コラム99:「よく生きて、よく死ぬ」を声にする第一歩として

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会社員

降旗浩美さま

(第121回生)

 私は医療とは関係のない金融機関勤務で、40年目になります。そして一人の人間として、両親の死について、深い思い入れがあります。

 私は小さい頃から母がこの世からいなくなってしまうことが、常に最大の恐怖でした。もう25年も前になりますが、母はガンの発覚から一年半の闘病後、69歳で亡くなりました。なにをしても母から受けた恩に報いることはないという無念さはありました。でも不思議なことに、いつも母は私のことを見守っているという感覚が常にあり、今も話しかければ答えてくれている確信があります。

 父と私は必ずしもすべてが良好な関係ばかりが築けていたわけではありませんでしたが、年老いて大事件に遭遇した父を守ることが、近年の私の命題でもありました。老人ホームで健康に10年を過ごして98歳になった父は、100歳を超えるまで生きて穏やかに寿命を全うする予定でした。

 全く予想もしないコロナ感染症により一変した世界で、思い通り会えない時間が続いた後、老人ホームで発生したクラスターにより、父はコロナ陽性判定からわずか3日で亡くなってしまいました。手をとりそばにいることもなく、窓やドアを開け放った冬の夜に何時間も救急隊員の方に受け入れ病院を探してもらい、葬儀場にさえ立ち会えず、お骨になった白い箱と再会する。なにもしてあげられなくて、ごめんね。という、終わりない悲しみはどこから来るんだろうかと考える余地ができた時、ちゃんとお別れができなかったことが大きいのだろうなと思いあたりました。お別れの儀式は、必ずしも死にゆく人のためだけではなく、残された人のためにも行っているのだとの思いが浮かんできました。

 生まれてくることも、死を迎えることも、自分で選んだり、必ずしも思い通りになることではありません。守ってくれる家族や友人が、常に近くにいるかどうかもわかりません。その中でも、必ず誰にも訪れる死の前に、生きてきた人生を振り返り、なにを託していきたいのか伝えていけたら。悲しいことでもなく、怖いことでもなく、誰もがそんなことを思う機会があり、話していける環境を作っていく準備の一助になれたらと、二人を見送った今、思っています。

 実際講座に参加して、真摯に接する方法を学んでいくことで、自分にもできることがあるかも知れないと考えるようになりました。また、同じ志のある方々がたくさんいらっしゃる心強さを実感しました。ただ老人の看取りのためだけでなく、日頃から一人の人間としてどう生きるか、どのように人生を終えたいかを日頃から考えたり、家族以外の人に話したりすることは特別なことでなく、日常の場面でもできる文化をつくりたいとの気持ちが明確になりました。

 また受講後は、毎日の生活の中で、周囲の大切にしている人々とのかかわりを無駄にすることなく、気持ちをより考えて接するようになったと思います。実際に自分が行動していける、していきたいと具体的にイメージできる感じがしています。


 

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