コラム51:悩める介護家族がELCと出会って学んだこと

  • 支える人の支え
  • 家族
  • 介護
  • 認知症

フリーランス・ジャーナリスト

田原 真司さま

(ELC第49回生)

 医療・介護の専門職でもなく「看取り」に関わった経験もない自分が、今日こうしてエンドオブライフ・ケア協会の会員様向けコラムを書かせていただいていることに、いささかの戸惑いと人生の不思議さを覚えます。

 

 私の職業は、ビジネス分野が専門のフリーランス・ジャーナリストです。千葉の自宅をオフィス代わりに働きつつ、中学1年生の一人息子の子育てと、8年前にアルツハイマー型の認知症と診断された母親の遠距離介護をしています。

 

 家事と子育ては妻との分担ですが、彼女はフルタイムの勤め人なので私の負担が6~7割。母親は故郷の鹿児島のグループホームで独り暮らしをしており、日々の介護は施設の職員さんにお任せしているものの、家族として介護にコミットしているのは事実上、私ひとりです。

 

 このため現実の生活では、仕事よりも子育てと介護が占める比重のほうが大きくなっています。より実態に近い肩書きを名乗るべきなら、ジャーナリストではなく「兼業主夫」がふさわしいかもしれません。

 

 そんな私が小澤竹俊先生とELC協会の取り組みに出会ったのは2017年4月、協会の設立2周年シンポジウムに参加したのがきっかけでした。その後、ELCの考え方や実践についてもっと学びたいとNTTドコモ・ベンチャーズでの一般向け勉強会に通い、18年8月には2日間のELC援助者養成基礎講座(第49回)も受講しました。最近は鹿児島で立ち上がった地域学習グループELC薩摩・喜入のお手伝いも、ほんの僅かですがさせていただいています。

 

 最初に触れたように、私は医療・介護職でもなければ、親族などの人生の最終段階に主体的に関わった経験もありません。高齢の母親は介護なしでは暮らせないものの、近いうちにお迎えが来る段階ではありません。

 

 にもかかわらず、なぜELCに関心を持ち、学ぼうと考えたのか。皆さんは不思議に思われるかもしれません。実際には偶然の導きが大きいものの、自分なりに振り返ってみると、大きく2つの要因があるように思います。

 

 1つ目の要因は、母親の遠距離介護を続けるなかで様々な問題にぶつかり、深く悩んでいたことです。ご存じの通り、現在の医学ではアルツハイマー型認知症に対する根本的治療法はありません。いくら介護を頑張っても、症状は時間とともに着実に進行します。そんな状況が何年間も続くのは、介護家族にとっては精神的に相当しんどい。それでも介護を続けるために、自分は何を励みにすればよいのか、答えが見つからず悶々としていました。

 

 さらに困ったのが、母親本人の希望と医師や介護職の助言に隔たりが生じた時でした。一例を挙げると、母親は住み慣れた実家で暮し続けるのが当然と考えていましたが、主治医やケアマネさんは栄養管理や衛生管理、転倒リスクなどを考慮し、ある時点から施設への転居を私に勧めました。本人の希望を優先すべきか、それとも専門職の助言に従うべきか。私には自信を持って決断できる知識も基準もなく、板挟みになって途方に暮れました。

 

 結局、母親が実家で「ぼや」を出してしまい、私は「これ以上は危険」と判断して施設への転居に踏み切りました。母親の抵抗は予想していましたが、徐々に慣れて欲しいと願っていました。ところが、母親は施設での生活になかなか馴染まず、自室に引きこもりがちになり、環境変化の影響からか認知症が目に見えて進行してしまいました。

 

 それにも増して私がつらく感じたのが、母親の表情がちっとも幸福そうに見えないことでした。「本人のために」と安全を確保しても、母親自身が不幸に感じているなら失敗ではないのか。専門職の助言を聞いても失敗するなら、一体誰を信じればいいのか――。そんな疑問が次々に湧き上がり、認知症介護の理不尽さを呪う気持ちを抑えられませんでした。

 

 と同時に、私のなかにこんな考えが芽生えました。「自分と似た境遇で悩んでいる介護家族は、日本中に少なからずいるはずだ。ならば、自分がこれまでぶつかった様々な問題への最善の対応を取材し、介護家族の視点に立った記事を書けば、誰かの役に立てるのではないか」と。

 

 そこで素人なりに医療・介護関連の本を読んだり、講演やシンポジウムに足を運んだり、人づてに紹介してもらった専門職にお話を伺ったり、情報収集に動き出したのが2年前のことでした。そんななか、ある方から小澤先生の講演を聴いてはどうかと勧められ、専門職でなくても申し込める協会設立2周年シンポジウムに参加したのです。

 

 私がELCについて学びたいと考えた2番目の要因は、いささか抽象的な表現ですが、その「普遍性」に強い魅力を感じたことです。良い意味での「敷居の低さ」、応用範囲が広い「汎用性」などとも言い換えられるかもしれません。

 

 もちろん、ELCの理念や実践的ノウハウは小澤先生が「世の中で一番、苦しんでいる人のために働きたい」という固い信念のもと、実際に数千人の看取りに携わってこられたご経験を通じて作り上げられたものです。協会のELC援助者養成基礎講座は、原則として医療・介護職を対象とし、人生の最終段階にある人やその家族に対して自信を持って関わることができる人材の育成を目指しています。

 

 しかし小澤先生ご自身もしばしばおっしゃっておられるように、ELCの考え方は人生の最終段階にある人に対してだけではなく、「解決できない苦しみ」を抱えたあらゆる人に用いることができます。しかもそれが一般の人にもわかりやすい言葉で説明され、学びやすく体系化されています。

 

 つまり私のような門外漢でも、意欲さえあれば深く学ぶことが可能であり、しかもそれを人生の最終段階にある人以外(私の場合は、認知症という解決できない苦しみを抱えた母親)にも応用することができるのです。

 

 実際、ELCを学び始めてから母親の介護に向き合う私の考え方は大きく変化しました。例えば人生の最終段階にある人と関わる際の目標について、ELCでは「本人と家族が穏やかであること」に置くと教わります。これは認知症の介護にもそのまま当てはまります。

 

 認知症の進行自体を止めることはできず、言葉によるコミュニケーションも次第に難しくなり、やがて息子の顔もわからなくなってしまう。けれども、母親の表情が穏やかであれば介護の目標は達成されている――。この気付きを得たことで、私は介護を続ける励みを得ることができました。

 

  自分がELCの学びから得た貴重な気付きをもうひとつ挙げるとすれば、やはり「誰かの支えになろうとする人こそ、一番、支えを必要としています」だと思います。私のケースで言えば、母親を支えようとする自分の支えを意識することです。

 

 ELC基礎講座では、解決できない苦しみを抱えた人の支えをキャッチし、支えを強める可能性について学びます。私はそれまで、自分にとっての支えが何であるかや、支えを強める方法について考えたことがありませんでした。しかし「自分が支えを必要としている」ことに気付きさえすれば、自分にとっての支え(例えば家族)に対する感謝の気持ちが自然に生まれ、それが相手に伝わることで、相手から自分への支えが強まる好循環につながります。

 

 介護と同時に子育ての悩みも抱える私にとって、自分の支えを意識することは、自分自身の人生を穏やかに生きるために欠かせないものとなりました。

 

 ELC協会では今、「いのちの授業」プロジェクトを通じてELCの考え方のエッセンスを全国の子供たちに伝える試みを始めておられます。そして同様のことは、私のような介護家族にも、将来の親の介護に不安を抱える30~40歳代の予備軍にも、今は元気だが介護を受ける可能性のある高齢者の方にも、大いに学ぶ価値があり、また学ぶべきであると思います。

 

 私にも、医療・介護職ではないからこそ、介護家族だからこそ、ジャーナリストだからこそ、何かできることがあるかもしれません。微力ではありますが、今後とも協会の活動を応援させていただけたら幸いです。

エンドオブライフ・ケア協会では、このような学び・気づきの機会となる研修やイベントを開催しております。活動を応援してくださる方は、よろしければこちらから会員登録をお願いします。

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