福井県 オレンジホームケアクリニック代表、医師
紅谷 浩之さま
2025年に向けて、地域包括ケアシステムの構築が必要と言われています。「医療モデルから生活モデルへ」なんてことも言われます。病院と地域、医療と生活の違いってなんでしょうか。病院で行っていることをおうちに届ける“出前”のことを在宅医療というのではありません。おうちという生活、決して医療が主役ではない人生の舞台に脇役として医療が登場する、それが在宅医療だと思っています。
ひとつ、考えてみましょう。
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病院には、2種類の人間がいます。白衣を着ている人と病衣を着ている人です。
この役割分担は明快です。白衣を着ていればケアをする人、病衣を着ていればケアをされる人。この役割が入れ替わることはありません。患者さんが看護師の血圧を測ることはありませんし、患者さんが医師に注射することもありえないのです。
しかし、地域では少し違います。
地域の人たちが集まるお祭りに出かけた時、ふと考えました。この人たちの中で、誰が「ケアする人」で、誰が「ケアされる人」なんだろうか。
もちろん、白衣を着ているわけではありませんのでぱっと見てもわかりません。いや、見分けが付かないのではなく、そもそも役割分担なんて、ないことに気づきました。
雪の日は雪かきを隣の青年に手伝ってもらっているおじいさんが、祭りのやり方をその青年に教えています。腰が悪くて普段は近所の若い主婦にゴミ捨てをしてもらっているおばあさんが、祭りの料理を若い主婦を集めて教えています。いつも地域の人たちに見守ってもらっている子どもたちがお祭りで踊っているのを見て、地域の人たちは元気をもらっています。みんながケアする人でありケアされる人。地域での生活ってそういうものだろうな、と思うのです。
病院を退院して、在宅医療を始めようとするとき、家族の負担が心配になります。
「いまはなんとか二人でやっていますが、もし夫が倒れたら、私一人で介護する自信がありません」という声を、講演会などで一般の方からよく聞きます。もちろん、訪問看護やヘルパーなどを利用して負担を減らしましょう、ということにはなるのですが、まず重大な勘違いがそこには潜んでいます。それは「病気で倒れた夫=患者=ケアをされるだけの人」と思い込んでいることです。同じく「元気な自分=病院でいう白衣の人=ケアをするだけの人」と思い込み、自らハードルを高くしてしまうのです。
病院で受けているケアや、介護施設で受けているケアを見て、「ケアする人」が行っていることを、そのまま持って帰ろうとするなら、それは無理というものです。病院の「ケアする人」の技術と、3交代でやっている業務を、素人一人で担えるはずがありません。
家に帰れば、患者さんは、夫・お父さん・おじいちゃんに戻ります。
もちろん、元気なときのように、高いところのものを取るのを手伝ってくれたり、車でドライブに連れて行ってくれたりはしないかもしれません。でもきっと、昔の旅行の思い出話で盛り上がったり、孫の受験の心配を一緒にしてくれたりするのではないでしょうか。そこには、病院の「ケアする人」「ケアされる人」ではない関係があるのです。
私も、そんな地域で医者として暮らしています。その中で、ひとりの住民としてみなさんに癒されっぱなしなのです。
病気になった人は、自信を失っています。死を宣告されていればなおさらです。自分では何もできない存在になったと苦しんでいます。
でも、ちゃんと役割があります。
亡くなる1週間前まで子どもの宿題をチェックしていた若いお母さん。亡くなる3日前に奥さんに「愛している、愛している、愛している」とラブレターを書いたご主人。亡くなる前日に娘のソフトボールの大会をネット裏から応援していたお父さん。亡くなる1時間前に、愛犬に顔を舐められるために自宅へ帰ってきた飼い主。
人は、病気になったら終わりではない、死が迫ったら終わりではない。その時間をともに過ごし、やりとりをした人たちがその後笑顔で過ごしているのだから。
患者というレッテルを貼られ、「何も出来ない人=ただただケアをされる人」になったときに、終わってしまうのかもしれません。
「明確な役割分担によりわかりやすく割りきりやすい病院」から「みんながもちつもたれつでややこしくてちょっと面倒な地域」へ。
地域包括ケアは、目の前です。
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