エンドオブライフ・ケア協会
小澤 竹俊
あたりまえのことですが、人は自由に物事を選ぶことができます。みんなで集まっておいしい物を食べたり飲み明かしたりしたい、大好きなグループが参加するコンサートに行きたい、楽しみにしていた映画を見に行きたい、学びたかった研修会に行きたい。ところが、本人の希望に反して、これらの自由が一方的に奪われると、きわめて理不尽で不条理な苦しみを味わいます。
なんで中止になったの!
どうして楽しみにしていたイベントにいけないの!
一人の人間として、希望する選択肢を自由に選べない苦しみは、生きる希望を失うほどの苦しみにつながることがあります。これは、基本的人権に関わる大切なことです。
アルベール・カミュの小説「ペスト」から、不条理な今を生きるヒントとして、今回は、この選ぶことができる自由は、お互いに認め合うこと(相互承認)について紹介します。
新聞記者のランベールは、立ち寄ったアルジェリアの町オランで、突然発生したペストのために、町は封鎖されてしまいます。自分を待っている女性のもとに戻りたい一心で、さまざまな努力をします。自分がペストにかかっていないという証明書を書いてほしいと医師リウーに嘆願しますが断られてしまいます。そして、医師に言います。
「つまり公益のための職務ということをいわれるのでしょう。しかし、公共の福祉ってものは、一人一人の幸福によって作られているんですから」
「しかし、僕はあなたが正しいとは思えません」
「あなたは抽象の世界で暮らしているんです」
自由が奪われる苦しみから、誰かに怒りをぶつけたい思いになることは、しばしば医療の現場でも経験します。しかし、大切な事は、自由はお互いに認め合う(相互承認)ことなのです。
いのちの授業として、時々引用する小ネタを紹介します。
なぜ人を殺してはいけないのですか?
もし、皆さんが子どもからこのような問いを向けられたらどのように答えますか?そんなの当たり前だよ、と一方的に説明して子どもは納得できるでしょうか?できれば、難しい言葉ではなく、みんなのわかる言葉でこの問いに答えることができると良いですね。
ここでは、王様ルールという授業を紹介します。子ども達に4人ぐらいの小グループを作り、みんながそれぞれ王様になったらどのような法律を作ると良い国になれるのか?を考えてもらいます。王様はルールを決めることができることができます。
子ども達は、何時間でもゲームをしてよいルールがほしい。宿題のないルールがよい、好きな時間にご飯を食べても良い、眠いときには寝坊しても良い、など、さまざまな意見が出てきます。
そこで、もう1つルールを追加します。王様は自分で決めたルールを自分も守らなければいけないことを伝えます。自分が決めたルールは、その国に住むすべての人が当てはまるので、王様としても例外ではなくなるのです。
その上で、もしこの国のルールに、“人を殺しても良い”というルールを加えたらどうなるでしょうか?と考えてもらいます。もし、そのルールを王様が決めたならば、王様も他の誰かから殺されても良いというルールとなります。子ども達は、自分が殺されても良いというルールは、良くないルールであることを自分ごととして感じます。
自分が自由でいたいということは、相手の自由を認めるということでもあります。自分だけが自由で、相手は不自由でよいというのは、単なるわがままです。
新型コロナウイルスの影響を最小限にするために、今は個人の自由が制限される有事の状態です。自由が奪われ、苦しくて誰かを批判したい気持ちになるかもしれません。しかし、自由を奪われた人は、自分だけではありません。他の人達もさまざまな苦しみを味わっています。
苦しいときだからこそ、お互いを気づかい、支え合う社会でありたいと願います。不自由である今だからこそ、私たちの何気ない優しさが、求められています。(つづく)
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