コラム19:「それぞれの生き方を選択した熊本地震」 ~地域の絆で暮らす一方、地域を離れるという決断~

  • 地域

  • 家族

  • 関わるすべての職種にできる援助

2016.10.24

コラム19:「それぞれの生き方を選択した熊本地震」 ~地域の絆で暮らす一方、地域を離れるという決断~

熊本県熊本市南区在住 
グループホーム ヒューマンケア富合 施設長 

前川春美さま(ELC4回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター) 

 雄大な阿蘇山を構える熊本も、4月は多くの人にとって、希望と不安の中で、夢膨らませて人生のスタートを切る楽しい時期。そんな生活を4月14日21時26分、M6.5の地震が2回、その28時間後(16日)にはM7.3の地震が襲った。

 誰もが予測不能、信じられない出来事であり、それは県内の広範囲において家が倒壊や半壊し、道路が寸断されるという、悲惨な状況だった。長年暮らした家が無くなった、地域の顔なじみの人が亡くなったという現実を受け止めるには時間を要した。数回に及ぶ地震は必ずしも避難所を安全なものとは感じさせず、恐怖の余り車中での避難者が増えた。

 自宅の全壊を目の前に、「命があっただけでも」とのつぶやきが聞かれるようになったのは、地震の回数が減り始めた頃。避難所はプライバシーが守られた環境としての機能はなく、恐怖を共有している地域住人同志として身を寄せ合う「場所」に過ぎない。頻回の揺れにより、地元を離れる家族もおり、また高齢者は施設入所となるなど、地域は変貌していく。避難所ではお互いに顔なじみ関係となり落ち着き始めたとはいえ、家の片付けや仕事に出掛け、普通の生活を取り戻すために被災者は必死である。

 今回の熊本地震は、全国的に防災の在り方を考える機会となった反面、一瞬にして変わる自然に対する恐怖の出来事を前に何が出来るかと無力さも感じることとなり、大きな揺れの持続は子供達、高齢者、障害者の方々に大きな心の傷を残してしまった。

 今、この悲惨な状況を目の前にしながらも、一歩ずつ前に進むしかないと、被災地、被災者はこれからも地域の力を結集して戦い続けるであろう。しかし、「命があっただけでも良かった」の声が、復旧が長期化してくるとともに、「家と一緒に死んだ方が良かった」と聞かれるようにもなった。こうした言葉が聞かれるようになったことは、この地震の大きな爪痕である。

 

「震災の経験から学んだこと」

 地震直後から、地域の志ある方々や、県外からも多くの支援を得て、高齢者や子供達への生活支援が行われている。狭い車中に家族で泊まり続ける上でのストレス、避難所においても人間関係面での課題があるばかりでなく、高齢者、乳児が安心できる居場所を確保出来ない中で集団生活を送ることは辛い。ましてや、度重なる地震に不安と恐怖が募り、被災者のみならず、多くの人が疲弊してしまっている現状である。

 月日の経過は被災者のニーズにも変化が現れる。辛い気持ち、不安な気持ちを誰かに話したい、気持ちを分かち合いたいとの声が聞かれ始めた。私達は避難所の静かな部屋でお茶や体操、アロママッサージを行うと共に、「話を聞き、大きな声で話し、笑う場所」として茶話会を催した。

 避難所でのトラブルにならないように、また夜間の足音への配慮などもしながら、次々と話を伺っていく中で、「笑顔や笑い声」を聞くことが出来た。やはり、辛い時、悲しい時に誰かに話したい、話が出来ることは大きな支えであることを実感した。このことはエンドオブライフ・ケア援助者養成基礎講座で学んだ、「(相手にとっての)よき理解者となる」ことが実践出来たことではないかと思える。

「エンドライフ・ケアに対する思い」

 以前から「人と向き合うこと」が支援者として大事であることは理解出来ていたが、「話」を聞くだけで自分が理解者となれていると、一方的に思っていたところがあったのではないか。エンドオブライフ・ケア援助者養成基礎講座を受けて、自分自身「向き合えていなかった」ことを知り反省する一方、「向き合うこと」の難しさを感じた。

 今回の熊本地震での死亡者、家が倒壊された方に対する物資は、時期に応じて大きな支援となることは間違いないが、目の前の避難所へ出向き被災者の方の声に耳を傾けることが出来たことは、講座を受けてからの気づきでもあり、多少なりとも「向き合えた」ことではないかと思える。

 従来看護師として、穏やかな死を願って関わってきた経験が、自然災害による突然訪れる「死」や「苦悩」にこれからどう向き合い、声掛けを行っていけば良いのかと考えた時に、講座で学んだことを実践し生かすことが出来ればと考える。「自分がよき理解者である」と思うのではなく、相手に「自分の良き理解者である」と思ってもらえることが被災地では大切なことである。

 向き合い実践する為には努力と学びを深める必要性を痛感したのも事実。突然訪れる環境の変化に苦しむ多くの人達(支援する側もされる側も)がエンドライフ・ケアを学ぶことで、お互いに、相手から見た「良き理解者」となり得ると期待している。それは専門職の多職種に限らず、出会うすべての人の力となる学びでもある。これからも被災者が「それぞれの生き方を選択出来る力」、いわゆる、一歩前進に繋がっていく活動の継続を深めて行きたいと願っている。

今後の目標や課題

 終末期において「心のケア」を重点にしたいと思い続けていた私は、今回突然訪れた災害により、思いもかけない状況で主人を看取った知人の苦しみと遭遇することになった。癌末期と告知直後、被災しトレーラー避難所で亡くなったご主人。ベッド上での穏やかな最期とは程遠く、環境も整っていない。今も家族はそのトレーラーで生活する。50代の夫(父)は癌と闘いつつ、妻や子供達を残していくことが、被災直後の落ち着かない環境から心配で仕方なかったと察する。妻と小学生の子供達は不安、恐怖、寂しさが癒えていない現状で、夜も川の字になって寝ているとのこと。訪問しては妻の話、子供達と学校の話、部活の話を聞くことしか出来ない無力さを感じながらも、時には笑い声を聞くと微力ながらも支えているのではとも思うこともある。

 人はどんな境遇になっても生きて行かなければならない・・・そんな時に傾聴出来る人間力を持てたらと考える。その人らしい「人生の終わり」が準備出来た人、突然に死が訪れた人にも、ご本人やご家族にとって、心穏やかな気持ちを持つことが出来たらと願う。

 これから「全人的な捉え方で向かい合う」ことを自身の課題とし、自分の学びという範囲にとどまらず、専門職や一般の方に講座の機会を企画し、多職種連携により、住み慣れた地域で暮らす、死ぬことを選択が出来る環境づくりに貢献したい。このことは自分自身の願望でもあり目標である。

エンドオブライフ・ケア協会では、このような学び・気づきの機会となる研修やイベントを開催しております。活動を応援してくださる方は、よろしければこちらから会員登録をお願いいたします。

Theory of Change

セオリー・オブ・チェンジ