<絶望に慣れることは、絶望そのものよりも悪い>

  • 支える人の支え
  • わかってくれる人がいるとうれしい
  • 解決できない苦しみ

 ゴールデンウィークによる人の移動を抑制し、新型コロナウイルス感染拡大を防ぐために、政府は緊急事態宣言の対象地域を全国に拡大しました。すでにこの1ヶ月近く自粛を強いられてきた人達は、終わりが見えない今の状況を憂えてどんな気持ちになるのでしょうか。

 

 いったいいつまで続くのだろう
 毎年楽しみにしていたGWの家族旅行に行けない
 仕事にも行けない
 勉強もしたくない
 もう何もしたくない
 
 かなわぬ思いが続くと、できないことがあっても気にしないようにします。そして、人はだんだんと感情を失っていきます。仕方がない、あきらめるしかない、もう何もかも嫌だ…。

 

 「絶望に慣れることは、絶望そのものよりも悪い」

 

 これは、カミュの小説「ペスト」に出てくる言葉です。絶望に慣れてしまい、ただ時間が過ぎるのを待つだけになると、人は感情を失うだけではなく、生きている意味そのものさえ失ってしまいます。

 

 真っ暗闇で絶望としか思えないとき、その環境でも生きていくためには、心の防衛反応として、感情を殺すことも1つです。しかし、そのときに大切な何かも失うことを案じます。

 

 それは、私たち一人一人の生きる意味であり、生きる喜びです。決して私たちは、一人で生きているわけではありません。さまざまなつながりの中で生きてきました。そして、いま、そのつながりが切れかかろうとしています。

 

 あえて、誰かのことを思い、人に優しくなりましょうとは言いません。現実はもっと厳しいことを知っているからです。苦しくて、悲しくて、ふさぎ込みたい思いの人が、どのようにして生きる意味や、生きる喜びを見出すかは、簡単なことではないことを、身をもって知っています。

 

 私たちは、自分の中にある弱さを認めなければ、この絶望に思える苦しみと対峙することはできないと思うのです。

 

 いつも心に留めていることは、私たち一人一人の弱さの中にある強さです。弱いからこそ、気づく自らの支えなくして、たおやかな心は生まれないからです。

 

 私はホスピス・緩和ケアの講演会では、あまり美しいエピソードだけを紹介することはしてきませんでした。それは、表面的なエピソードだけでは、困難な中で生き続けることは難しいと感じていたからです。

 

 目に見えない伴走者の存在を私は大切にしています。一人一人、気づかない誰かが必ず応援してくれています。そのうえで、今度は私たちが、他の誰かの伴走者として、力になれますように。

 

 今日も、良い1日でありますように。

 


なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ

(アンパンマンのマーチ)

#コロナ4Cチャレンジ

 

小澤 竹俊

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