きいれ浜田クリニック 院長
濱田 努さま
(ELC第30回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター、折れない心を育てる いのちの授業レベル1認定講師)
【はじめに】
父がこの地域、喜入で開業して54年という月日が経ちました。地域のかかりつけ医として武家屋敷跡を使って外来を始めた頃から在宅看取りを行っていたそうです。私は名古屋で医師となり、呼吸器内科医として活動する中で実家に帰る予定はなかったのですが…ずっと昔からの目に見えない「地域との絆」を感じた瞬間に“私しか出来ないことをするべきである”と直感。5年前からきいれ浜田クリニックに帰り、父や竹下武承副院長とともに現在かかりつけ医として活動しています。
喜入は人口1万人程度の町であり、他都市よりも急激な高齢化と人口減少に悩む町でもあります。医療資源も少なく小児科や皮膚科などの専門科受診をするには車を使い遠方まで行かなくてはいけません。そのため当院が担うのは“地域のかかりつけ医”。生後0か月の小児から、外傷に対する縫合処置だけでなく認知症の診療やがん診療、最後に在宅で過ごしたい方への在宅医療提供までの一貫した医療を喜入で行っています。また校医としては2小学校と2保育園を担当し健康診断や感染症に対する相談などを行い学校との連携も密に行っています。
【ELCとの出会い】
私は以前大学病院などでがん患者との関りが多くあり、死が身近にあったにも関わらず死からは逃げ続けていました。なぜなら自分の心はとても不器用で、患者が亡くなるたびに強い喪失感や無力感に打ち拉がれてきました。今考えると、相手に寄り添わないということで自分なりに心の防衛をしてきたのでしょう。それでも、患者が亡くなるたびに涙を流し食事が喉を通らない日が続いていました。その後は大学で臨床研究を行い、暫らく臨床から離れていました。
その後私は喜入でも終末期の在宅医療を担うようになり、また“死”と深く接することになります。ある時、75歳のすい臓がん末期の女性は私に「私は、死ねないんです」と言いました。「何もできない夫と、息子を残してなんかいけない。」
その言葉に私は言葉を失い、その場から立ち去ることしかできませんでした。「本人の希望する在宅での生活をサポート出来ても、心をサポートすることができない私に意味があるのか」。また無力感に悩み、今後のがん末期の在宅医療を行うことについても悩んでいたところ、エンドオブライフ・ケア協会と出会ったのです。
相手の苦しみだけでなく、援助者(私)の苦しみにもフォーカスし「役に立てない自分でもよい、弱い自分を認め、それでも相手から逃げずにそばにいる力」の話を聞き、自分のその後の人生は大きく変わりました。それ以来私は自分の支えを理解し、どのような苦しむ相手とも誠実に最後まで接することができる自信を持てるようになったのです。そして現在当院では年間40件程度の看取りを行い、エンドオブライフ・ケアの知識を持った多職種と連携しながら在宅医療を行っています。
昨年「俺を殺してくれ」と訴えるがん終末期の患者に対してチームで対応し、穏やかな最期を迎えることに成功した事例を経験しました。在宅医療という複数の人が関わるチーム医療だからこそ、私1人だけが実践するのではなくチームで実践することで初めて強力なサポートをすることが可能となることを実感しています。そのためELC喜入では各施設事業所単位での研修会を開催し、数年後には当地域全医療介護職が当たり前に実践出来る地域へするべく活動を行っています。
【子供へ認知症について伝えること】
私は学校医として小中学校と関わり、そのなかで“認知症について教える”という活動をはじめ5年目になりました。私が小学生の時に大好きなおばあちゃんが認知症となり、同居していた私はとてもつらい経験をしました。時が過ぎ忘れていたのですが、医師となり認知症について勉強しだした時に気付いたのです、大好きであったおばあちゃんが、いつしか“早く死んで欲しい相手”となってしまっていたことに。当時の自分の心の変化を思い出したとき、耐え難い後悔に襲われました。この話は毎回子供たちにしていますが…人前で話すのにもかなり時間がかかりました。
そこで、私は子供たちに同じ思いをさせないよう“認知症は関係性を壊すことがある”ことを教えなくてはいけない、と自覚したのです。これは使命感というよりも、今更祖母へ謝ることすらできない私のグリーフケアとしてなのかもしれませんね。
さて、子供に認知症について伝えるのは3つのメリットがあります。
1、認知症について理解することで、家族のつながりを保つこと(将来の支えを失わないようにすること)。私のように“優しかったおばあちゃん”といった記憶が認知症により私たちから消されてしまう場合があるのです。このことは、子供の成長過程において重要な支えを失うことになり得ます。
2、地域で認知症について学ぶ空気感を作ること。子供たちが認知症について理解をしている環境は、地域も“私たちもどうにかしなきゃ”と動かすことができます。子供たちは純粋だからこそ大人の心を動かすことができるのです。
3、家に帰って学びを家族で共有することにより祖母祖父へのアプローチを行うこと。認知症について学ぶ機会がない働く世代に対しても、子供が家に帰ってから話をすることにより認知症に関する会話が生まれ、知る・気付くきっかけになります。そこから普段アプローチできない祖母祖父に繋がるケースもありました。
【いのちの授業への関わり】
そのような経緯で私には5つの小中学校で毎年認知症について話をしているベースがあります。そこから、以前より興味のあった“いのちの授業”を学校へ提案し、昨年より小中学校に行っています。
認知症でも、このいのちの授業でも子供たちへアプローチすることの意味はとても似ていると思います。苦しみを抱えている人がいることに気づき、その苦しみから学ぶことで家族や友人とのつながりを保つことができること。地域で苦しむ人の力になれる自信をもった人が多くなり、当たり前に実践できる地域の空気感を作ることが出来ること。家庭で学びを共有することにより、家族で苦しみとの向き合い方を知っておくことができれば、祖母祖父ががんを発症したり在宅で暮らせなくなるようなことがあっても、家族で支えることができるのかもしれませんね。
私も小学生の子供を持つ親として普段から子供の悩みと付き合っていますが、子供にも解決出来る苦しみだけでなく多くの解決できない苦しみがあることに気付きます。そこで苦しくても人を傷つけることなく、自分や相手を大事にできるこのいのちの授業の知識は、きわめて重要なものであることに気付きました。
自分の苦しみから学ぶ習慣があり、さらに誰かの苦しみに対して関ることが出来る地域であれば、どれだけ素晴らしい地域になることでしょう。まだ地域向けの講座は行っておりませんが、今後は地域のコミュニティとつながりながら伝える機会を作っていきたいと思います。
最後に、子供と先生からのいのちの授業の感想文をご紹介致します。
小学6年生男子「なんで人を傷付けてしまうのか、それはずっと悩んでいたこと。それが今回の「いのちの授業」で知った。「苦しい」が原因であることをしった。そして「苦しい」は、希望と現実の開きということを知った。目の前に苦しんでいる人がいることがあったときが前もあった。その時、ぼくは、無視していた。なんていえば良いかわからなかったからだ。その人は、みんなに無視されて本当に苦しかったと思う。もし次、苦しんでいる人がいたら、その人の苦しみをわかって、うなずいたり、目を見て聴いたりして、反復を使って、聴いてあげたいと思う。」
担任の先生「苦しみとは何か、が分かりやすい言葉で端的に説明されていて、とても腑に落ちました。だからこそ、解決ができる苦しみと、できない苦しみがあり、それぞれに対してどのように向きあえばよいのか考えるヒントになるのではと思います。
日頃子供たちの心にある悩みを“きく”機会が多くあります。大人が思っているよりも、苦しみを抱えながらがんばっています。カウンセリング等で基本となる傾聴ですが、本当に“きく”が“聴く”になっていたのだろうか、と自分を振り返ることでした。このような大切な事柄を思春期の多感な時期を迎えた子供たちが知ることが出来たのは、とても意義があるのではないでしょうか。今後も子供たちと話題にしていけたら・・・と思います。」
【最後に】
私はかかりつけ医という立場で子供から大人、認知症やがんの末期の方まで多くの方と関わっています。このような立場だからこそ、どの世代にも必要なELCの知識を地域へ広げることが私の使命と考えています。超高齢化がすすむこの喜入地域において、持続可能な地域となるための一助となることを信じこれからも活動していきたいと思います。
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