいと思います。(つづく)
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