4月23日は、私にとって忘れられない日です。2年前の今日4月23日午前3時19分、ご自宅で一人の患者さんの人生最期の診察を行いました。名前は、ペンネームでNanaさんと紹介します。Nanaさんの表情は、とても穏やかでした。それは、もう苦しむことも無く、人の迷惑をかけることもなく、限られた人生であったとしても、充実した時間を過ごされた証に見えました。
Nanaさんと最初に在宅で出逢ったのは前年の10月です。ですから、約半年間の在宅療養支援を担当していました。Nanaさんは、とにかく人に頼ることがきらいで、自分で自分のことを行うことを信念に生きてきました。そのNanaさんが病気と診断されたのは、訪問診療で出逢う5年前のことでした。手術や抗癌剤の治療を受けていましたが、再発され、徐々に治療抵抗性となります。仕事もやがてできなくなりました。一人暮らしでしたので、生活はとても厳しいものでした。
最初にお目にかかった時は、痛みがありました。しかし、いくつかの処方を変更して、身体的な苦痛はすぐに和らぐことができました。しかし、彼女の表情は暗いままでした。自分が自分でなくなっていく。周囲の人達の迷惑をかけたくない。こんな体なら、はやくこの世から消え去りたい。暗い思いが、重たく心にのしかかっていました。
永年の緩和ケアの経験を積んでいた私でも、Nanaさんのこの苦しみを和らげることはきわめて困難でした。どれほど心を込めて耳を傾けたとしても、笑顔を見せることはありませんでした。そこで、1つのお願いをしました。
今までNanaさんが生きてきた人生で、学んで来たこと、重要と思うことを、これから社会に出て行く子どもたちに伝えて頂けませんか?
私が、学校でいのちの授業を行ってきたこと、Nanaさんのメッセージが、これから多くの人達の心に届く可能性を紹介しました。Nanaさんは、一晩考えて、詩を書いてくれました。
病がくれた勇気/カラー
苦しみは、一人でがんばらなければいけないと思い込んでいた。
わたしの目に映る景色はモノクロだった。
でも、ある日、ほんの少しの“勇気という一歩”を踏み出すことで、
あたたかな手を差しのべてくれる人たちがこんなにも
たくさんいることに気がついた。
その瞬間、わたしの目に映る景色に色がついた。
わたしが、あなたが生きているこの世界は、
明るく・あたたかく・無限に優しい。
だから、一人でがんばらないで。
声にだして仲間を呼ぼう。
ほんの少しの勇気をだして。
この世界が七色に輝きだすから。
Nana
私は、本人の了承をえてFBに投稿しました。すると、全国から本当に多くの励ましのメッセージが届きました。Nanaさんは、そのメッセージ1つ1つをていねいに読んでいました。するとNanaさんの表情が一変しました。まさに奇跡としか思えませんでした。あれほど心をかたくなに閉ざし、早くこの世から消え去りたいと言っていたNanaさんが、満面の笑みを見せてくれたのです。
自分が誰からも必要とされていない
自分なんて早くこの世からいなくなれば良い
そんな思いを持っていた人が、笑顔になれるには、2つの可能性があります。
1つは、誰かの役に立てると思えることです。
たとえ、日に日に弱っていく体にあったとしても、誰かの役に立てると思えたならば、気持ちは変わります。今まで気づかなかった自分に気づき、こんな自分でも誰かの役に立てているという実感は、生きる意味を見出すきっかけとなります。さらには、生きる喜びとして、その人と周囲の人を明るく照らします。誰かの役に立てるということは、どんなときでも、自分の存在を認める上でとても大切なことです。
しかし、誰かの役に立つという考えがまったく通じないこともあります。特に人一倍責任感が強く、他人にも自分にも強く生きてきた人にとって、それまでと同じような役割を果たせないときの絶望感は、極めて深刻です。自分が自分でなくなる苦しみには、どれほど励ましも慰めもまったく通じません。
実はNanaさんは、その一人でした。かたくなに心を閉ざし、自分が自分でなくなる苦しみを責め続けていました。
では、なぜNanaさんは笑顔になったのでしょう。私は、先ほどの詩(病がくれた勇気/カラー)が、誰かの役に立てたからだけではなく、自分自身と同じような苦しみを持った人達とのつながりが、きわめて大きな影響を与えたと感じています。
Nanaさんにとって、本当の自分とは、仕事をして、生活するお金を自分の力で稼ぎ、人に頼らないで生きていくことでありました。そのNanaさんが笑顔になれたのは、なお仕事もできない、生活するだけのお金を稼げない、誰かに頼らなければ生きていけない、そんな役立たない自分の存在を。まるごと認めてくれる誰かとのつながりでした。その誰かとのつながりが、それまでのNanaさんから、新しいNanaさんに生まれ変われた力となりました。
役に立てることは、大切です。私も医師として、誰かの力になりたいと願い、資格を取り、現場で学びながら現在に至ります。誰かの役に立てるとき、よくできました(very good)と自分に言い聞かせる事ができます。
しかし、臨床の現場で学んだことは、すべての苦しみをゼロにすることはできないという厳しい現実でした。解決が難しい苦しみを前に、役立たない、何もできない自分があります。そんな役に立たない自分のことを、これでよい(good enough)と認めてくれる、多くのつながりに気づきました。自分自身の弱さを認めるからこそ、多くのつながりに気づき、歩き続けるたおやかな力になります。
苦しみは、一人でがんばらなければいけないと思い込んでいた。
わたしの目に映る景色はモノクロだった。
どうか皆さん、苦しみは、一人でがんばらないでください。一人でしかがんばれないとき、きっとモノクロの世界の中でもがき続けることでしょう。
でも、ある日、ほんの少しの“勇気という一歩”を踏み出すことで、
あたたかな手を差しのべてくれる人たちがこんなにも
たくさんいることに気がついた。
つらいとき、苦しいときこそ、そばで伴走してくれている誰かの存在に気づきます。
その瞬間、わたしの目に映る景色に色がついた。
わたしが、あなたが生きているこの世界は、
明るく・あたたかく・無限に優しい。
だから、一人でがんばらないで。
声にだして仲間を呼ぼう。
ほんの少しの勇気をだして。
この世界が七色に輝きだすから。
4月23日の今朝、あらためてNanaさんとの出会いに感謝です。そして、Nanaさんからのメッセージは、新型コロナウイルス感染拡大の影響で苦しんでいる多くの人の心に響くことでしょう。
これでよい(Good Enoughと思えるのは、単なる開き直りではありません。たとえ役立てない自分でも、自分の苦しみをわかってくれ、自分の存在をまるごと認めてくれる誰かとのつながりが大切になります。どうか私たちが、苦しむ誰かにとって、そのような存在になれますように。
どうか今日も良い1日でありますように!
♫
これでいいの 自分を好きなって
これでいいの 自分信じて
光あびながら 歩きだそう
少しも寒くないわ
(Let It Go 松たか子)
P.S.
あらためて…
これでよいと思えるのは、単なる開き直りではありません。たとえ役立てない自分でも、自分の苦しみをわかってくれ、自分の存在をまるごと認めてくれる誰かとのつながりが大切になります。そうでなければ、この歌は、ダイエットに挫折したお母さんの歌に聞こえてしまうからです。(たとえこの体型でも、たとえ着たい洋服が着れなくても、これでいいの、少しも寒くないわ…)
小澤 竹俊
・
エンドオブライフ・ケア協会では、このような学び・気づきの機会となる研修やイベントを開催しております。活動を応援してくださる方は、よろしければこちらから会員登録をお願いします。
© End-of-Life Care Association of Japan