コラム90:いのちの授業を伝えることで私自身が教えられたこと

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ソーシャルワーカー

田中宏幸さま

(ELC第65回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター、折れない心を育てる いのちの授業レベル1認定講師)

エンドオブライフ・ケア協会との出会い

 私が製薬会社の抗癌剤グループで勤務していたころ、その時代は癌になったら病院で最期まで治療をし続け、最後の最後まで延命治療をする時代でした。


 そのような延命治療について国民が疑問視し始めたころ、父親が長い間 闘病していた前立腺がんが全身骨転移となり、急死した母の代わりに単身で自宅に戻り父との生活を始めました。

 父の「頼むからこのまま自宅で最期まで居たい」「人生の最後ぐらい自由に生きたい。」という言葉を叶えたいと、資格を取ったり、当時はなかった在宅医療に代わる往診をお願いしたり、緩和医療についても懇意にしていた先生にお願いするなど奔走し、自宅で看取ることが出来ました。

 

 また同じ時期に、仕事でお会いする機会のあるがん治療の患者様がやはり「最後は家で迎えたい」とおっしゃった言葉が、私の「人生最後の希望を叶える仕事がしたい」という転機になりました。

 退社し在宅医療に関わる仕事を始めていた時に、製薬会社時代に懇意にしていた先生からエンドオブライフ・ケア協会(ELC)の活動について紹介され、エンドオブライフ認定援助士・並びに折れない心を育てる いのちの授業の講師の資格を取得しました。

 

 癌の末期の方に「頑張れよ」という言葉は酷な話です。だって自分では頑張りようがないのですから・・・でもその時に、その方がその人のままで良いと思う「支えに気づく」ことや「解ってくれる人がいる」ことで「苦しくても穏やかになれる」というとても大切なことをELCの講義で知りました。

 

いのちの授業の講師をして私自身が教えられたこと

 そして同じくELCのいのちの授業の講習に参加していた時、私は知的障がいの若者数名の成年後見人をしていました。その人たちは一見健常人と変わらないのですが、身体的なことや心理的なことで圧がかかると拒否をします。周りから見たら「わがままなやっちゃ」としか理解できない行動を取るのでついつい周りから「怒る」「嫌う」「遠ざける」とされ、彼らはまた世間嫌いになってしまうのです。

 いのちの授業の講習を受けて彼らに「苦しみとは何だろう」と話しかけ、「希望と現実の開き」ともとれるんじゃないかな?と話したとき彼らの目が大きくなって「そっか!希望と現実の開きなんや」と・・・苦しみという抽象的な心の中の想いを希望と現実の開きととらえることが理解出来るようになったことが最初のびっくりでした。

 2019年11月に講習を受けてからしばらく時間をおいて2020年11月7日に講師になり、2021年2月に『折れない心を育てるいのちの授業』の講師として、1週間で授業のサポート1回と、メイン講師を5回させて頂きました。

 4つの小学校の4年生から6年生それぞれ皆素晴らしい生徒さん達で、一生懸命聞いてくれました。キラキラとした目で見つめられるだけで…あぁこの授業がこの子達に何か響いてくれたら嬉しいなと、こちらが洗われる気持ちになりました。"選ぶことができる自由’’でスポーツの話をした時に『ラグビー』に興味を示してくれて休み時間にも声を掛けてくれた生徒さんや、帰る時にお手紙をくれた生徒さんや感想文に新たな質問を書いてくれた生徒さん。

 

 中には感想文に「私なんてこの世にいなくていいと思っていたけど(中略)頑張って生きていこうと思った」など、心に色々抱えた生徒さんたちから「苦しいときには助けを呼ぶ勇気をもらいました。」「私はいつもなんで私だけ?と思っていましたがみんなの発表を聞いてみんな一緒なんだと思ってこれからは反復を使って聞いてあげようと思いました」など、読んでいると涙が出そうな真摯な感想を沢山いただきました。

 

 ちょうどそのころ社会福祉士としてスクールソーシャルワーカーの研修を受ける中で、悩みを抱える子供たちに寄り添える時間や場所が少ないことに疑問や不満を感じていました。

 

 しかし私がこの授業をさせて頂いて気付いたのは、通常の授業の様な知ってる人(先生)が知らない人(生徒)に教えるという上から下の教育ではなく、''気づき''を学んでもらうことだということなんです。

 

 すなわち、「いのちの授業」はスクールソーシャルワーカーやカウンセラーの数や時間などではなく、生徒さん自身が「気づき」、「支え」を知り、「苦しむ人に気づく」ようになる。相互に影響し、「聴いてくれる人」になる、大切な授業なんだと。

 

 また、学校の教室にいる生徒さんは私たち…少なくとも『私』よりは、博学で繊細で優しいことに驚きました。私が知らないことや戸惑った時には丁寧に教えてくれて、優しい言葉をかけてくれる同朋?みたいな感じでした。そのことがあってから、小学生の皆さんに言葉をかける時はひとりの人間として丁寧に、あるときは敬語で臨む様になりました。そうすると、生徒さん達も解ってくれたと思うのか真摯に対応してくれて、いのちの授業の本意に気づいてもらうことが出来ていると思います。

 

いのちの授業を通してこれから伝えて行きたいこと

 今では学校での出前授業だけではなく、専門職…社会福祉士会や介護士スタッフへの授業も行っています。面白いのは終わってからの感想に''明日からやってみます''という感想が生徒さんも大人も一番多いことです。簡単に明日からできることを伝える・・・しかしながら本当に寄り添うことの意味を伝える「いのちの授業」。そして伝える我々にも毎回多くのギフトを頂ける「いのちの授業」。・・・今でも多くの感想文に私自身が背中を押してもらっています。

 

 この「いのちの授業」は今までのコミュニケーション技術とは一線を画す気づきを与える授業として、今後も…また何度も伝えて行きたい私のライフワークとして大切にしていきます。

 

最後に・・・

 解決できる苦しみを解決する方法は学べても解決できない苦しみとの向き合い方は教えてもらうことはありませんでした。そして、「出来て当たり前」の世界から「これでいい」というGood enoughも・・・これらをこれからも大切にしていきたいと思います。

 

 エンドオブライフ・ケア協会との出会いに感謝しています。
 ありがとうございました。
 

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