<目に見えない伴走者に気づいていますか?>

  • 支える人の支え
  • 関わるすべての職種にできる援助
  • わかってくれる人がいるとうれしい
  • いのちの授業
  • 不条理
  • 新型コロナウイルス

 新型コロナウイルス感染拡大が本格的になってきました。目に見えない敵と向き合うということは、精神的なストレスは、数倍増します。普段の生活の中で、自分が感染するのではないか、あるいは、自分が他の人にうつしてしまうのではないか。何気ない生活にあって、最善を尽くしても、決して100点を取れるとは限りません。

 たとえ最善の医療を施したとしても、重症化した肺炎の患者さんをすべて救命できるとは限りません。どれほど感染予防に留意したとしても、発熱もなく無症状でありながら、すでに新型コロナウイルスに感染している誰かとの接触をすべて避けることはできません。

 この厳しい現実とどのように向き合っていけば良いのでしょう。

 苦しむ人の力になりたいと思えば思うほど、実際に力になれない現実の中にいると、無力感にさいなまれることがあります。とくに正義感が強く、困難な中でも何かの役割を担おうとする人は、その期待に応えたいと思うあまり苦しくなります。

 父として家族を養う役目を果たしたい。母として子どもたちの健康を守りたい。息子として、娘として、年老いていく親が穏やかに過ごしてほしい。仕事を通して、誰かの力になりたい。たとえ困難な中であっても、それぞれの役割を見出し、必死に生きていこうと心がけます。

 しかし、自分が希望するような役割を果たせず、力になれない現実もあります。そのようなとき、力になれない自分が嫌いになり、自暴自棄に陥り、とても自分を好きになれません。

 なんで力になりたいのに、自分は力になれないのだろ?
 今までこんなに努力してきたのに、
 どうしてこんなに自分は弱いのであろう?
 こんな自分が、大嫌い…。

 私たちの人生は、決して平坦ではありません。平和だった日常が、わずか一瞬で、地獄の世界に変わります。先行きの見えない不安の中、いつまでこの苦しみが続くのかと心が苦しくなります。

 私も医師として、苦しむ人の力になりたいと願い、学んで来ました。しかし、どれほど最新の医学を学び、研修を受け、最善をつくしたとしても、すべての病気を治すことはできません。ホスピス・緩和ケアの現場で直面した事実は、たとえ医師という資格を持っていたとしても、すべての苦しみを取り除くことはできないことでした。

 力になりたいと願いながら、残り続ける患者さん・家族の苦しみを前に、無力感にさいなまれ、自分に自信がなくなっていきました。ホスピス病棟で働いて4年目の頃のことです。

 そこで学んだのは、自分の弱さを認めることでした。所詮、医師であっても一人の人間にすぎないこと。自分という一人の人間としてできることには、限りがある。資格の有無は、あくまで限りのある範囲の中であり、それを越えた世界では、まったく通じないことを、看取りという現場で、ありありと学んできました。

 不思議ですが、自分の弱さを認めると、新たに見えて来るものがあります。それは、力になれない自分であっても、自分の存在を認めてくれる確かな支えでした。

 どんなに疲れて家に帰ってきても、当時小学生であった息子と娘の顔を見ると、不思議に気持ちが穏やかになれました。深夜に看取りにでかけ、疲労困憊で帰ってきても、当時、我が家で飼っていた愛犬(名前をシシリー・ソンダースとつけていましたが…)が玄関にシッポをふって出迎えてくれると、気持ちが温かくなりました。ホスピス病棟で悲しいお別れがあったとしても、家内の笑顔が薬になりました。

 決して一人ではありません。ともに働くホスピス病棟のスタッフがいました。まだホスピスで働きはじめて4年目ではありましたが、同じ神奈川県内で働くホスピス病棟の仲間もいました。そして、何よりも、力になれない自分を認め、その存在を赦してくれる信仰がありました。

 皆さんは、支えはありますか?

 うまくいっているとき、人は支えを必要としません。自分一人の力で、すべての課題を解決することもできるでしょう。しかし、ひとたび、解決の難しい苦しみと向き合わないといけないとき、力になれない自分とも向き合わないといけません。

本当の力とは、すべての問題を解決できるオールマイティーな力ではありません。自分の弱さ・無力を認めた上で、折れない心・たおやかさを保ち、困難と向き合える力です。

 支えは、決して目で見え、手で触れるとは限りません。皆さんは、目に見えない伴走者に気づいていますか?

 皆さんのことを気づかい、そばで応援してくれる誰かが必ずいます。

 その誰かとは、先に逝っているご家族や友人かもしれません。皆さんが、過去にお世話してお別れされた誰かかもしれません。皆さんが気づかない大切な誰かが、今も側で伴走していることに気づけば、たとえ絶望としか思えない現実であったとしても、歩き続けることができるでしょう。

 誰かの支えになろうとする人こそ、一番、支えを必要としています。

 きわめて厳しい現実がやってきたとしても、私たちそれぞれの支えを大切に、向き合うことができますように。

 今日も良い1日でありますように!


ずっと閉じ込めてた 
胸の痛みを消してくれた
今私が笑えるのは
一緒に泣いてくれた 君がいたから
一人じゃないから 君が私を守るから
強くなれる 何も怖くないよ
時がなだめてく 痛みと共に流れてく
日の光が やさしく照らしてくれる

(Story:AI)

ちなみに写真は、最北端・稚内からみた利尻富士です

 

小澤 竹俊

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