コラム38:ディグニティセラピーと「千」の語り
千葉県がんセンター 緩和医療科部長 坂下美彦さま
(ELC第19回生 ELC東京代表 認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター)
エンドオブライフ・ケア協会のディグニティセラピーワークショップに参加し、患者さんにディグニティセラピーをさせていただくようになった。患者さんの語りを聴かせていただき、感じたことを書かせていただく。
ディグニティセラピーでは患者さんが人生において大切に思うこと、誇らしく思うこと、成し遂げたこと、大切な人へ伝えたいことなどを質問し、語っていただく。患者さんが語る内容はその人の人生が濃縮された集大成であり、まるで貴重な宝石のようなものだ。
しかし宝石とは違い、患者さんの語りはこの世に物体として存在するものでははい。そもそもそれらは「言葉」や「ストーリー」の形でしかこの世に存在することができないものである。それらは語られることにより明らかとなるが、もし語られることがなかったら、患者さんの死とともに永遠に消えて無くなってしまう儚い(はかない)ものだ。
自分だけがその貴重で儚い語りを聴かせていただいたことに重大な責任を感じてしまう。これを何とか形のある文書として残し、大切な人に届けなければいけない。それを語った時の患者さんの生き生きとした表情、目の輝き、息づかいも一緒に残せるだろうか。
語りはその患者さん一人一人の人生によるものであり、その内容は一人一人が奥深くユニークである。しかしある時、患者さんの語りを聴きながらふと気が付いた。以前にも同じような事を語ってくれた人がいた・・・・そういえば、同じような表情、同じような目で語っていた。
人生で大切に思うこと、誇らしく思うこと、成し遂げたこと、伝えたいことなどは、一人一人が違う言葉、違うストーリーで語られるけれど、もしかしたら人生の本質には普遍的なものがあるのかもしれない。「一生懸命生きたこと」、「正直に生きること」、「人に親切にすること」、「家族を大切に思う気持ち」、「家族への感謝の気持ち」などなど、それらは時代や国を越えて人類共通の本質なのかもしれない。誰にでも共通する人生の本質は「千」の言葉、「千」のストーリーで繰り返し語られるのかもしれない。それらの本質は既に我々の心の奥にも宿っている。だからこそ、患者さんの語りは我々の心に響くのであろう。
緩和ケアに携わることは、我々の心と人生を豊かにしてくれる。以前からそう思い仕事をしてきたが、ディグニティセラピーを行うようになって更に強く感じるようになった。患者さんが語られることは患者さんの「支え」である。人はどんなに厳しい状況にあっても「支え」があれば穏やかになれる。穏やかであること、それは厳しい病いの状況でも、その人が病いを乗り越えたということだ。臨終を前に穏やかであれば生死をも乗り越えたと言えるかもしれない。そのような患者さんの「支え」に触れる時、人間の本来の強さ、すばらしさに心を打たれる。それらは我々の糧となり、いずれ自分の「支え」ともなる。なぜなら患者さんの「支え」の根源は、既に我々の心の奥にあるからだ。
一人一人の患者さんの語り、生き生きとした表情、目の輝きは忘れることはできない。それらは我々の心と人生を豊かにしてくれる。それがこの仕事に携わることの恩恵であり報いである。
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