不条理な今を生きていくこと その6:なぜ人は大切な誰かと会えなくなると悲しくなるの?

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エンドオブライフ・ケア協会

小澤 竹俊

 突然の休校の指示により、多くの学校では春休みが前倒しになりました。卒業を迎える学年では、準備もなくクラスの友達とお別れをすることになります。また多くの介護施設では、新型コロナウイルス感染予防の観点から、面会ができなくなりました。毎週のように面会に来ていた家族にとって、会えなくなることは、生活の一部を奪われるだけではなく、心配、不安、悲しみなどさまざまな感情がわきあがります。そして、なぜ大切な家族に会えないの?と不条理な今を嘆きます。

 

 アルベール・カミュの小説「ペスト」から、不条理な今を生きるヒント その6として、今回は、なぜ人は大切な誰かと会えなくなると悲しくなるの?を取り上げます。

 

 人は、その人との関わりを通して、深い愛着という絆・関係の支えを築いていきます。その人が大切であれば、あるほど、絆・関係の支えは強く・太くなっていきます。そして、その人と別れるということは、その絆・関係の支えを失うことになります。

 

 つまり、その人が大切であればあるほど、失うと言うことは、支えを失うことであり、深い悲しみ、怒り、苦しみ、不条理な思いがわいてきます。特に大切な人が亡くなる悲しみは、家族として、友人として、自分自身の大きな支えを失うことでもあります。

 

 アルベール・カミュの小説「ペスト」では、アフリカのアルジェリアの港町オランがペストに流行のため、政府から市を閉鎖するように指示されます。

 

市門の閉鎖の最も顕著な結果の1つは、事実、そんなつもりのまったくなかった人々が突如別離の状態に置かれたことであった。母親と子どもたち、夫婦、恋人同士など、数日前にほんの一時的な別れをし合うつもりでいた人々、市の駅のホームで二言三言注意をかわしながら抱き合い、数日あるいは数週間後に再会できるものと確信し、人間的な愚かしい信頼感にひたりきって、この別離のため、ふだんの仕事から心をそらすことさえ、ほとんどなかった人々が、一挙にして救うべくもなく引き離され、相見ることも、また文通することできなくなったのである。

(中略)

またペストは、彼らを閑散な身の上にし、陰鬱な市内を堂々めぐりするより仕方がなくさせ、そして来る日も来る日も空しい(むなしい)追憶の遊戯にふけらせたのである。なぜなら、当てもない散歩のおり、彼らは結局いつも同じ道を通ることになり、しかも、たいていの場合、こんな小さな町では、その道がちょうど、別な時代に、いまいないその人と一緒に歩きまわった道だという結果になるのであった。

 

 大切な誰かと会えないことは、自分にとって大切な関係の支えを失うことであり、きわめて不条理なことです。

 

 看取りという医療の現場に身を置く医師として、いつも大切な誰かを失う人の支援を心にとめてきました。どれほど泣いても、時間は過去に戻りません。どれほどお金を出しても、大切な人は戻ってきません。

 

 なぜあの時にそばにいてあげられなかったのだろう?
 どうして亡くなってしまったの?
 なぜ自宅に返せなかったのだろう?
 どうしてこの選択肢を選んでしまったのだろう?

 

 後悔する思い、自分や誰かを責める思い、怒りや自責の念から、苦しむ家族をみてきました。

 

 不条理な苦しみの中にあって、人が穏やかになれるのは、自らの支えに気づくことです。しかし、その支えに気づくプロセスは、容易ではありません。どれほど経験を積んだ医師だとしても、できることはほんのわずかなことです。それは、ともに苦しみを味わうことぐらいしかできません。

 

 しかし、必ず人は不条理な苦しみを抱えたとしても穏やかさを取り戻す可能性があります。苦しんでいる人は、自分の苦しみをわかってくれる人がいるとうれしいからです。

 

 新型コロナウイルスによる影響は甚大です。先行きが不透明であり、これから何が起こるのかは誰も知ることはできません。仕事を失う人もいるかもしれません。大切な家族を失う人もいるかもしれません。しかし、たとえ不条理な時代であったとしても、人は穏やかさを保つ可能性があります。その可能性を発信していきたいと思います。(つづく

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