コラム88:弱さを認め 強く生きる

  • 家族
  • 穏やかな最期
  • 支える人の支え
  • わかってくれる人がいるとうれしい

秋田県厚生連平鹿総合病院 看護師

小俣寛子さま

(第107回生)

「強く、つよく 生きろ」

 父は実直で厳しくも、いつもそばで私たちにたくさんの愛情を注いでくれました。

 

 そんな父がこの言葉を残し急逝してから20年が経ちます。何もできなかった申し訳なさと、自分の無力さに後悔の念しかありませんでした。

 

 その後看護師となった私は、苦しんでいる人の力になりたい。
支えになりたい。そんな思いで奔走してきました。

 

 そんな時、エンドオブライフ・ケア協会に出逢ったのです。

 

 苦しんでいる人はわかってくれる人がいるとうれしい
 それは 励ましでもなく 説明でもなく 話を聴いてくれる人
 力になれなくても これでいいと認めてもらえる たしかなつながりが大切

 

 経験したことのない包容感に涙が止まりませんでした。私も苦しかったんだ。私も支えを必要としていたんだ。そして、今の私があるのは父や家族、これまで出逢ってきた仲間のおかげであり、その存在に支えられていること。それを改めて実感し、感謝の思いでいっぱいになりこころが熱くなったのを覚えています。

 

 今、私は病院で退院支援看護師をしています。誰のための支援か。望んでいる生活を目指した支援か、笑顔の見える支援になっているのか。ここ数年はコロナの影響もあり面会禁止で、入院生活に孤独を感じている人は少なくありません。反復しながら、丁寧に話を聴くことで少しずつこころの声を聴くことができるようになってきたように思います。

 

 68歳男性。抗がん剤治療がうまく進まず予後数か月。両下肢は脱力があり、気力体力ともに低下し移乗には全介助が必要です。「何にもしたいことはない。あとは死ぬだけ。動けないし思うように食べられない。何するにも家族に迷惑がかかる、ここにいたほうがいい。」半年近く続いている入院生活で悲観的な言葉が多く聴かれていました。雪が解け、桜が咲きだしたある日、彼は隣にいる私に「天井は、見飽きたな。ちょっと花、見にいけるかな。」神妙な面持ちで話し始めました。その週末、彼は少し緊張しはにかんだ笑顔で、久々に家族とドライブに出かけていきました。途中、気分が優れず2時間弱のドライブとなりましたが、「桜見できた。きれいだっけ。」少し間を置き、今までにない笑顔で「次は家がな」と、彼にとって大きな一歩となりました。思いを言葉にして共有し行動することでその人の希望や支えに気づき、前を向くことができる。表情も明るくなり穏やかさを取り戻す患者や家族。

 

 支えたいと強く思うからこそ、辛くなったり、どうしたらよいかと苦悩することがあります。自分の弱さを認め、関わり続けられることが大切。そしてきっと自分の存在が誰かの支えになっている「強く つよく 生きろ がんばれ!」父は最後までたくさんの愛とメッセージを残してくれました。最後まで、ありのままの姿で一緒にいさせてくれました。今では、わたしの夢に向けた大きな支えであり、エネルギーになっています。

 

 相手の苦しみを完全に理解することはできない。ただ、誰かが苦しみをわかってくれたと感じることができたら、人生最後に「生きてきてよかった」と思えたら、穏やかな人生で終われるのではないでしょうか。また、その方との想い出が、今度は残された人たちの支えになるかもしれません。一人でも多くの人が最後のその時まで、ありのままで自分らしい穏やかさを感じられますように。支えを感じていけますように。これからもたくさんの仲間と共に、支え合い、関り続けていきます。
 

エンドオブライフ・ケア協会では、このような学び・気づきの機会となる研修やイベントを開催しております。活動を応援してくださる方は、よろしければこちらから会員登録をお願いします。

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