コラム66:地域医療は『くらしの医療』

  • 支える人の支え
  • わかってくれる人がいるとうれしい
  • 選ぶことができる自由

コラム66:地域医療は『くらしの医療』
医療法人希実会 守口医院 守口尚さま
(ELC第68回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター)

・地域医療は『くらしの医療』

 僕が岩手県遠野市で在宅医療を始めたのは2004年のことでした。その年の11月、京都のわらじ医者、早川一光先生と出会います。この出会いがなければ現在の僕はありません。

 早川先生から初めに教わったのは「地域医療は『くらしの医療』」でした。あるとき、悪性リンパ腫の終末期の患者さんのことで早川先生にアドバイスを求めました。

 「そのおっちゃんに必要な医療はな、そのおっちゃんがどう生き、どうくらし、何を希望しているのか見つめたら、自ずと答えはわかるはずや。」

 と言って、挙げ句の果てに「ワシも往診する。」と、数週間後の別件の来県予定に合わせて、早川先生は僕と一緒に往診しました。

 早川先生は患者さんの手を取り、言葉をかけます。

 「どおえ?元気か?生きてるか?」

 それから全身をくまなく診察します。早川先生には現病歴や既往歴なんて必要ありません。視診から始まり、全身を触診、聴診、打診します。必ず脈も取ります。一通りの診察に15分くらいかかったでしょうか? 患者さんには手を握ってこう伝えました。

 「痛いとか苦しいことがあったらどんなことでも守口センセに電話するんやで。我慢したらアカン。おっちゃんはな、この家の主や。子や孫やひ孫に生き抜く姿を見せてやってくれ。それだけでええんや。たのむで。」

 その患者さん、初めて会った早川先生の言葉に涙ぐんで、にっこりとうなずいたんです。

 「このおっちゃんの希望はな、自分のにおいのする布団で、着なれた寝巻を着て、見慣れた天井を見つめ、みんなに最期まで見守られることや。それこそが、このおっちゃんにとって一番必要な医療や。」と僕に言い残し京都に帰って行きました。

 その後、患者さんの容態が悪くなり、早川先生に連絡しました。

 「そのまま、このまま、もう何もやらなくていい。手をさすり、足をさすり、もうそれだけでいい。」

 早川先生は患者さんの御家族にも直にそう伝えたそうです。

 翌日の午前8時、ご家族から呼吸が止まったと連絡がありました。とても穏やかな最期でした。患者さんのベッドにはひ孫が一緒に寝ていました。

 患者さんの息子さんから一言。

 「昨日の夜、早川先生から電話をもらってビックリしました。だって早川先生は『8時ダゾ、全員集合や』って言ってましたから…」

 

・「ワシのしょんべんをとってくれ」

 早川先生は90歳を過ぎた頃、多発性骨髄腫を患います。

 晩年、早川先生の京都の自宅に伺ったときでした。

 「守口センセ、ワシのしょんべんをとってくれ。」ベッドの上で早川先生が言います。

 僕がどうすることも出来ずにいると、慣れた手つきでヘルパーさんが早川先生の股間に尿瓶を入れました。

 「守口センセがワシのしょんべんをとってくれてはる。」

 僕は言葉を失いました。早川先生は本当に僕がしょんべんをとっていると思っている。それが早川先生との最期のやり取りでした。

 数ヶ月後早川先生は、愛する家族に見守られ、京都のご自宅で生き抜かれました。

 早川先生は最後まで僕がしょんべんをとってくれたと信じて逝ってしまいました。あの時「僕にやらせてください。」と言えていたなら…。

 僕は「早川一光」という大きな支えを失ったのです。

 

・ELCとの出逢い

 大きな支えを失った僕はある学会で小澤先生の講演を伺い、ELCに出会います。そして2019年9月、仙台での援助者講習会に参加しました。

 僕はそこで「支え」と「ゆだねる」という大きな希望を得ました。

 早川先生にとって、もしかしたら僕はしょんべんをとってくれる「支え」であった、僕にだからこそ「ゆだねる」ことを望んだのかな?

 そう思ったら、会場の中に早川先生がいるような気になったんです。ホントです。

 そして、講習会で出会った仲間は、年齢、性、職種、立場、学歴すべてが違っても気持ちは同じ方向を向いていることを知りました。

 「点を線に、線を面に、面を体に」

 早川先生が私に最後にかけてくれた言葉です。

 そうか、早川先生はきっとこのことを最後に私のメッセージとして残し、ELCに出会わせてくれた、それを実践できるのがELCの仲間なんだ。

 僕は確信したのです。

 

・これから…

 2020年2月、仙台での講習会を再受講しELCファシリテーター認定を頂きました。その後、僕たちはコロナウィルスによる脅威に「選ぶことができる自由」すら奪われています。

 でもさ、僕はELCに出会って「見えない伴走者」ってホントにいるんだなって思うようになりました。僕には見えない伴走者たちが、全国各地で同じ方向を向いて歩んでいると思うと、それだけで熱くなれます。事件は現場で起きているんです。その現場の声を、苦しみを、希望を必ずや、近いうちにみんなで語り合おうぜ。

 「このおっちゃんにとっては、病気の名前、病名なんてどっちゃでもええのや。ただな、『あんた、最期まで看てくれるか、つきあってくれるか』と問われているんや。僕たち医療人には最期までつきあう覚悟が必要なんや。そこや。」(「ほな、また、来るで」早川一光著より)

 ELCの仲間はこの「覚悟」を持っている人たちだと僕は思っています。

 僕の支えは早川先生、ELCの仲間です。僕は仲間の小さな支えになりたいです。

(本文終わり)

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