ソーシャルワーカー(社会福祉士 精神保健福祉士)
金杉泰子さま
(ELC第100回生)
私は公立小学校、中学校、また公設私営の大学で児童・生徒・学生のためにソーシャルワークを行ってきた。元々心理職として教育現場で勤務していたのだが、私の力量が足りず、心理的なサポートのみでは一時的に子どもを笑顔にすることはできるが、子どもを取り巻く環境に根本的な原因がある場合、その環境に戻っていくと彼らの笑顔が消えていってしまうということを何度も経験した。困っている子どもを取り巻く環境には貧困やいじめや虐待等がある。そもそも貧困やいじめや虐待等が起こるのは何故なのだろうという思いから社会福祉を学び直した。貧困には経済的貧困もあれば関係性の貧困もあり、また様々な形の「孤立」がいじめや虐待等を生んでいるのだと考えているのだが、そのような子どもたちのために、大学の学生ボランティアと子どもの居場所を創り、「孤立」しないためにもこのコロナ禍でも細々と活動を継続している。目の前の子どもや家族、教職員のみならず、行政、医療、そして何よりも地域の方々とつながることで子どもや学生たちが孤立することを防ぎ、彼らに笑顔が戻ることが多くなったことを実感した。
しかし、突然のことだったのだが私の体調が悪くなり昨年の夏に全ての仕事を辞め、夫の海外転勤に帯同しアジアの常夏の国で生活することになった。今回は長女の出産の手伝いで一時帰国したのだが、その間に「様々なこと」が起こり未だに夫を異国に残したまま私は東京の自宅にいる。この「様々なこと」の中で心身共に疲れ果て、このままでは自分が自分でなくなりそうだという焦燥感や不安から、自分を落ち着かせるために何が必要なのかを考えた結果、他者と共に学びたいという欲求が強いことに気づいた。「高齢者の心理」「死を前にした人」「生きるとは」「心理的サポート」「セミナー」等、どのような言葉の組み合わせで検索したのか覚えていないが、検索結果からの溢れるような情報の中にあった「エンドオフライフケア」という言葉に導かれ、9月末のエンドオフライフ・ケア援助者養成基礎講座への受講を申し込んだ。
受講後「支えになろうとしている人こそ支えを必要としている」という言葉に1ヶ月前の自分を重ねていた。支えには「他者との学び合い」も含まれるのだと実感している。また、「苦しんでいる人は自分の気持ちをわかってくれる人がいるとうれしい」という言葉は自らの体験に裏打ちされた言葉であり心に沁みた。
「傾聴」や「寄り添う」という言葉は最近あまりにもよく使われるようになったが、具体的にどのようにすれば良いのか教えてくれる場は少ない。「傾聴」も「寄り添う」も勝手に自分でできていると思い込んでいる場合もある。私もソーシャルワークとは何かを説明するときに「目の前の方に寄り添い、ストレングス視点でアセスメントし、できる限り多くのリソースを活用してプランを作り、その方をエンパワメントすることでQOLを高める」という言葉を分かったつもりで使っていたが、「つもり」ほど怖いものはない。そこのところをとても具体的に、そして誰にでも分かり易い言葉で小澤先生のご著書では説明されていた。地域の方々の力は計り知れない。社会的ネットワークを構成する要は地域の方々の力だと確信している。そんな地域にいる専門職ではない方々にも分かり易い言葉や具体的な方法で、目の前にいる苦しんでいる人に「寄り添う」ことを学ぶ仲間が増えれば、日本は今より、あったかな心のふれあいに溢れた国になるのではないかと思う。
小澤先生が受講生たちに種を撒き、その種が芽を出し花を咲かせ実を結び、更にたくさんの地域の方々にも種が撒かれ身を結ぶこととなるよう、私も微力ながらどこかでお役に立てるようになれればと思っている。
エンドオブライフ・ケア協会では、このような学び・気づきの機会となる研修やイベントを開催しております。活動を応援してくださる方は、よろしければこちらから会員登録をお願いします。
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