コラム28:支えること、支えられること

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  • 家族
  • 死別後のつながり

コラム28:支えること、支えられること

医療社団法人 大坪会 三軒茶屋第一病院薬剤科          薬局長 平島 明希枝さま(ELC第26回生)

 

 

 私は大学卒業後、小澤先生の母校である東京慈恵会医科大学附属病院に入職し、結婚を機に退職、調剤薬局を経験し現職に至っています。

 29歳の時、第一子の娘を亡くしています。勤務していた慈恵のICUで亡くなりました。

 その当時、病棟に薬剤師は出ておらず、外来調剤担当だった私にとって病院は「回復」する「希望」の場所でした。そんな甘い認識しかなかった私にとって「死」は「恐怖」となりました。

 

 その後、次女三女と恵まれ仕事を再開しましたが、生活からも仕事からも「死」を極端に避けていました。

 勤務していた調剤薬局は施設在宅に特化していましたが、業務拡大で無菌調剤室を造設し個人在宅訪問を始めることになり、私が個人在宅チームの一員に選ばれてしまいました。

 終末期の患者宅を訪問し服薬指導をする。薬剤師にとって当たり前の業務でしたが、訪問の度に娘を思い出してしまいました。患者の近い将来に「死」が迫っていること、それに私が関わることは本当に苦痛でした。独居の患者とは向き合うことが出来ませんでした。

 

 ある日亡くなった患者の娘さんから私宛てに電話がありました。娘さんは「薬を届けてくださりありがとうございました」とおっしゃいました。思いもかけない言葉でした。

 私が感謝された。そのとき、娘も私も娘の人生が終わろうとしている時、顔も名前も知らない方々に支えられていたのだと気付きました。景色が一変したように感じ、しばらく涙が止まりませんでした。私も支えてもらったように、今度は私が患者、家族を支えよう。

 それからは意識が180度変わり、微力ながらもその方の人生の最期の1ページの片隅に小さく載せていただけることにやりがいを強く感じるようになりました。

 高カロリー輸液調製、オピオイドの服薬指導、HPNのフーバー針やルート類の規格・種類の選択などの業務を行っていました。在宅クリニックでの朝カンファレンスやデスカンファレンスにも参加しました。

 現在は東京都世田谷区にある一般病床58床、療養病床115床の療養型病院に勤務しています。オピオイドの使用患者は月2~3人ほどで、オピオイドに不慣れな医療者が多いと感じています。終末期患者に対する思いは今も変わりませんので「痛みに苦しむ患者に積極的にオピオイドを導入し痛みから少しでも開放してあげたい」それが病院薬剤師である私がいま取り組んでいることの一つです。

 昨年勉強会目的の緩和ケアチームを立ち上げ、リーダーをしています。メンバーは薬剤師1人看護師8人です。月一回カンファレンスを行い、オピオイド使用患者の情報共有、オピオイドを適正に使用するための勉強しています。先日はPCAポンプを取り上げました。今年一月には全職員対象に院内研修を行い、チームが介入した症例を発表し、フェイススケールを全職員に配布しました。

 

 その一方、在宅訪問時から心に引っかかっていたことがありました。患者や家族に思い入れ過ぎてはいなかったか。終末期の患者、家族に対しての関わり方、接し方は本来どのようにすべきなのか。今までの対応で良かったのか。

 そんな時小澤先生の存在を知り,ELCに辿り着きました。私はまだ受講してから2カ月も経たない新入りです。2日間の衝撃はまだ抜け切っていません。

 

 多死時代を迎えるにあたり、在宅、介護施設と並んで当院のような療養型病院こそエンドオブライフケアをコメディカルも含め全職員が学ぶべきと考えます。

 今後はエンドオブライフ・ケア援助士の認定を受け援助方法を学び続けるとともに、緩和ケアチームのリーダーとしてオピオイドの適正使用を促し、全職員が患者、家族の援助を実践できるよう当院の終末期医療を支えることが私の目標です。

エンドオブライフ・ケア協会では、このような学び・気づきの機会となる研修やイベントを開催しております。活動を応援してくださる方は、よろしければこちらから会員登録をお願いします。

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