コラム95:「Good enough」を届けたい

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奈良市内 在宅介護支援センター 介護支援専門員

小野文さま

(第72回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、ELCファシリテーター、折れない心を育てる いのちの授業レベル1認定講師)

 私は長女としてこの世に生を受けました。亡き母は、沢山愛してくれていましたが、とても厳しい人で、何に対しても完璧を求め、中々褒めてもらえなかった子供時代を思い出します。例えばスイミングのテストが不合格だった時、試合に負けた時、学校の成績表をもらった時、大学入試が不合格だった時・・・。悲しくて、悔しいのは私なのに、なぜか怒られて「ごめんなさい」と言っていました。

 

 だから、こどもが産まれた時、私が感じたような気持ちには絶対にしないって思って子育てしていましたが、同じように長男や次男がスイミングテストが不合格だった時、「あー残念やったね。また練習だね。次は大丈夫だよ」と言ったらプイとそっぽを向かれ、娘が陸上で一人目標タイムが出なかった日も「あんなに頑張ってたのにな。悔しいやろう。また次頑張ろう!」と声を掛けたら「お母さん何もわかってない。きらい」と言われたり・・・なんで?なんかおかしい。 私、怒ってないのに・・・応援しているつもりなのに・・・そんな思いが湧き出てきて、苛々していた自分がいました。

 

 そんな時に、小澤先生の「折れない心を育てるいのちの授業」の本に出逢いました。認定講師のトレーニングを受けさせてもらう前に、先ずは援助者養成基礎講座の2日間、大阪で参加させていただきました。講座中も、先生の本の中にも「苦しんでいる人は、自分の苦しみをわかってくれる人がいるとうれしい」という言葉が出てきます。この言葉の深さを切々と感じた一つに、娘の事があります。

 

 中学生になった娘。毎日の学校生活の中で、お友達とのやり取りから、色々悩み・苦しんでいました。更には「○○ちゃんは才能があるから」とか「どうせ頑張っても無理やねん。」「私とは違うねん」という言葉もよく耳にするように。負のスパイラルの様でした。

 

 以前の私ならアドバイスしたり、励ましたり、気分転換にどこかに連れて行ったりと「何とかしてあげたくて」すぐに行動していたでしょう。心配なんです。でも、娘の気持ち、本当に私はわかっているのでしょうか。長男・次男のスイミングのテストの時、小学時代の娘の陸上の時もそうです。わかってるつもりだけど、本人の気持ちを全部わかるわけないんです。それは全部主語が私で、私の想像であり、子供たちの感情を先取りしてしまっていただけなんです。

 今ならあの日泣いている娘の傍に黙って居ます。娘が口を開いたら、「うんうん。○○なんだね」「○○って思うんだね」と反復で話を聴かせてもらうでしょう。そうすることで「あぁお母さん、わかってくれた」って思って貰えたかもしれません。すくなくとも「お母さん嫌い」は言われなかっただろうなと思います。

 

 この時は、じっくりと話を聴いてみました。

 そして、娘の言いたいことをキャッチして言葉にして返してみました。すると、「そうやねん」と言ったかと思えば、更に自分の気持ちを話し出し、ドンドン想いが溢れてきました。そして対話を続けているうちに、娘自身が、自分の苦しみを整理し始めていました。

 それでも、「じゃあなんで友達はあんな事言うんだろう?」「私は思ってないねん。そしたらどうしたらいいの?」とお友達に対してのやり取りがまだ分からずにいました。そこで、娘に認定講師のトレーニングに参加する事をすすめてみました。

 参加した後から変化が出てきました。娘はお友達との会話で「あなたはそう思うんだね」と反復をして返すようになり、友達は○○と思ってる、でも私は思ってないって気持ちどちらの気持ちもちゃんと認めてると感じ、聴くことが楽になってきているそうです。またお友達にも「そうやねん。わっかーに聴いて貰ってスッキリしたよ」と言われる事も出てきたとか。

 

 何より親子の会話が変わってきました。「うんうん」「せやねん」「そうそう」が会話の中に沢山出てきます。娘が言うだけではありません。私が言うこともあります。娘が私の「わかってくれる人」になっているからです。

 おかげで私がイライラすることも、少し減ってきた気もします(笑)。

 

 現在、娘も私も「いのちの授業の認定講師」です。
 認定講師になれたのも、講師デビューに二の足を踏んでいた私の背中を押してくれたのも、娘でした。後ろから追っかけられている気分になり、負けてはいられないって思ったからです。

 そんな娘に講師デビューの日が来ました。10月8日 日本ホスピス在宅ケア研究会 全国大会in奈良大会です。テーマは「今ここからはじめる」娘にもピッタリです。

 貴重な体験後の感想は、「緊張もしなくて、楽しかった」と。母としてドキドキしていた私とは相反する言葉でした。確かに娘は、キラキラしていたし、話し方は、とても優しくて聴き取りやすく心にすーっと入って来ました。また、娘なりに工夫もしていました。小道具を用意したりジャスチャーを入れてみたり。更には例の説明をするのに私を登壇場所に呼んでみたり。動画が途中うまく流れなくても、ひょうひょうとしていました。

 あがり症の私にとっては、「こわくなかったの?」と質問してみました。すると「毎日の生活の方がこわい事いっぱいだよ」と。毎日の生活の中???・・・例えば何かを尋ねたところ、娘は「そうね・・・テスト」と口にしました。受験生であるからかもしれませんが、「テストは優劣をつけられる。努力しても結果が伴わないと努力が足らないと言われる。私という人間が数字で評価されるし、それをお友達と話したりする事がこわいし、辛いんだよねって。それに私は、お兄ちゃんより勉強できないしさ・・・先生たちは同じ兄妹だからって目でみるんだよね」とポツリ。 

 

 「でもねあの日は、小澤先生を始めELCの皆さん、親友、おばあちゃん、お兄ちゃん、叔母さんが応援してくれていた。終わったあと、ちゃーちゃん(祖母)が涙目で抱きしめてくれた。私という人間を見てくれている、会場に足を運んで下さった人は、私の話を聴きに来てくださってる。それが嬉しかった。だから小野和奏っていう私をみてもらおう。なんとかなるかなって。何かあったら、その時考えればいい。お母さんもいるし・・って思っててん」とニッコリ笑顔でした。

 

 「Good enough 私はこれでいいんだ」って思えた瞬間でもありました。

 親子で共通の活動。これからも二人で「いのちの授業」を大切に育てていきたいなと思います。まずは私達親子の周りにいる人たちから、少しずつ、少しずつ伝えていきたいです。

 

 最後に、本当は亡き母にも聴いて貰いたいなと思っています。母は病気で、できなくなった自分をダメだと感じながら亡くなっていきました。伝えたい事があります。この話は、また機会があればってことで。

エンドオブライフ・ケア協会では、このような学び・気づきの機会となる研修やイベントを開催しております。活動を応援してくださる方は、よろしければこちらから会員登録をお願いします。

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