コラム100:援助的コミュニケーションを学び、自分の心を反復することで癒されたこと

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燿光リハビリテーション病院 リハビリテーション職

平川菜津希さま

(第123回生)

 悲劇のヒロイン…私は何年もこの状態から抜け出せなかった。二十歳の時、当時44歳の母が病で他界し、「なんで私にはお母さんがいないのだろう」…今思い返せば「なんで、なんで」の繰り返しだったのだろうと思う。

 母が闘病している頃、私は県外の大学に通っており、一人暮らしをしていた。亡くなる少し前、母が「もう逝くね」と何となく言っているのが分かったように感じていた。休学するか、看病か、勝手に自分を追い詰めていた当時の自分。気持ちの整理もできぬまま、母は旅立ってしまった。

 三児の母になった今、ようやく思う。私の「支え」は母だと。そして、向こう側ではなくて、病気と闘っていた時に母が好きで聴いていた「千の風になって」…、吹きわたって見守ってくれているのだと。何年も自問自答し、悲劇のヒロインでいた、そんな自分がいたからこそ、援助的コミュニケーションに出逢うことで「最愛の支え」に気づくことができた。

 いのちをかけて伝えてくれた母の思いを、私は子どもたちに繋ぎ、そして、分かってくれる誰かになれたらと願っている。

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