医療法人秀麗会 山尾病院 地域包括ケア病棟看護師主任
中嶋順子さま
(ELC第21回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター、折れない心を育てる いのちの授業レベル1認定講師)
「私って必要ないのかな。」
私がよく感じた思いです。幼少期から自信がない子だったような気がします。決して家族から愛されていなかったわけでも、友達がいなかったわけでもありません。自信がなくなるきっかけは引っ越しでした。
私が幼稚園年中の時、親が祖父母との同居を決めました。小さい頃から団地で遊んでいた友達と離れ、引っ越し先では人見知りも災いして中々友達ができませんでした。
友達ができない自分、私は自分の存在がいらないものに感じました。ただ長女だった私は、親に心配させないように振舞っていました。その振る舞いは成功し、親に「順子は大丈夫だね。」と言われました。でも、親の愛情は「妹が心配だから」と妹に注がれていると感じていました。
そんな私が看護師になりました。看護師の私は、患者さんの質問に答えられず力になれなかったり、怒られたりすることがありました。自分に自信がないので、力になれなかったり怒られると“もう逃げてしまいたい”、そんな風に感じることもたくさんありました。
でも、「ありがとう」と言われたり、自分のしたことが認められた時、「こんな私でも役に立てるんだ」と感じることができました。
だから仕事をしている自分が好きになりました。もっと役に立ちたい、そんな思いが強くなりました。嫌いだった勉強が、もっと学びたいという気持ちに変わりました。ELCとの出会いもその延長上にありました。
エンドオブライフ・ケア援助者養成基礎講座を受講して、一瞬で恋に落ちました(正しくは2日間の研修で感銘を受けました)。自分がやりたいことはこれだ、運命の出会いでした。そして講座の中で自らの支えを考えたとき、思い出したのは引っ越し先で初めてできた友だち、みっちゃんの存在でした。
みっちゃんはこの世にはいません。中学生という若さでこの世を去りました。私が看護師という道を志した時、そのことをみっちゃんのお母さんに報告しました。すると、「あの子喜ぶね。私もうれしい。ありがとう」と言われました。この言葉は仕事をしていて辛い時、本当に支えになりました。
「私はみっちゃんに悲しい思いはさせたくない、だから頑張ろう」と頑張ることができたんです。
支えは、意識しなければ普段は気がつくことはできません。苦しいからこそ気がつくことができる。でも、子ども達は苦しみから支えに気が付けるほど成熟していません。 苦しみは自殺やいじめへの入り口となってしまいます。これは子育てをしていて感じたことです。苦しんでいる友だちの力になりたい、でも力になる方法が分らずケンカになる。「もう知らない」と離れていく場面を見かけました。誰も悪くないのに…。
せめて自分の手の届く範囲だけでも、子ども達が自分のことを”いなくてもいい存在と感じないように。自分に出来ることはないか…それが“いのちの授業”でした。
私は子どもの担任の先生に“いのちの授業”を提案しました。そして、H30年11月~12月にかけて、4年生、5年生、6年生と学年ごとに道徳の授業として実践する機会をいただけました。“いのちの授業”を実践して、先生から、「自分も教えてもらった事を使って子ども達の話を聴くようにしたら、前より話してくれるようになりました。」というお言葉をいただきました。そして我が子が、「この前自分のミスで試合に負けて泣いてる子がいたから話を聴いてあげたんだよ」と教えてくれました。ああ、こうやって支えあえるコミュニティーができるのだと感じました。
人生には辛いこと、悲しいことたくさんあります。どんなに大事に子どもを育てても、苦しみをすべて無くすことはできません。だから、苦しみから学ぶことができる子ども達であって欲しい。私がみっちゃんに支えられているように、子ども達にも誰か、何かに支えられているんだと気がついて欲しい。そして子ども達が自分のことを大事な存在だと認められるようになって欲しい。そのためには、子ども達だけでなく、すべての人に“いのちの授業”を展開し、支えあえるコミュニティーを作りたい。これが私の野望です。
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