コラム109:できることをできるだけ

  • 関わるすべての職種にできる援助
  • わかってくれる人がいるとうれしい
  • 地域

松山市地域包括支援センター三津浜 ソーシャルワーカー

渡部隆介さま

(ELC愛媛1回生、認定エンドオブライフ・ケア援助士)

 私は現在、愛媛県松山市内の地域包括支援センターで社会福祉士として働いています。


 お彼岸も過ぎ、訪問途中に見上げる松山の空に浮かぶ雲も、秋の雲が主役となり季節の移り変わりを知らせてくれています。今回は、大阪市内で援助者養成基礎講座を初めて受講した、2019年3月から現在までに出会った中でも、特に印象に残っているAさん家族との関わりについて振り返ってみたいと思います。


 なぜ、印象に残っているのかと自分の中で振り返ると、出会った直後はAさんの感情的な言動によって支援者が振り回されてしまう場面が多々ありました。しかし、Aさん自身が自宅での看取りを決めてから、Aさんに関わる支援者として援助的コミュニケーションを重ねていく中で、Aさん本人からの「母としての存在を肯定的にとらえて欲しい」との発言が、私自身のソーシャルワーカーとしての立場を改めて認識するきっかけとなったからだと気付きました。

 

場面1:Aさんとの出会い

 Aさんとの出会いのきっかけは、他界される1年前にAさんを担当しているケアマネジャーから「自宅を片付けることが出来ず散らかっていて、同居の次男も不登校気味であるので関わってほしい。」との相談を受けて、ケアマネジャーと2人でAさんの自宅を訪問したことでした。


 Aさんは40歳代で、中学生と20歳代の子どもさんとの3人暮らしでした。夫を前の年に看取り、自身は介護保険でヘルパーとデイサービスを利用して自宅での生活を送っていました。

 

場面2:プチ家出してました

 「プチ家出してました」この言葉は、金曜日の夕方、Aさんの中学生の子どもが私あてに「死んでやると言って母ちゃんが出ていった」と電話をしてきて、警察への捜索届を出した直後、タクシーに車椅子を積んで自宅に戻ってきたAさんの発言です。


 このように出会いから6ヶ月ごろまでは、子どもと口論となった場面で、Aさん自身の「死んでやる」といった感情的かつ衝動的な発言をきっかけとして、息子との口論の場面によく呼ばれて口論の仲裁をしていました。そのような状況ですから、私自身の関わりの様相も「看取り、アドバンスケアプランニング」といった援助的コミュニケーションを意識したAさんとの関わりではなく、Aさんの感情に巻き込まれながら、親子関係やAさん自身の生い立ちを含めた現状の確認を各関係者と行う程度の関わりでした。


 介護保険サービス外の対応(次男の不登校、ヤングケアラー対応として中学校との会議、市役所の子供対策課及び児童相談所との調整)や関係機関との調整が主たるものでした。
 

場面3:人工透析はしない

 出会ってから6か月経過した頃、それまで通院していた総合病院での複数回の話し合いを経て、人工透析療法を行わず自宅での療養をしていくことがきまりました。訪問診療は、Aさんの希望によりAさんの夫を看取った医師に担当してもらえることとなりました。


 その頃から、Aさんの発言や行動に、自分が死んだ後の子どもに対しての心配に関しての発言が出てくるようになりました。また、支援者の共通課題として、『看取り及び看取り後の対応について』が上がってくるようになりました。Aさんの子どもは中学生であり、今後の養育についての対応や20歳代の子どもに対しても大人とはいえ関わりや支援が必要と思われる状況であったからです。


 私の関わりとしては、ケアマネジャーに対してのサポートとして、訪問診療、ヘルパー、訪問看護、車いすレンタルなど関わる人たち共通課題を解決していくために、Aさん自身の言葉や援助的コミュニケーションを通して、在宅での看取りのために、Aさん自身を含め、子どもや関わっている専門職に対して伝えていくことを意識していくようになってきました。

 

 最後の花見をしたり、好きな音楽を尋ねたり、自身が亡くなった後に誰にその事を伝えたいのか、また伝えてほしくない人は居るのか。また、子どもに対して直接Aさんから伝えられることはできるだけ直接伝えられる環境やタイミングを調整しました。 この頃には、ことあるごとに呼び出されていた為か、子ども2人とも冗談を言いながらもやり取りができる関係となっていました。


 私自身の関わる意識としては、支援者の立場として映る、Aさんの感情的で一方的ないわゆる「困難なケース」として映ってしまうAさん像を、Aさんとの援助的コミュニケーションを通して、Aさんが自身の生き方の中でつらい事やしんどかった事など意味あるメッセージとして、Aさん自身の表現として、受け止められるように意識しました。

 

場面4:AさんはAさん

 Aさんは私が関わって1年後に自宅で他界されました。


 Aさん。40歳代女性。母親。利用者。困った人。困難事例Aさん。多問題家族。ヤングケアラー。AさんやAさん家族を形容する表現は多様です。しかし、AさんはAさんなのです。


 実際に、初めてケアマネジャーと同行で自宅を訪問した時、Aさん家族と、地域包括支援センターでの社会福祉士業務で関わりは利用者、困難事例としての関わりがきっかけでした。しかし、それはただきっかけであり、Aさん自身を知るための入口であったと、振り返ると感じました。つまり、医療・介護のサービスでは満たすことのできない、Aさん自身の暮らしとの接点に過ぎないのだと思います。

 

 援助的コミュニケーションを通して、Aさんの心の行間に触れ、Aさん自身が生き抜くことができるように、関わる支援者が支援に全力を尽くすことができるように繋がっていくことを、注射も点滴も入浴介助もできない、できることをできるだけしかできない地域包括支援センターでの社会福祉士業務を通して、少しでも支えることができたのかなぁと、訪問途中の秋の空を見上げて思っています。
 

さいごに

 写真の渡し船は、所属している地域包括支援センターの担当地域にある対岸まで約80mの距離を結ぶ渡船です。松山市道の一部として、年中無休・無料で年間約4万人の方が利用しています。起源は室町時代にまでさかのぼり、江戸時代の俳人小林一茶も句会に参加するため乗船したと言われています。これからも、地域に暮らす人たち、地域に関わっている人たちとともに、人や物以外にも、思いや暮らしを運んできたこの渡し船のように、援助的コミュニケーションを通して地域の暮らしの中に必要なつながりでありたいです。


 また、ELC愛媛の定期的な勉強会等を通して支えてくれている皆様、今回のAさんとの関わり以外にも支えてくれている愛媛、全国の仲間の皆さまにも感謝しています。これからも「できることをできるだけ」しかできませんがよろしくお願いいたします。

 

(ELC愛媛のみなさんと)

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