前回、私はアリとキリギリスの話を紹介しました。少しだけ補足をさせてください。
一般的にイソップのアリとキリギリスの逸話は、「働かざる者食うべからず」という教訓として紹介されます。働いていたアリに対して、遊んでいたキリギリスが、やがて冬になって食糧難になって困る話です。ですから、「備えあれば憂いなし」という教訓としても学ぶことができます。
ただ、現実は厳しい世の中です。働きたいのに働けない社会です。働いているのに、認めてもらえない世の中です。
ですから、表面的な教訓だけを紹介しても、苦しんでいる人の心には届きません。再度、イソップのアリとキリギリスの逸話を聞いて、違う話として感じた子どもの話を紹介します。
アリはわがままな生き物で、困っているキリギリスを助けようとしなかった。キリギリスは遊んでいたのではない。キリギリスが音楽を演奏すると、あたりを涼しくすることができる。実はキリギリスは、熱い夏のあいだ、みんなのために、働いていた。しかし、誰からも認めてもらえず、かわいそうな生き物だ。
憂えていることは、医療者にだけ光が当たることです。もちろん救命の最前線で見えない敵と、限られた資源で戦っている現場はかなり厳しく肉体的にも精神的にも消耗していきます。その現状を支援することはもちろんです。
私も在宅という現場で活動してきた背景には、不要不急の救急搬送を減らす目的がありました。今でも、救急医療の現場を守りたい思いで、在宅医療に従事したいと考えています。
ただ、苦しんでいる人の支援にあたる人達は、決して医療現場の人達だけではありません。高齢者の支援をされている介護の皆さんがいます。生活必需品の生産を継続されている皆さんがいます。子どもたちの学習と心のケアにあたっている皆さんがいます。感染拡大を抑えるために希望する活動を自粛することで社会に貢献しようとする皆さんがいます。
しかし、どれほど、みんなのために働いたとしても、誰からも認めてもらえないと感じている人がいるかもしれません。まるでキリギリスのように…。
この闘いは、短期決戦ではありません。長く長く走り続けなければいけません。ですから、誰からも認めてもらえない苦しみは、避けたいと思うのです。ですから、医療者だけではなく、苦しんでいる人の力になろうとするすべての人に対して、その奮闘を認め、たたえることができればと思うのです。
苦しんでいる人は、自分の苦しみをわかってくれる人がいると嬉しい。
誰かの支えになろうとする人こそ、一番、支えを必要としています。
これは、ホスピス・緩和ケアの現場でこだわってきたことです。支えようとする人こそ、支えが必要です。長く長く走り続けるためにも、関わるすべての人が、職種を越えて、お互いを認め合い、お互いの健闘をたたえ、つながることができればと願います。
今日も良い1日でありますように。
今日は、この動画を紹介します。誰かを想う日でもありますように
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MONGOL800キヨサクが唄う「想うた」
https://www.youtube.com/watch?v=TsvQsOZc9_k
小澤 竹俊
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