医療法人清友会 清水医院 医師
宇田真記さま
(第6回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、ELCファシリテーター、 折れない心を育てる いのちの授業レベル1認定講師)
14年ほど前、松山市医師会主催の講演会でのことです。医師として私の人生に大きな変化が訪れました。当時の私は、大学病院から父の診療所に帰り、在宅医療を始めたばかりでした。在宅緩和ケアをしたくて地域医療を選んだのに、自分が役に立てているのか不安でいっぱいでした。
何が不安なのか?目の前で苦しむ患者さんが吐き出す言葉に、答えがみつからないのです。
「なんで、自分がこんな病気になったのか?」
「もっと治療したかったのに、主治医にここを紹介された。」
「こんな若い先生に、私の苦しみなんてわからない。」
それまで学んだ緩和ケアの知識や研修は、現場では何の武器にもなりませんでした。
その講演会で、私は「エンドオブライフ・ケア(ELC)こそ、私に必要な学び」と確信し、養成講座を申し込みました。
【苦しみは希望と現実の開き】
身体的苦痛や身体所見ばかりに目が向き、患者さんが抱える本当の苦しみを見ていなかったことに気がつきました。私が患者さんの苦しみを決めるのではなく、患者さんの何気ない言葉にたくさんの苦しみが溢れていることに気づきました。
【解決できない苦しみがあっても支えがあれば穏やかになれる】
当時、初めて自宅でお看取りをした肝細胞癌末期の方の穏やかな笑顔を思い出しました。彼女は、強い信仰をもっておられ、独居でしたが死に対して不安はなく、自分は仏さまになると穏やかに笑っていました。例え死を前にしても穏やかでいられる支えを見つけ、強めるという方法は、「医師や専門職でなくても誰でもできる」大きな可能性を感じました。
【主語は患者さんであり、相手からみてわかってくれる人であるかということ】
振り返ってみて、私はわかってくれる医師ではなかったことに気がつきました。患者さんのために、「力になりたい、何とか楽にしてあげたい」と一生懸命に薬を選ぶことは大切ですが、患者さんにとって、わかってくれる人になることはそれ以上に大切だと感じました。「わかってくれる人になりたい」震えるような、込み上げてくる熱い思いが生まれました。
【誰かの支えになろうとする人こそ、支えを必要としている】
この言葉は、開業医として一人で頑張らなければならないと勝手に思っていた私に、一筋の光のように感じました。自分は一人ではない、私には家族や仲間、たくさんの支えがあることに気が付きました。自分自身に支えが必要と知ったことで、自分をわかってくれる人を大切にすること、そして出会いを大切に思えるようになりました。初対面で同じグループになった方も大切な支えとなりました。
援助士になった後、気持ちが変化していきました。若い訪問介護士さんや、施設介護士さんからの一言、「看取りが近い方に、どう関わればいいのか怖いです」「なんて声をかけていいのかわからない」「自分は介護職だから、何もできません」こんな声を耳にし、ELCと出会う前の自分の姿と重なりました。
自分が学んだことを自分が現場で実践するだけではなく、伝えたいと思うようになりました。看取りの現場で、医師ができることは実は多くはありません。介護士・訪問看護師・薬剤師・ケアマネージャーさん、たくさんの援助職がELCを共通言語にしてチームとなったら、笑顔になれる患者さんが増えると思いました。
そこでファシリテーターとなり、エンドオブライフ・ケア愛媛を仲間と立ち上げました。現在、地域学習会で学びを継続し、令和4年3月には全国のファシリテーターの皆さんの力を借りてエンドオブライフ・ケア援助者養成基礎講座(インハウス)を開催することができました。仲間と共に一つ一つ夢が叶うこと、これも私の支えです。
今、コラムを書きながら一人の患者さんを思い出しています。
16歳で卵巣癌が見つかり、手術の麻酔から、化学療法、そして最期の時まで関わった方です。非情にも進行していく癌に、自分の無力さを感じ何度も涙しました。どんなに頑張っても、いのちは助けられないという現実です。
痛みや呼吸苦といった解決できる苦しみは解決できるよう努めました。そして彼女の支えを強めるために、修学旅行に行きたいという夢や高校に通うという希望を叶えるため、ご両親や高校の先生と協力しサポートしました。
彼女が自分で選ぶという自由を大切にし、療養場所や治療も本人と相談して決めました。最期は当院に入院し、看取りの時を迎えました。自分は彼女のために最善を尽くせたのか?と振り返ると、決して役に立てた(very good)とは思えませんでした。しかし、先日、久しぶりに対面したご家族が「あの子にとっても、私たちにとっても先生は一番わかってくれる先生だから」とお話くださいました。なんとなく、彼女がこれでいいんだよと笑っているような気がしました。
当たり前ですが、がんだけではなく神経難病、認知症、老衰など、治らない病気・状態はたくさんあります。自分の弱さを認め、受け入れることができたのは、このエンドオブライフ・ケアの学びがあったからでした。たとえ治せない病気であっても、支えを見つけることや、わかってくれる人になることには可能性があります。以前の私のように、目の前で苦しむ誰かのために力になれず、自分の無力さに心が折れそうな人がきっとたくさんいると思います。「苦しむ人への援助がここにはある!誰かの支えになろうとする人を支える仲間がここにはいる!」と、これからも伝えていきたいです。
たとえ死を目の前にしても穏やかでいられるELCのこころのケアは、人生の最終段階に限らず、あらゆる場面で光となると思います。わたしには3人の子供、結婚して20年になる夫、そして私を育ててくれた父母や兄弟がいます。私自身が育ったこの地域で、子育てをし、仕事をし、いつかは最期を迎えることと思います。愛してやまないこの愛媛松山で、ユニバーサル・ホスピスマインドを広め、優しさが繋がる地域コミュニティを作りたい。誰もが、大切な人と穏やかに過ごせるように。
エンドオブライフ・ケア協会では、このような学び・気づきの機会となる研修やイベントを開催しております。活動を応援してくださる方は、よろしければこちらから会員登録をお願いします。
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