コラム3:苦しむ人と逃げないで向き合う援助者をめざして~仲間とともに未来を育む~

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コラム3:苦しむ人と逃げないで向き合う援助者をめざして ~仲間とともに未来を育む~

四条畷看護専門学校 教員 久保田千代美さま
(JSP第2期生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター)

 私は看護学校の教員です。その前の5年間は、訪問看護をしていました。大好きな場所で穏やかに日常生活を過ごされる療養者さんと、やがて必ずくる別れの時までを共に喜び、悲しみ、苦しみ、パートナーとして一緒に生きてきたように思います。そして、療養者さんの希望を叶えるために、一人でも多くの在宅看護を志す後進を育みたいと教員になり、それから5年が経ちました。

 看護学校では、在宅看護論実習という授業があり、ここでは、主に療養者さんやご家族の気持ちに寄り添うケアを伝えています。「気持ちに寄り添う」とはどういうことでしょう。もうすぐ確実に亡くなる人を前に、寄り添うという曖昧な言葉ではなく、どのように関わればよいかということを、わかりやすく言葉にした小澤竹俊先生の講座で学んだ方法を学生たちに伝えると、学生たちは人生の最終段階にある人に積極的に関わり、療養者さんを尊重した援助ができるようになりました。2週間の実習で学生は、その人の支えを聴き、大切にしている思い出が家族との絆を深めることを感じ、人生の一番輝いていたときを一緒に振り返り、教訓をいただいたことに感謝しています。療養者さんは貢献感を持って学生を受け入れてくださり、それが生きる勇気になっていると思います。

 もともと私が看護師になると決心したのは、6歳のときでした。先天性股関節脱臼にぺルテスという骨が崩れてゆく病気にかかり、手術をしたのです。何をされるのかわからない恐怖に怯え、しがみついた白衣。当時は木綿で糊つけされて硬く、しがみつくとシワができます。ギュッとしがみつけば、ギュッと抱きしめてくれる。白衣の下の軟らかい感覚、「大丈夫よ。」と優しい声、顔をあげると看護師は、私を見ています。私が泣きそうな顔をすると、看護師の口元もゆがみ泣きそうになったと感じました。それで、私は泣きそうだけど笑うと、看護師の口元が緩んで、目も細く笑った顔になりました。その瞬間「ああ、よかった」と安心したのでした。このことから、私は痛がっている人や怖い思いをしている人に、白衣にギュッとしがみついて安心してもらえる看護師になりたいと思ったのでした。

 私が看護師になった1980年代には、がんの告知はされてない人がほとんどでしたが、再入院されたときには、告知されていなくても以前に一緒に入院していた末期の患者さんと自分を重ねれば、その病状は察しがつきます。今のようにオピオイドが使われていない過酷な療養生活でした。ある準夜勤の時、患者さんから鎮痛薬の注射を希望されました。今では考えられませんが、当時は患者さんの希望で筋肉注射をしていました。痛みで仰向けになれない患者さんの背中側から、注射をしてしばらくもんでいました。患者さんは、すまなそうに言いました。

「もう、いいよ。忙しいでしょ?」

 私は、「大丈夫よ。」と言って、患者さんの背中をさすらせていただきながら、胸が苦しくて涙が溢れてきました。患者さんは、痛みも恐怖も孤独も我慢しながら、なおも看護師に気を使っていると思うと、そんな苦しみを持った患者さんを気遣うことの出来なかった自分が悔しくて仕方がありませんでした。患者さんは背中を向けたまま黙っていますが、きっと、心で泣いていると思いました。

 私が看護師になった頃は目まぐるしく医療技術が発展していた時代です。新しく放射線腫瘍科に来られた医師、本家好文先生から、がんの患者さんへのモルヒネを使っての痛みの緩和ができることを教わりました。まだ緩和ケアという言葉がなく、日本にホスピスが二つしかなかったころです。早速、有志でターミナルケアについて勉強しました。身体の痛みはモルヒネで緩和することができることがわかりました。本家先生は、患者さんやご家族の気持ちの辛さと真摯に向き合って話を聴いておられました。それだけではなく、私たちの辛い気持ちを聴いて一緒に考えてくださいました。私はどんなに辛い状況でも希望を持って生きることへの援助がしたいと思いました。「家に帰りたい」という患者さんのためになんとか手だてを考えるようになりました。

 今では、社会資源も整ってきて、望めば自宅で最期まで自分らしく生き切ることができます。身体の痛みや症状も医療の進歩で緩和されるようになりました。過去に出会った患者さんは、どんなに辛い痛みを我慢されていたのだろうかと思うと、無知であった自分が申し訳ない気持ちでいっぱいになります。患者さんの気持ちの辛さ、深い悲しみに気づいても、患者さんに知られずに泣くことしか出来なかったことも悔やまれてなりません。エンドオブライフ・ケアにおける人間対人間のケアは、解決が困難な苦しみを抱えた人に逃げないで関わることが大事です。私は悔やまれるほど、忘れずにいる患者さんを心の中で大切にして今を生きています。そして、みんなの幸せのために、誰もがエンドオブライフ・ケアに関われる未来を仲間と共に育んでゆきたいと思います。

エンドオブライフ・ケア協会では、このような学び・気づきの機会となる研修やイベントを開催しております。活動を応援してくださる方は、よろしければこちらから会員登録をお願いします。

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