コラム77:「OKプロジェクト」を共通言語に!!!

  • 言葉にする
  • いのちの授業
  • 子ども
  • わかってくれる人がいるとうれしい

静岡県立静岡がんセンター 看護師 

関口圭子さま

(ELC第82回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、ELCファシリテーター、折れない心を育てる いのちの授業レベル1認定講師)

 お恥ずかしいながら、当時小学2年生の娘と私は、本当に仲が悪かった。小さい時から、なぜかすぐにぶつかり合う。本当はとても愛おしい大切な存在なのに。

 このぶつかり合いを何とかしたい、どうしたらいいんだろうと悩み、子育てが苦行にしか感じられない時もあった。

 こんなことを思ってしまう私は、母親失格ではないか。そんな自分を認めたくなくて、さらけ出せなくて、子育てというものを孤独に感じてしまっていた。普段は看護師として、いつも笑顔で患者さんに心から愛情を持って関わっているのに、母親としてはガミガミ言ってしまう本当にダメダメ母さんで子供たちが寝静まった後、毎日のように寝顔に謝り自分を責めていた。

 

 娘もまた、とても苦しそうだった。とても明るくてコロコロ笑うような子が、私とぶつかり合うときは本当に厳しい顔を見せる。

 そんな二人が少し変われたのは、「折れない心を育てるいのちの授業」を受けてからだった。

 

 最初は、どんな授業だろう?エンドオブライフケア協会が主催するのだから間違いはないだろうけど、子供も一緒に受講していいの?じゃあ娘も一緒に受けてみる?とクエスチョンだらけで申し込んだ。

 

 きっと2時間近くも集中力は持たないだろうから、途中から離れてテレビでも観ていたら?なんて娘に言っていたら、なんのその。優しい笑顔と温かい声で話しかけられると、魔法にでもかかったかのように、講師の先生のお話を、一生懸命理解しようと全集中で聞く娘。

 

 オンラインだったからマイクを持って発言するような緊張感がないからなのか、物怖じしないでバンバン挙手して答える娘に、私は、ただただ驚いてしまった。娘の新たな一面を垣間見た。2回目の授業も受けたい!と娘からの要望で、申し込んだ。

 

 骨子は同じでも、講師の先生の語り口や切り込み方が違うので、これまた娘は全集中。面白くてググっと引き込まれる導入から、身近な話題で実感することも多いのか何度も頷いている。

 今度は聞きながら、グラレコまで書き始めた。漢字やカタカナの間違いが多少あっても気にならないくらい、素敵なグラレコだった。

 

 午前中いっぱいの授業が終わってから、食いしん坊の娘は腹ペコのはずなのに、今度は自分が講師になって1時間近く解説を始めてくれた。
 

 これまた、度肝を抜かれた。
ひそかに講師トレーニング中だった私は、娘にすっかり先を越されていた。

 

 小学2年生、学校の授業もままならない娘が、しっかりと吸収し、なんとアウトプットまでしていた。講師の先生のすごい熱量と分かりやすい言葉やスライドで、娘のハートはがっちり掴まれていたようだ。

 

 2回目の授業を受けたあたりから、娘と私に共通言語が生まれ、日常の会話に少し変化があった。

 

「苦しみは希望と現実の開きだから、今お母さんの希望はこうだけど、現実はこうだから苦しいんだね。その開きが大きいんだね。」と私の苦しみを紐解いてくれたり、「お友達が苦しみを持っていたから、反復をして聴いたらたくさん話をしてくれたよ。聴いてくれてありがとうって言われたんだ。お友達との関係が強くなる感じがしたよ」「○○ちゃんは、私の支え。わかってくれる人だから」「いのちの授業を受けてから、友達から相談されることが増えたんだー」学校から帰ってきて、娘は目を輝かせて話をしてくれるようになった。

 

 そして、お友達への理解も変わってきた。よく意地悪を言ってくる△△君はいやだ!と、いつも文句ばかり言っていた娘が、「△△君も、苦しいのかな。苦しくて仕方ないから、頭ではだめだと分かっていても人を傷つけてしまうのかな」と、言ったのだ。


 今までは、まるで天敵のように話していた友達のことを、苦しみを抱えている存在として捉える娘の視点に、私はとても感銘を受けた。

 私自身も、以前はすぐに励ましたり説明をしようとしてしまっていたが、そんな逸る気持ちを少しゴックンと飲み込んで、「沈黙」「反復」そして「問いかけ」。娘から言葉が出てくるのを、待とうと思うようになった。


 そして、自分の持つ苦しみにも向き合った。「いつも笑顔で子供のことを優しく包み込むようなお母さんでいたい」という「希望」に対して、「ガミガミ怒ってばかりのお母さんである」という「現実」の開きを知り、この開きが大きいから苦しいのだと気が付いた。

 「希望」のラインをもう少しだけ下げてみよう。「いつも笑顔で」を「できるだけ笑顔で子供と楽しく過ごす」に変えてみて、「現実」は「怒ってばかり」から「時には怒ってしまうこともあるけど自分が悪かったら子供たちにちゃんと謝れるお母さんでいる」という風に希望と現実の開きを少しでも小さくする。

 

 こんな風に自分の苦しみを言語化できることで、たくさんの気づきがある。
そして、自分の「支え」である家族・友人・本や音楽、雄大な富士山や美しい空、ELCで繋がれた方たちの温かい言葉・・・たくさんの支えがあることを思い出すことで穏やかになれるという実感があった。

 

 今も時々ぶつかってしまうけれど、たとえ100%理解できなくても、娘はわたしにとって「わかってくれる人」であり、私も娘の「わかってくれる人」になりたいと思っている。

 

 こんな変化がそれぞれの家庭で、学校で、地域で増えていくと、少しずつ「苦しみを抱えながらも穏やかに生きられる」世の中になるのかな、と思う。だから私も、既に地域で活動を続けている先輩方のあとに続きたい。

 

 「折れない心を育てるいのちの授業」が当たり前のように小学・中学・高校の授業に取り込まれたり、地域の活動に年一回は当然のごとく入っていたりすることで、OKプロジェクトが、みんなの共通言語になる。

 

 そのうち、2020年の流行語大賞になった「3密」と同じくらい、「OKプロジェクト」は流行語になり、だれでも知っている用語になる。苦しむ人に気づく人が増え、行動する人が増える。そして、これから迎える少子高齢多死社会でも「愛」があふれる社会になっていく。

 

 そんな夢と希望を持って、今日も私は娘と対話している。

エンドオブライフ・ケア協会では、このような学び・気づきの機会となる研修やイベントを開催しております。活動を応援してくださる方は、よろしければこちらから会員登録をお願いします。

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