新型コロナウイルスに感染すると、その重症度によってホテルでの隔離か、病院へ入院して治療をうけるか、療養場所が変わります。
共通することは、自由に外に出られないことです。
もし皆さんが、何かしらの理由で自由に部屋の外に出られない状況に陥ったら、どんな思いになるでしょうか?散歩することも、集まってわいわいしながら食事をすることもできません。
1日や2日だけであれば何とか我慢もできるかもしれません。それが2週間となれば、精神的には、かなりの負担になることでしょう。
2020年1月29日新型コロナウイルスが蔓延する中国・武漢市からチャーター機で帰国した第1便の人達は、飛行機内に感染者がいたこともあり、千葉県勝浦市内のホテルで滞在することになりました。
191人の滞在者に対して部屋は140しか用意でませんでした。外出はできず、洗濯物も各部屋で行い、食事はお弁当です。共有部分である大浴場も廊下も使用は禁止されました。
自由を奪われる苦しみは、怒りとなります。そして、その矛先は担当した行政のスタッフに向きました。そして、2月1日に犠牲者がでました。自らの命を絶たれたのです。
社会的な過ちを犯し、その罪のために自由を奪われるのではありません。今まで普通に生活をしていたにも関わらず、自由を奪われ苦しむ人がいます。
苦しむ人の力になりたいと願いながら、力になれず、かえって罵声をあびなくてはいけない人がいます。新型コロナウイルス感染拡大は、まさに私たちに大きな試練を与えました。
絶望にも思える状況の中で、苦しんでいる人は笑顔になれるのでしょうか?
いのちに限るがある人との関わりで学んで来たことの1つは、苦しんでいる人は、自分のことを気づかってくれる人の存在が重要になるということでした。ちょうど良い距離を保ちながら、気づかってくれる誰かの存在は、孤独感や疎外感から解放される一歩です。
当時のホテルの中は、混乱を極めていたと思います。その中で変化があったのは、地元の人達からの応援でした。とはいえ、見えない感染との闘いは、直接の交流はできません。そのため、ホテルの前にある砂浜に応援メッセージを書きました。
その様子は館内放送で紹介され、滞在者の人たちの目に留まることとなります。そして竹灯籠の点灯や和太鼓演奏や地元中学生からは直筆メッセージなど、支援の輪が広がります。
もちろん施設内では直接、ホテルの人たちや行政の人達の様々な配慮がなされたことでしょう。これらの暖かな思いが、半月にわたる限られた自由という苦しみを乗り越える力の1つになりました。
私たちは、地域で苦しんでいる人に気づいているでしょうか?
一番悲しいことは、地域で苦しんでいる人達に無関心でいることです。
みんなが苦しんでいる中で、自分のことで精一杯という人もいるでしょう。とても他人のことを思いやることなんて、できないとあきらめる人もいるでしょう。
それでも、誰かを気づかい、思いを寄せることはできます。
愛の反対は、無関心です。
これはマザー・テレサの有名な言葉です。
できることはたとえ限られていたとしても、誰かを想うことから、地域のコミュニティーは形成されていきます。その小さな思いの積み重ねが、やがて大きな力になっていくことでしょう。
今日も良い1日でありますように。
P.S.この写真は、死の臨床研究会年次大会が秋田で開催されたとき、象潟の砂浜での一コマです。勝浦の海ではありません…。
小澤 竹俊
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