コラム39:Bearing Witness:国際NGOで学んだ私がいま伝えたいこと

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志田 早苗さま

このコラムは、ディグニティ・セラピーの一環として、ご本人が大切にしてきたこと・伝えたいことを口頭で伺い、ご本人の言葉を活かした形で執筆・編集したものを、後日ご自身の目で確認していただいたものです。お名前・写真の掲載を含めてご承諾をいただきました。ご家族へのメッセージという形ではなく、このような形での掲載を希望され、掲載後の2018年5月7日、ご自身が希望された自宅で最期を迎えられました。志田さんのご冥福をお祈りいたします。

 

Bearing Witness:
国際NGOで学んだ私がいま伝えたいこと

 

 小澤先生の患者として、在宅で訪問診療・訪問介護のお世話になっています。

 

 私が患者として小澤先生から毎回毎回問いかけられるのは、どうすれば穏やかに過ごせますかということ。その問いを受けて、今まで患者は医者任せにして、自分がどう過ごしたいか考えてこなかったのではないかと思い知らされました。

 

  繰り返し繰り返し問いかけられるなかで、あなたの人生なんだから自分でちゃんと決めましょうよ、ということを問われている気がします。そこの決定権をちゃんとゆだねてくれている。そんな当たり前のことに気がついたことは大きなショックでした。

 

 患者が医療を取り戻す。しっかりしろと言われている気がして。最期まで、死ぬときも死ぬことも、全部人にゆだねていいんですかって。もう少し自分で考えてみませんかって。患者にがんばれっていうのではないけれど、でもそのくらい考えてもいいんじゃないかなって。そうでなかったら、資源が少なくなって人が少なくなったときに、どうやって自分で穏やかに死んでいけるのでしょうか。もう少し自覚的になってよいのではないかと思うのです。

 

 私は在宅で医師や看護師さん、ヘルパーさんなど、いろんな方にお世話になっていますが、私にとって、在宅で過ごすことは病院で過ごすこととは大きく異なります。家にいるからいいというものではないと思うのですが、自分で選べる、そういう感覚があるから、治ってきているって思った。調子がよくなればよくなったって思えるかもしれないけど、そうじゃなくて、自分がこうしたいと思うことができている。自分が選ぶってこと。そこかなと思います。

 

 病院でしかできない医療だってあるかもしれないし、病院を選ぶという選択肢があってもいいと思うのですけど、自分が選んだっていうところが大事かなと思います。

 

 ただ、多くの患者は、家族との間でそういうところに葛藤するのではないでしょうか。自分で決めるということ。

 

 私も父親と喧嘩をしたことがあります。一時期具合が悪くなったときに、なぜ病院ではないのかと言われました。父の頭の中には完全看護が一番であるというゆるぎない信念みたいなものがありました。私はこれまで在宅で気楽にいろんな人にケアをしてもらいながら過ごしてきたことがいかによかったかということを、こんなに言ってきたのに、それでも父は全然わかっていなかった。

 

 私自身もようやく4ヶ月、こういう生活をしてきたなかで、自分で経験して、なんとかやっとわかったという感じです。ここまでわかるのは相当時間がかかるんだろうなと思います。病気に立ち向かっている患者本人でなくて家族だったらなおさらわからないし、困るだろうなと思うのです。そう感じて、在宅医療をもっと広げてほしいという気持ちがある一方、今までの病院信仰というものがすごく大きいものだっていうことを改めて感じています。

 

 退院してきたころは本当に大変でしたけど、おかげさまで先生、看護師さん、ヘルパーさんのチームが、ほんとみなさんすごくいい方たちで。何もできなくて、お願いしますっていう状態だったのを、まず環境をきれいにしてもらった。体調が悪いと掃除なんてしたくないし、できないじゃないですか。それがまたいらいらになる。ああ、掃除してないわ、汚くていやだわとかね。そういう悪い「気」が12月ごろはたまっていたんだと思うんですよ。動けないし。それが、毎日きれいにしてもらって、それなりに、お風呂にちゃんと入って、薬はこれでとかいうふうにやってもらって、それで家の中がきれいになると、いい「気」が入ってきたっていう感じがするんですよね。薬が効いたのもあると思うんですけども、なんかそういう、「気」が変わってきたことのほうが、私にとっては回復の手立てになったような気がします。だからそういう環境にいるのはすごく大事だなって。いろんな意味でいい環境、いい「気」のなかにいるってすごく大事だなって思いますね。

 

 在宅だからこそ、これができた。家の中の「気」をきれいにしてくれた。それが在宅医療の一番大きな効能だったんじゃないかと実感しています。そういう、いい「気」が流れているこの場所で、私が大切にしていることを言葉にしてみたいと思います。

 

何にも属していない「個としての自分」と「理不尽なものへの怒り」

 私自身は世の中の平均からすると、割と恵まれたところで過ごせたと思うんですね。たとえば明日食べるものがないというような、生活の心配をすることなく過ごしてこられたということはすごく幸いだったと思うし、ある程度教育を受けてこられたというのはラッキーだったなって思う。それに、自由な発想をするっていうことが許された。うちの両親はすごく、意識してというわけではないんですけど、型にとらわれなくていいっていうような、人の目を気にするということがない人だったので、なんでも自由にやらせてくれた。それはすごく感謝していますね。

 

 自由って測るのは難しいんですけど、同じように自由に教育を受けて、同じように自由を謳歌してきたと思われるような人と話していても、意外と家と家の、親戚のなかでの決まりごととか慣習に囚われている人って結構多いなって私は感じていて。みんなそういう呪縛から逃れられないのかな。うちの親は転勤で、ほかの親戚といつも離れて過ごしていたので、しがらみが何もなかったっていうことが大きかったかな。あと、親の転勤で私も転校したので、前からの関係を簡単に断ち切ることができた。小中のとき、近くにいると、ずっと同じ、昔から知っている友達、そういうなかで育っていく。それはそれでいいでしょうけども、私の場合は全部切れちゃって。私のことを知っている人が誰もいないところで、私はのびのびと生きることができた。

 

 何にも属していないっていうのって、結構ラクっていうか。小学校時代の自分を知っている人から、ずうっと、あんたあのときこういうこと言ったよねって言われたら、嫌だなとすごく思うけど、そういうところからまったく自由であること、何にも属してない自分っていうのが、私はラクだと思うんですよね。

 

 でもみんなは属したがるんですよね。どこの誰って言いたがるでしょ。そういうのがないっていうのが私はすごくラク。だけど意外とみんな、属することを望んでいるんだなって、大人になって、わかってきたんです。そのときは、そんなこと感じなかったんですけど、いろんな人から学校時代の話とか、親戚がどうのとか、そういう話を聞いていくと、ああ私はすごく自由に過ごせたんだなって。それはすごくラッキーだったなって思うんですね。

 

-属していることによって、アイデンティティが外から与えられるわけですね。私はどこの誰である、と。そしてここにいる限り、私は私でいられる、と。志田さんは、個がしっかりしていらっしゃるから、別に周りからアイデンティティを与えられる必要もないということなのでしょうか。

 

 まあ、そういう言い方もできるかもしれないですね。かっこよく言っちゃうと。あんまり自分では意識してなかったんですけど。若いときに、なんでそんなに自由がいいって言うの、って言われたことがあるんですよ。だって、十分自由じゃない、って。でも私はもっと自由になりたい、もっと自由を求めたいんだって、そんな会話をしたことがあって。みんな自由じゃなくていいのかな、って思ったことが結構あるんですよね。 

 

 何かに属してというのは悪いことじゃないんだけども、その前に、個である自分がいるはずだと思うんです。たとえば、自分に降りかかる話ではないけれども、見ていて理不尽だな、嫌だな、許せないなって思うことってあるじゃないですか。何も悪いことしていないのに、子どもが空爆で被害を受けるとか。生活保護の支給額がカットされるとか。弱いものにしわ寄せがいくっていう、それに対する怒りっていうのかな。生きてくうえでの心配、生活していくうえでの不安というものがないように、社会というものはあるべきであって、それが保証されていない社会って絶対私は嫌だなって思うんですよね。

 

 そこで何か言いたい、何かしたいって思っている人は実はたくさんいると思うんです。だけど、それがうまく言えない。行動できない。何かに属して改善できることもあるかもしれない。でも何かもっと違う方法で。そういう思いをもっとぶつけたいと思っている人はたくさんいるんじゃないかと思うんですよね。志高い若い方々は増えてるとは思うんですけどね。

 

組織に属するからこそできた経験:国際NGOグリーンピース

-志田さんご自身が自由を謳歌しているとか、いきいきしているなと思ったころとして、思い浮かぶのはどんなときですか。

 

 一番おもしろかったということであれば、やっぱりグリーンピースにいたときですね。国際NGOをバックにして、何でもできた。それはちょっとずるかったかなって思うけど。そのおかげで、普通の人ができない経験がいっぱいできたのはおもしろかったですね。核実験場にも行きましたから。

 

 95年に、フランスの核実験を南太平洋で再開するということで、すごい反対運動が起きたんです。核実験はだめだっていうことは、原爆のこともあるから日本の中でも世論は動かしやすいし、グリーンピースも核実験に反対するっていうところで生まれた団体ですから、もうそれは総力挙げて、抗議活動をしたんですね。

 

 グリーンピースは船を持っていて、その船で、核実験場にとにかく入っていって、実力でジャマするわけですよ。「いくぞいくぞいくぞー」って言っておくと、さすがに実験できないじゃないですか。見殺しにしたとか、後ですごく非難がいくだろうから。そんなわけで人海作成でとにかくそこに行って、船で入ってジャマする。核実験場に入ると周辺何キロ、それはフランス政府が勝手に決めるんですけども、ここから入っちゃいけないというのがあるんですね。そのぎりぎりのところまで行って、船で待機していて、小さいボートで入っていって、「はんたーい」って。

 

-命がけですね。

 

 そりゃあ命がけですけど、それは国際世論のバックアップがあるから。話題になる人を各国から連れていくわけですよ。世界のいろんな国の議員が集まって、反対しようっていうのも、自然体で作り上げて。各国から議員を募集して、私はそのとき日本から国会議員を3人連れて行きました。日本の国会議員も反対するぞってね。

 

 はじめのころは国内の世論作りで、署名集めたりとか、それから国会で決議を出させるとか。そういう働きかけとか、日本の中での世論作りをやって、フランス大使館に抗議に行くとか。そんなことをやって。実際に行ったのは、たしか8月ぐらいだったかな。

 

 いろんな話題を作って、でジャマするわけですよ。議員が入っていくぞーとか言ってね。何回実験をするっていっても、それをできるだけやらせないようにするとかね。そういうことを半年ぐらいやったかな。それで、議員が入ったぞーとか言って中に入ると、一応フランス政府が逮捕したりするわけですね。しょうがないなあとか言って。

 

-逮捕されちゃったんですか?

 

 逮捕されましたよ。実際の実験場っていうのは実は2つあって、メインのモルロアとサブのファンガタウファというところがあって、次の実験場は、たぶんファンガタウファだろっていう情報が入って。じゃあ今度はそっちに行こうっていうことになって。4人で行きました。 

 

 一人はちゃんとしたドライバー、ゴムボートを運転できる人。他はオーストラリアとニュージーランドからきた、ボランティアの人。オーストラリアとニュージーランドは近いし、ヨットを持っている人が結構多いので、ボランティアで抗議行動に来る人がたくさんいたんですね。それで制限区域内に入っていったんですけど。フランスのでっかい船にゴムボートが追突されて、突き上げられちゃって。

 

 ばーんって、私ぶつけられて、左靭帯損傷。痛かった・・・。靭帯が縮まっちゃったって言うかね。歩けなくなっちゃって。それでフランス軍で治療は受けたんですよね。そのまま拘束されて、基地に連れて行かれて。待遇はよかったですよ。ごはんもね、うまいじゃんなかなか。

 

-余裕ですね。

 

 核実験場でレントゲン撮られて、被爆しちゃったよ、みたいな。もう笑い話ですよね。まあ、骨は折れてないと。

 

-名誉の負傷。

 

 そうそう、名誉の負傷。それもね、キャンペーンに使ったわけですよ。怪我させられたーって、日本でわーって言って。グリーンピースの日本の事務局長拘束された、と。

 

 結構ニュースになって、うちの父親が友達と、温泉かどこかに行っていたらしいんですけど、それでニュースになっていて、「なにやってんだ、娘は」って。

 

 でもそこで、なにやってんだよっていうような親じゃなかったのはよかったですね。あーびっくりしたよーって。

 

-余裕ですね。やはり親御さんも、どんと構えていらっしゃるというか。

 

 まあ今から思えばね。私は普通の親だと思っているんですけど。割と鈍感なのかもね、そのあたり。

 

 それで、拘束されて、一応治療受けて、痛み止めもらって、松葉杖借りて。それで強制送還になりました。

 

-まるで、兵士ですね。

 

 そう、グリーンピースは船の名前にも、虹の戦士たちってあるとおり、ソルジャーです。最終的には強制送還。でも強制送還って飛行機だから、ラッキー!

 

 船だとすごく遠くて。来るとき船酔いしちゃって、船で帰るの嫌だなって思ったから、拘束されて、早くていいじゃん、お金かかんないしと思って。

 

 普通は、拘束されたら、実験場に近い、タヒチで釈放されるっていうのが今までのパターンなんです。フランス領なので。そうしたら、一緒に行ったグリーンピースのメンバーからの情報で、どうも俺たちは国に帰されるらしいぞって。あっそう、じゃあラッキーじゃん。1回で帰れて。なんて思って。

 

 海上で拘束されて、実験場の基地に連れていかれて、それからタヒチまで連れていかれたんですけど、軍用ヘリ、映画に出てくるような、真ん中が何もない、あれに乗せられた。軍用ヘリに乗るっていうのもなかなかないでしょ。

 

 それで核実験場を上から見渡すと、一面珊瑚礁なんです。もうすごくきれい。木とかは全然なくて。ただただ、キレイなその珊瑚礁だけ。そこでがんがん、核実験をやっていたわけです。

 

アクションすることの意味

 フランス軍には外国人部隊というのがあって、タヒチでは日本人の兵士に出会った。調書をとるとき、反対運動だから、みんな答えることは共通して、英語でこういうふうに言おうねと言っていたら、通訳として日本人が出てきた。こんなところまできてね。 

 

 外国人部隊のルポを読んだのだけど、入隊するのは意外と普通の理由。自分が日本にいても行動に起こせないから、じゃあ外国に行ってお役に立ちたいとか、そう人もいたみたいだけど。でも軍隊っていうのは、行動を起こす方向性が違うんじゃないのかなって私は思いますけどね。だって、フランスに軍隊があるのはなんのためかといえば、結局侵略のため、植民地を支配するためのものじゃないですか。そこで日本人兵士に会ったっていうのは、違う意味でのショックでしたね。

 

-おっしゃっていたような、理不尽さのために行動するっていう、そういうこととは違う?

 

 ちょっと違うと思う。私は絶対そういう行動はとってほしくないな。

 

 気づいた人が声を上げる。行動する。それがグリーンピースの原点

 まあそれで、一応めでたく、強制送還。全日空便だったかな、それに乗せてもらって。普通の乗客と一緒にね。しっかり食べて飲んで帰ってきましたよ。空港にはうちの連れ合いが待ってましたから、抱っこされました。

 

 拘束されたニュースはすぐに伝わりました。「怪我させられたー」って大げさに言いましたし。南太平洋の核実験場まで行って反対行動して、フランス軍は私たちをハエみたいにうるせーなって思ってるけど、世界が見てるんだってことを思い知らせてやったんだ、みたいなことをね、がんがんがんがん、松葉杖で。松葉杖でどこへでも行きましたよ。国会にも行ったし、集会にも行ったしね。

 

 「どうしたんですか、やられたんですか。」「そうなんですー」って。

 そこはね、もうキャンペーンで。使えるものは何でも使う。

 

-今の若者というか、理不尽さにふつふつしている方々に、同じようなことをお勧めしますか?

 

 核実験場に突っ込めとは言わないけども、でも現場に行くっていうのは大事だと思うんです。こんなところでやっているの?誰が?フランス?どこにあるのよ?こんなきれいなところ?核実験で汚す権利は誰にもないでしょ!ってね。行ってみればそういう怒りは普通にわきますよ。

 

 そこに行ってね。で、立ち入り禁止区域内っていう海域がフランスによって定められて、その周辺で船を置きながら、監視しながら、入っていったりして。そのときに周辺の島の人たちも抗議行動に参加したわけですね。実際そこに住んでいる人たちもいるわけで。中には、核実験場にするからということで、強制的に生きているところ、住まいを、移させられた人たちもいるわけですよ。それをグリーンピースは手伝ったことがあるんです。

 

 世界から見れば、遠いところだから、見えない。環境問題ってみんなそうなんですよ。見えないところで、弱い人たちが、泣き寝入りをする。私はそれに対する怒りがある。

 

 その怒りっていうのは、なんとなく知っていたものだけど、グリーンピースに入ってからは、現場に行ってそれを見ることができた。

 

 その核実験は一番の経験ですけど、他にも、タイに行ったときに、地元でそういう運動している人のところに行ったりして見ると、人目のつかないさびれたところ、そこに住んでいる人はいるわけで、生きているものもあるわけで、誰が勝手にそんなこと決めちゃうの、っていうのがあるわけじゃないですか。

 

 グリーンピースのおかげで、そういうことを知ることができた。グリーンピースには、創設の精神というか、創ったときの想いみたいなものがいろいろあって、Bearing Witnessっていう言葉があるんです。見た者は、知った者は、証人になる。見て知った者は、それを伝えなくちゃいけない。そういう責務を負うのだと。だからやっぱり現場にいく。そしてそれを知らせるっていうことがすごく大事にされているんですね。行動するっていうことが、やっぱりグリーンピースの、他のNGOと違うところ、誇れるところだと私は思うんですよね。

 

 グリーンピースでなければなかなかこんな経験できないと思います。もうそれはすごい感謝していて、いろんなところに行けたし、いろんな人と会えたんです。

 

黙って見ていられない:グリーンピースジャパンの事務局長として

 国際NGOと言っても、やっぱり西洋の価値観みたいなものが支配的。合理的ですごくいい部分もある。目標を立てて、戦略を立てて、行動する。すごくわかりやすいし、結果が見えやすい。すごくすっきりしているし、たくさん議論はするんだけど、決まったら、さあ、やりましょう、っていう、動ける力がある。それはすごくいいのだけど、やっぱりその価値観は西洋的。

 

 そこでずいぶん戦った自負がある。日本での発信っていうのかな。たぶん日本ではいろんな運動が、欧米と比べると、20年くらい遅れてると思うんですよ。それを学んでいくときに、日本らしさっていうか、西洋的じゃないあり方って絶対あると思うんですね。余白というか、行間というか、ぱんぱんぱんって割り切れないものってあるじゃないですか。なんかうまく言えないっていうね。そこはそうなんだけどさあ、その辺わかんないかなあ、わかんないだろうなあ、みたいな。そこのところがうまくできる運動がね、日本で強くならないかなって。

 

-そこを内部で戦った想いの背景というか、それが大事なんだってわかってもらおうと思ったのは、どうしてですか。誰かのためですか。

 

 それはやっぱりうまくいかなかったから。鯨のキャンペーンが一番いい例。日本の世論は別に気にしなくていいんだって、切り捨てちゃっていたんですよ。日本人がどう思おうと構わないと。国際レベルで日本を封じ込めちゃって、商業捕鯨を止めさせればいい、そういう発想だった。グリーンピースは当時、日本国内で支持を得るということは、まったく考えていなくて。日本に支部を置くというのは、日本で、世論を作っていこうとのではなくて、ただ単に日本の業界とか政治の動きやニュースを収集するために必要だった。そういう発想で日本に事務所を作った。

 

 最初はそうかもしれないけど、あまりにも、配慮がない。それに私は怒りを覚えたんですよね。だって欧米のキャンペーンっていうのは、世論を作ることで成功するわけですよ。派手なアクションをやって、みんながおおっと思うようなことをアピールして、それをもって圧力を作って、政府とか企業にプレッシャーをかけていくっていう。そういうスタイルを、なんで日本でとろうとしなかったんだろうって。そこに私は差別的な何かがあるんじゃないかなって思ってしまって。

 

 日本で勝てなかったら、勝てたことにならないよって。それをわかってもらうのに、すごく時間がかかった。

 

-怒りの矛先はどちらなのでしょうか。現地に住む人たちへの、人に対するリスペクトがないってことへの怒りなのか、それとも、自分たちと同等に扱ってくれないことに対する怒りなのか。

 

 どうなんだろうな、あまり意識してなかったですけどね。同等に扱ってもらえなかったことへの怒りっていうのはやっぱりありましたね。なんでもっと考えさせてくれないんだろうと思った。

 

 私は最初アルバイトで事務のお手伝いで入った。キャンペーンの担当っていうのがなかったけど、小さい事務所だったから、事務所にやっぱり電話がかかってくるんですよね、なんで白人が言うことがどうのこうのとかいうときに、いやそうじゃなくて、私たちはどういう理由で捕鯨に反対しているんです、っていうふうに言いたいじゃないですか。別に伝統的な捕鯨に反対しているわけじゃなくて、南極までいく必要ないでしょってね。ちょっとしたことを言えば、相手の反応もちょっと変わってくるわけじゃないですか。でもそういうヒントもなかったという。

 

 最初に鯨の問題を担当していた日本人たちも、本部のほうから、そんなことしなくていいと、もうとにかく情報収集していればいいと言われた。日本国内でのパブリックなものというのは、何もなし。お金もなし。今から考えれば、運動としてはすごい欠陥があった。

 

 それで、グリーンピースジャパンで働いている人たちの中から、それじゃうまくいかないよっていう声が上がって、私の前任の事務局長だった人が、そうじゃないっていうふうに変えようとしたんです。でも、いろいろ抵抗があって。その人がまじめな人だったから、いろんなプレッシャーで、バーンアウトしてしまった。

 

 私はそれを引き継ぐことになったんです。結構そういうパターン多いんですよ、私。前任者がバーンアウトして引継ぎ。本筋の担当じゃないんだけど、見ていられなくって、やっちゃう。

 

 でも正義感とか、そういう言葉とは全然違う。それがやりたくて来ましたというものではなくて、状況とか、タイミングがそうだったっていうのが結構あって、これは自分がやれってことかなってね。

 

声を上げることが最初の一歩

-理不尽とか弱いものに対する怒りを対外的にも持ちつつ、ご自身もそういう状況に置かれるとすごい理不尽さとか怒りを感じて行動する、そのあたりが志田さんのエネルギーなのでしょうか。ご自身のこれまでのグリーンピースでの活動の役割とはなんだったと思いますか。

 

 あのころは、グリーンピースの中で、日本支部がちゃんとした支部として認められようとする過渡期だったと思うんですよ。そういう成長期に、足がかかりを作ることに、私は少し貢献できたかなって思っています。

 

 私、英語すごくへたなんですけど、会議の中で、発言をいろいろ考えて、こう言おうとか考えて考えて、言うことが結構大変だったんです。でも、他のメンバーがね、早苗が言うことはちゃんと聞こうと思う、って言ってくれたことがあって。それはすごくうれしかったですね。聞こうという風に思われている。ネイティブの人はね、ぺらぺらぺらっとしゃべっている。私は、下手な英語でも意味があることを言おうと思った。日本支部の私しか言えないことがいっぱいあるわけですよ。だって、あなたたち、日本のこと全然わかんないでしょ、って。

 

 そういうメッセージングはだめだとか、そういうことを言ったら日本でのキャンペーンは全然だめって言って、ダメだしをする。日本支部がOKしなかったら、それはできないと言ってね。そういうことをしょっちゅうやっていた。喧嘩もしたけれど、日本ではこうしてほしいとぶつけると、ああそうか、って言って、日本のことを理解してくれる人が増えていったんですよ。

 

 グリーンピースのなかで、仲間というか、味方というか、グリーンピースジャパンのことを理解してくれる人を増やす運動、を私はしていたと思うんですよ。それまで私はマネジメントの経験なんてなかったんですけれども、幸いなことに、いいスタッフがそろってくれていた。私は事務局長として責任持つから、あなたたちは自由に、自分の活動を思い切りやりなさい、何かあったってね、逮捕されるのは私がやるからって。だからそういうふうにできたんじゃないかなって思うんですよ。

 

 あわや逮捕されるかな、っていう、ぎりぎりのことも、実際ありました。

 日本でもアクションをやって、やった人がつかまって、私が責任者ということで。そんなこともありましたけど、グリーンピースジャパンの肩書きがあったから、一個人としてやってるんじゃなくて、組織がちゃんとバックアップしてくれるから、全然怖いものはなかった。私がそれは引き受けるから、それぞれキャンペーン担当者は自分のところで自由に、やりたいことをやりなさい、と。結構、法ぎりぎりのところを、事前に探りながら、アクションのアイディアを練っていく。これはおもしろかったですね。

 

もっとも誇りに思うこと、伝えたいこと

 グリーンピースのなかで、グリーンピースジャパンの位置づけを確たるものにできたなという思いはあるかな。

 

 達成感がすごくあったから、私の役割は終わりと思った。グリーンピースには11年くらいいて、事務局長は7年やったかな。ここまでいったらもういいかなっていうのがあった。

 

 2001年にリタイヤしたいと言って、次の事務局長は違うタイプの、私の持ってないスキルを持っている人がいいって公募をして、私も十分に時間をとって引継ぎができた。グリーンピースに対して、すごいいろんな機会をもらって、すごい感謝してるけども、一応私はその分お返しできたかなって思ってます。悔いなし。全然ない。

 

-その悔いなしの経験の中で学んだ教訓のようなものはありますか。

 

 失敗を恐れないっていうことですよね。本当に、自分でも、ああ日本人だなって思うことは、すごく失敗を恐れるんですよね。

 

 自分では恐れていないつもりでいても、グリーンピースのほかの人間に比べると全然そんなことなくて。もっと気にしないのね、みんな。やっちゃえばいいじゃんってね。やってみてダメだったらもう一回やればいいんじゃないって。そういうね、もう本当に、お気楽チャレンジング。

 

 だから、だからぶつかるわけですよ。日本でやるときに、国際団体だから、本部からとかいろんな人を使う。日本人は外タレが好きだから、同じこと言っても日本人じゃなくて外国人だと、おーっと聴くじゃないですか。それを十分に使って。そういうときにいろいろお膳立てをして、失敗がないようにやろうとするわけじゃないですか、だけど、グリーンピースの中の文化というか、欧米の文化っていうのは、別にいいじゃない失敗したってっていうね。だからそこでぶつかるのね。

 

 日本の場合、失敗すると後が大変じゃないですか。一回失敗して、そう思われちゃうと大変なんだからって言ってもね、いいじゃんとかね。そこが、それが折り合いつけるのが、ある時は喧嘩になり、ある時は妥協になり、になるわけですよ。そこが結構難しくて。私もだから、そうじゃなくありたいな、と。何度思ったことか。

 

 いいじゃん失敗したって。そう言えたらこんな楽なことはない。でも日本社会ってそうじゃないじゃないですか。それを変えていかなきゃいけないんですけどね。

 

 やってみないとわからない。やってみたから変わったことがある

-でもあえて今おっしゃりたいのは、失敗をおそれない。

 

 そうそうそう。だって失敗しないと進まないからね。それこそ私が活動していた10年前、20年近く前に比べれば、今はいろんな価値観、多様な価値観っていうのがあふれていると思うんですよ。20年前にLGBTって言う言葉なんてなかったし。それを思えばすごい進んだというかなんというか。そういうものに対して寛容になった。指標としてひとつあるわけじゃないですか。

 

 だからそうであれば、失敗ももっとしてもいいんじゃないか。まあ失敗に対して、たたく文化も一方であるかもしれないけど。でも、広がっていることは事実だから、前よりも。だったら失敗を恐れずに。失敗をしないっていう、そういう文化とか慣習に、立ち向かってほしいなあって思いますね。みんなやってみないとわかんない。

 

 もうちょっと一般的な言い方をすると、欧米でやっているような、抗議行動の垂れ幕。国際会議場や問題のある場所に、垂れ幕を、メッセージを掲げる。欧米では一番簡単なアクションなのに、それさえも日本では難しい。

 

 それやって不法侵入とか、業務妨害とかで、逮捕されるとかね。逮捕されてもすぐ釈放されないでしょ。欧米だと一泊二日とか二泊三日だけど、日本は最大二十何日とか。

 

 実際、日本人ではなかったけども、私たちが海外から呼んだ、アクションをするスタッフ、バナーハンギングとかボートとかね、一番長く拘留されていたのが十何日とかでしたからね。だからリスクが大きいわけですよ。まあ、それでもね、やったっていう。

 

-笑

 

 日本人でもできる人を私はもっともっとね、若い人を募集したかったんだけど、そこまでちょっといかなかったかなって。だから暇な外国人ボランティア。ニュージーランドとかね、オーストラリアとかね、クライマーとかね、山登りで来ている、そういう人たちに、じゃあ手伝って、って。

 

-そういう目にあうってことをわかっていて彼らはやるんですよね。腹のくくり方が違いますね。

 

 それはまあグリーンピースにいたからね。普通じゃそんなこと考えないですけどね。でもそれは、万全の対策をして、つかまったらすぐ出られない可能性もあるよって。みんなで支援して、プレッシャーかけてね、世界中からFAX攻撃でね、法務省とか、拘留されてるところに対してFAX番号教えてみんなでがんがん送って。抗議のFAX。そうやって。早く出せーとか。そういうことできてもらったりとか。こっちもやっぱりリスクがあるわけですよ。

 

 逮捕されると、責任者っていうことで。自宅も、事務所は2回家宅捜査されました。

 

-なぜそんなにリスクを負いながらも行動できるのですか。

 

 うーん、まあそれは、グリーンピースのスタンダードだったから。そういうことが、日本でもできないと、それはやっぱり市民運動の幅を広げられないと思ったから。

 

 どんなことでもいいんですよ、別に。運動家の中で、グリーンピースのことを非難してる人って結構いるんですよね。そういう派手なことをやって、つかまって、そうすると、逆に活動の幅が狭まっちゃうって。私は違うと思うのね。やれることやってみないとわかんないじゃないですか、そんなの。それが普通になっちゃえばそれがね。だって欧米なんてそれが当たり前。今日もニュースで、Greenpeace had a traditional action.とか言っていて。トラディショナル、 いつもの ・・・・ あたり前の行動。

 

 たまたま読んでいたフランスの小説の中にも、「いつものようなグリーンピースのデモが」って、まちの風景として描かれているわけ。市民運動の、特に大きい国際NGOがやっている抗議行動が、まちの風景の中に当たり前にあるものっていうようにならないと、社会は変わっていかないと思うんですよ。

 

 まあトラディショナルとまで言わなくてもいいけどね。またグリーンピースが、でもいいんですよ。そういうグリーンピースなんだから。でもそういうグリーンピースじゃなくて、他にもそういうなんとか団体とか、こういう何とか団体がとか、いっぱいあったほうがいいじゃないですか。何もないんじゃ、何も広がらないと思うんですよ。

 

 やっぱり、運動団体って名乗っているんであればね、もっともっと前に出てきてほしいなって思う。だからグリーンピースが全然ニュースになってないのがすごい不満。やってることもすごいおとなしくて。全然アクションしてないし。

 

-それは前に出なくても、後ろで進んでるってことはあるんじゃないですか。

 

 どうなんだろう。でも社会が変わってなければね。結果が見えてなければね。そういう責任があると思うんですよね。グリーンピースみたいな比較的大きな団体はね。もっと行動してもいいと私は思うんですけど。

 

 だって目に見えなかったらわからないじゃないですか。人に見えなかったら。

 個人ができる運動と、そういうNGOができることって違うと思うんですよ。違うべきだと思うし。同じだったらお金もらってやる必要ない。プロの活動家であれば、それなりのものを見せなさいって。最近大人しいし、知らない人が多い。前は、嫌われても、「ああ、鯨のね」と。嫌われても、知られることが大事。そこから話ができるから。

 

 グリーンピースなんて半分嫌われ役だもの。お邪魔虫だし。そういう派手なスタイルが嫌だって言う人もいる。でもグリーンピースはそういう役目なんだから、だからいいんですよ。そこでやれることと、個人がやることって全然違うから。

 

 気づいちゃったら、それはもう、おかしいって言ってく、それしかないと思うんですよね。グリーンピースなんかはその先駆けなんですよね。知っちゃったら、おかしいと思ったら、黙っているのかい、君は?ってね。それを知らせなくっちゃって。そこが行動の原点というか。私はすごく好き。

 

-ご自身も、その精神を体現されているのですね。

 

大切な人こそ大切に

 楽しかったグリーンピースですけど、あえて言えば、そのとき連れ合いが、応援はしてくれていたけれども、すごく心配していただろうなって思うんですよ。離れていることも多かったし。心配かけたなって思うと、それは悪かったなって。それを思うと泣けちゃう。

 

 彼は教員、彼もバリバリの活動家。組合の活動家で。だからそれはもう、行け行けって応援してくれて。だけど同時に、すごく心配したと思います。言わなかったけど。そのころはあまり考えなかったけど、申し訳なかったなって。ごめんね、かんちゃん、って。

 

 活動しているときって、夢中で、意外と身の回りのことにケアをしなくなってしまうことが多いと思うんですよね。活動家の中には家庭を壊しちゃう人が結構いるから。そういう風にはなってほしくないですね。

 

理不尽な世の中を変えたいと思っているけどうまく行動に起こせない人へ

 世の中に対して理不尽な思いで、怒りをもっているとか、何か変えなくちゃとか、そういう思いを持っている人はたくさんいると思うんです。でも、何かしたいけれども、それがうまく言えない、行動できない、そういう人がたくさんいると思うんですね。年齢問わずね。

 

 社会の中で、いろんなちょっとしたこと、当たり前と思われていることを変えるってことは意外とできるんじゃないかなって。行動しなさいっていうとちょっと押し付けがましくなっちゃうけど。グリーンピースみたいな大きな団体に入って何かするってことだけじゃなくて、自分の世界のなかで、身の周りのなかで、小さくても何か変えることはできるかもしれないと思うんですよね。

エンドオブライフ・ケア協会では、このような学び・気づきの機会となる研修やイベントを開催しております。活動を応援してくださる方は、よろしければこちらから会員登録をお願いします。

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