コラム24: どんな状況でも逃げずに傍にいる、ということ
ホームケアクリニックえん 緩和ケア認定看護師 高橋 美保さま
(JSP第3期生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター)
当クリニックは東北の雪国、人口7万程の工業・農業の町にあります。春には1万本の桜が見事な「北上展勝地」があり、市民の方々はもちろん療養されている方々も春を楽しみにしています。
高校の時に出会った本に影響され、地域で療養し生活する人の傍らで仕事をしていきたいと考えていた私は、訪問看護の道を選んでいきました。卒後経験の少ない私が訪問させていただいた方は、今の私と同い年の肺がんの女性でした。介護保険制定前であり、地域で訪問される医師もない中、呼吸困難症状に対する知識も技術も不足だった私は、その方の背中をさすることしかできず、本人もご家族もつらいまま最期を迎えてしまいました。
自分は何ができたのか?今でもその方のことは夢にみることがあります。
病院からの訪問看護を経て、訪問看護ステーション看護師、そして訪問診療を行うクリニックの看護師として、地域の多職種と関わる私の原点になっています。
つらさに焦点をあてた緩和ケアを学ぶにつれ、身体の症状について少しは対応できるようになってきた頃、娘と同級生の骨肉腫の高校生の男の子を訪問させていただきました。長期間病院での治療後ご自宅での療養を始めたその子は、好きな音楽を聴き、夢は「普通にショッピングセンターで自由に買い物をしたい」と私に話してくれていました。歩行はできず、日毎に下肢の痛みやしびれが悪化し、不眠や食欲低下がみられてくる中、自宅に戻ってからその子は薬の内服を一切止めていました。入院中ずっと薬の害についての本を読んでいたようです。「薬は飲みたくない」「でも痛い。苦しい。なんとかして」訪問時間にその子から望まれたことは、とにかく痛いところをさすっていて欲しい、ということだけでした。
ご両親や兄弟はそれぞれの思いもあり、家族内での意見の対立もある中、私は毎日訪問先の玄関のチャイムを鳴らすことがつらいと感じるようになりました。このような思いを持つ事自体にも、自分自身落ち込み、小澤先生に相談しました。先生からいただいた言葉は、「どんな状況でも逃げずに傍にいること」何もできない自分ですが、その言葉に背中を押されて訪問を続けました。
最終的には緩和ケア病棟に入院し、お別れをしたのですが、後程お母さんから「亡くなる前の晩、息子から抱きしめて欲しいと話され一晩抱っこして眠りました。病気になってから、病気を抱える子供に産んでしまったと申し訳ない気持ちで、触れることが怖くて必要最低限しか触れていなかったのです。ずっと息子からは抱っこを求められていたことに気がつかないふりをしていた。でも、ずっとさすっている看護師さんを見て自分もできるかなって思えたのです」と。
つらい状況であればあるほど、逃げずに傍にいることは、未熟な私は正直「しんどい」です。でも、こうして背中を押してくれる人がいて、まわりに相談できる多くの人がいると、「しんどいこと」は、状況が変わらなくても前に進む力になります。
医療機関も、介護施設も、そこで働く人々も都市圏に比べてかなり少ない岩手北上ですが、少ないからこそ「つながろう」とする思いが強い町でもあります。
この北上で安心して生活し続けるために、エンドオブライフケアは、特別なことではなく当たり前のこととして、医療介護の専門職だけでなく、一般市民も一緒に考えていけるよう、今日一日を大事にしていきたいと思います。
エンドオブライフ・ケア協会では、このような学び・気づきの機会となる研修やイベントを開催しております。活動を応援してくださる方は、よろしければこちらから会員登録をお願いします。
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