コラム112:コンパッションをめぐる旅~日本ホスピス・在宅ケア研究会 in 仙台と松崎町に伺って~

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エンドオブライフ・ケア協会

千田 恵子

 2023年10月、『コンパッション都市~公衆衛生と終末期ケアの融合~』著者であり、米バーモント大学臨床教授のアラン・ケレハーさんと、その実践部分を担う、イギリスのCCUK(Compassionate Communities UK)でコミュニティ形成担当理事のエマ・ホッジスさんが、日本ホスピス在宅ケア研究会仙台大会(10月28日~29日)を機に来日されました。

 

 開催に先立ち、8月のプレ大会において通訳をお手伝いさせていただくご縁をいただいたこともあり、監訳者のお一人である、静岡大学未来社会デザイン機構・副機構長、静岡県松崎町まちづくりアドバイザーの竹之内 裕文さんのご厚意により、アランさん、エマさん、本大会の通訳者である重松加代子さんとともに東京から仙台への移動をともにし、2日間お二人の参加するセッションに参加して参りました。そして、その後、アランさんが札幌市へ講演に向かう一方で、エマさんは静岡県松崎町へ向かうなか、私も松崎町への旅路をご一緒させていただくことになりました。

 

 なお、松崎町は、コンパッションタウン「困難な課題を分かち合い、お互いに助け合うまち」を町の第6次総合計画として掲げ、町長もコミットされており、エマさんはこのたびワークショップと現地の視察・交流を目的に伺うこととなったのでした。

 

 コンパッション都市・コミュニティの全体像を捉えるには、さらに多くの学びを必要としていることを認めながらも、ここまで私自身が見てきた視点をいくつか言葉にしてみることで、感心を寄せる方にとって何かしらの手がかりとなれば幸いです。

 

 

 

コンパッション都市の背景


 日本語監訳書の冒頭に、日本の読者へのメッセージとして、以下が書かれている。

 

 生命を脅かす病気、高齢、グリーフや死別とともに生きる市民がいます。また家庭でケアを担う市民がいます。そんな境遇にあるすべての市民を手助けし、支援するために組織される地域コミュニティ、それがコンパッション都市・コミュニティです。

 

 人間に不可避の老い、病、死、喪失を受けとめ、支え合うコミュニティをつくるにはどうすればよいか。WHO(世界保健機関)による「健康都市」を発展させた「コンパッション都市」として、基本的な思想・理論、実践に向けたモデルを提唱している、アラン・ケレハー氏。

 

 アランがオーストラリアの大学でホスピス緩和ケアの教授となった当時、医療における20世紀最後の専門領域として、ホスピス・緩和ケアが入ってきて30年ほどが経過しており、緩和ケアは資金面でも資源面でも枯渇し危機に晒されていたという。さらに多くの医師や看護師を増やすべきという論調だった。

 

 当時も、そして今も直面する課題は、ホスピス緩和ケアが、急性期医療に基づいたモデルであること、すなわち、今ケアを必要とする目の前の人に対面で関わるため、人が増えれば増えるほど、医療従事者の数が必要となるということである。直接的にサービスを提供し続けるには限界がある。まして、全人的ケアとすれば、専門家の解釈によれば、身体的、心理的、社会的、スピリチュアル、それぞれのニーズに応じて、専門職が必要ということになる。

 

 社会的なケアとしては、コミュニティの存在がある。ただし、一般的には、緩和ケアにおいてコミュニティと言えば、そこから資金やボランティアを調達する相手であったり、「専門家が教育が行き届いていない人へ教育する」対象であるなど、対等なパートナーシップに基づくものにはなっていない。こういった、専門家によるサービス提供としての緩和ケア、これは世界的に見ても持続可能なものではない。

 

 死や死に逝くこと、それは、それ自体が問題というよりは、私たちは死に向かいながらも生きているなかで、不安、鬱、社会的孤立、孤独、スティグマ、失業、学業の遅れ、自死、突然死、これらに直面する。つまり、医療の手が届かないところに苦しむ人たちがいる。

 

 実際のところ、死や重篤な病に苦しむ人は、そのうちのわずか5%を医療の専門職とともにし、残りの95%は一人で、あるいは、周囲の人やものとともに暮らしている。であるとすれば、サービスの提供を前提とするのではなく、どうすれば、その人の生きるを支えることができるのだろうか。

 

 ただし、死と言えば、取り上げられるテーマは恐怖など、ネガティブなイメージとなる。しかしその先には愛や勇気や忍耐や意味づけや世代継承など、ポジティブな側面がある。専門家は何かと問題を見つけて解決しようとするが、死をWell-beingとして全体性をもって、捉えなおすことができるだろうか。

 

 日本において亡くなる人は年間150万人、うち一部が自然災害で亡くなっている。子どもも大人も地震に備えることを学ぶ一方で、死や死に逝くこと、喪失やケアとともに生きることを学ぶ機会はどれだけあるだろうか。

 

 

WHOが提唱する健康都市から生まれたコンパッション都市

 コンパッション都市の考え方の基盤には、WHOの重要なイニシアティブであり、1980年代に始まった健康都市という考え方がある。世界中で何百という都市が健康都市となった。

 

 健康都市の考え方において、健康とは、病気や疾病だけを指すのではなく、ポジティブな側面があるとされている。また、健康とは、医師に診てもらうことだけ考えるのではなく、環境も含めて考えなければならないとされている。健康な人は健康的な環境のなかで暮らしているのであるとすれば、健康やWell-beingであることと環境は、切り離して考えることができない。

 

 また、WHOは、健康とは政治的な概念であるとも言っている。健康とは、その社会の主流の人だけのものではない。一部の人のためだけの健康ではなく、すべての人のための健康を考えなければならない。したがって、健康都市とは、不平等のない社会であるということを意味する。

 

 ただ、WHOは、人々が長期にわたり健康を維持することに関心を持ちながら、死や死に逝くこと、喪失、介護といった、誰もがやがて遭遇することには、関心を持っていなかった。健康都市には、これらの言葉はまったく入っていない。病気や障害を持っていても、今死に逝く過程にあっても、喪失を経験していても、健康はある。そこで、アランらにより提唱されたのがコンパッション都市である。

 

 また、WHOは、健康都市において、ケアという考えを強調している。


 ケアとは、他者に対して何をするか。
 一方で、コンパッションとは、私たちがともに何をするかということ。

 

 あなたは私の患者なのではなく、私たちはみな患者であり、ともに苦しみを抱えた者である。

 

 さらに、コンパッションとは生態系である。
 単なる「気遣い」などの感覚だけではなく、社会が協同をサポートする。

 

 コンパッションは、喪失が普遍的であることに基づいている。悲嘆によって人は命を落とす可能性がある。それを放置している都市はコンパッションな社会ではない。したがって、その都市における健康政策において、コンパッションは倫理的に不可欠である、という考えに基づいてなければならない。みんながともに取り組まなければならないと考える社会、それがコンパッション都市である。

 

 高齢者や、命に係わる疾患を持って生きている人、喪失を経験しながら生きている人、ケアを受けながら生きている人、それぞれのニーズを満たす都市である。文化的な違いを踏まえて独自のニーズを満たし、対応、コミットしている都市である。

 

 コンパッション都市においてはその計画のなかに、悲嘆や緩和ケアサービスの計画を含めている。このような都市においては、市民に対してさまざなサポーティブな経験や交流、コミュニケーションを提供する。単に対面でカウンセリングサービスをするのではなく、ともに集まり、顔をあわせて、お互いにサポートし合う社会。そこで祭りや楽しみをする。いろんな経験を共有する社会である。

 

 では、それをどう実践していくのか。

 

 

 

3つのアプローチと「コンパッション都市憲章」

 

 トップダウンとしての、社会生態学的なアプローチ。人に直接働きかけるのではなく、物理的環境、社会的環境を整えることで好ましい結果を導き出す。みんなで方針を作っていく。

 

 ボトムアップとしての、コミュニティ形成(Community Development, アメリカではCommunity Organizingとも言う)。同じ学校や同じ職場などにおいて、共通の問題を持つ人たちが、解決策を一緒に考えていく。誰かが一方的に決めて指示するのではなく、自然発生的に、ともに動き始める。その人の経験を、みんなの経験にしていく。

 

 そして、公共教育としての、エンドオブライフ・リテラシー。パブリックヘルスにおいては、ヘルス・リテラシーが必要とされる。単に医師のところにいくことだけが健康行動ではないし、適切な食事を適切に摂ること、適量の飲酒、安全のためシートベルト着用、自転車に乗る際のヘルメット着用、これらはすべて公共教育の問題である。同じように、エンドオブライフにもリテラシーが必要である。エンドオブライフにおける健康、Well-beingとは。喪失とともに生きるとは。

 

 どうすれば公共教育ができるのか。一番の方法は、お互いのストーリーテリングである。私が私の喪失体験を語り、あなたから語ってもらう。自分や家族の病気、老い、ケアにまつわる話。お互いのストーリーテリングから学ぶことがある。
 

 

 この3つのアプローチをもって、社会変革を行う必要がある。

 

 ホスピス緩和ケアにおいても、あらゆる場所に医師がいることはできない。
 システムには穴がある。穴をこのアプローチで埋めていくことを考える。

 

 ・ ・ ・

 

 社会生態学的なアプローチから生まれたのが、コンパッション都市憲章である。これはひとつの経典のようなものではないし、決定的でこれしかないというものではない。しかしこの憲章に照らしてふりかえってみることで、完全な包括的なアプローチを目指すことができるというものである。

 

 12の分野(学校、職場、宗教施設、近隣など)をひとつの地図としたとき、見落としがないかと問い直すことが可能となり、それぞれの実情にあわせて、項目を追加していくものである。

 

 

 学校も死や死に逝くことに方針を持たねばならない。ただし、必ずしもカリキュラムに入れるということではない。学校も一つのコミュニティとして、取り組みをしていくということ。

 

 これはコミュニティ形成のアプローチである。

 

 最初はトップダウンであっても、人々の手に渡ったところで、ボトムアップになる。

 

 学校の方針は教師が作るものではなく、子どもたちが自ら作るものである。子どもたちが先生や学校管理者や事務の人とのパートナーシップを組んで、学校としてどうやるか方針を作っていくというものである。なぜなら、それがみんなの経験となるからである。

 

 65歳の人の悲嘆と子どもの悲嘆は異なるし、男性と女性とは悲嘆の抱え方は異なる。したがって、これらの違いを織り込まなければ、方針は有効なものにはならないということである。

 

 こうした施策をどのように共有するのか。死や死に逝くこと、介護、悲嘆など、どういう言葉で語るのか。それは地域によって異なるはず。地域がそれぞれ決めて実行する。ただし、一部の人に閉じてやるのではなく、みんながオープンに語っていくべきものである。
 

 

どこからはじめるか

 

 すでに、日本においても、様々な取り組みは始まっているし、専門職は手一杯と感じるなかで、必ずしも新しい何かを始めるべきということではない。コミュニティがすでに自ら行っていることを見直し、少しのトレーニングを受けることによってコミュニティができることや、コミュニティとのパートナーシップによりできることを考えたうえで、サービスがしなければならないことをふりかえる。サービスをリデザインしていく余地はないか。

 

 リソースがないのではなく、そのように見ればすでにそこにある。ただし、専門職がコミュニティ「に」知識を授けるのではなく(少しの技術は必要としても)、コミュニティ「から」自分たちのために資金やボランティアを募るでもなく、コミュニティ「と」ともに、あるいはコミュニティ「が」みずから歩み出し、歩み続けていくことができるだろうか。

 

 ちなみに、コミュニティとは、必ずしも帰属するものではなく、誰かとつながれて、自分が自分でいられる居場所を意味する。

 

 必要なのは、新しいサービスではない。

 リーダーシップであり、パートナーシップであり、ヘルスサービスのリデザインである。

 

 

 

自らを問い直す機会に

 

 イギリスを含め、多くの事例を伺うなかで、エマによるCCワークショップの総括をしてくださった、『コンパッション都市』監訳者のもうお一人である堀田 聰子さんがシェアしてくださった、インドの事例。私にはこれがとてもわかりやすかった。

 

 死別ケアにかかわる教育の担い手に関連して、約30年にわたってコンパッションコミュニティを育んできているインド・ケララ州コーリコードのIPMでのコロナ禍のコールセンターを通じた気づき(死がとても身近にありながら、これまで死別のケアをやってこなかった。手伝いについては声をかけられるが何を思っているのか聴くことができない)、住民との対話、そこから生まれたend of life literacyに関する新たな取組み。

 

IPMを3月に初めて訪ねた際にKumar医師から語られたことのひとつは、当初は、IPMがプロジェクト(地域密着型緩和ケアモデル)を行うので、そのプロジェクトに向けてコミュニティに対してボランティアを募り、そのボランティアを教育する、というかたちで取り組んでいたが、途中から、この「IPMのプロジェクトに参加するボランティア」を教育するという考え方をやめたということ。現在はじぶんたちのプロジェクトのためのボランティアを養成するのではなく、ケアラー/ボランティア(=ひと)を教育している。いわばキャパシティビルディングということ。そのひとたちが地域密着型緩和ケアモデルに関してすぐに活動を始めようと始めまいと構わない。どんな人たちのなかにも(それぞれの)アイデアとプロジェクトがある。それぞれの人の持つ力を信じて学びを重ね、助け・助け合い、アクションを起こす準備ができた状況をつくっている。アラン・エマのお話からも感じられたかもしれないが、市民社会、民主主義の問い直しでもあるのではないか。

 

 そして、言葉の定義以上に、自らを問い直す機会を大切にしたいとの堀田さんからの投げかけが、私の心にとても響いた。

 

 

 

自らのなかに沸き上がるもの:松崎町での体験

 

 コンパッションコミュニティとは何か。
 その言葉の定義にこだわる人もいる。

 

 

 松崎では、二人の高校生と対話する機会を得た。

 

 仙台で多くの大人が戸惑ったコンパッションという言葉について尋ねてみると、聞いたことがないと言う。しかし、周りの人が苦しんでいるときに手を貸したことは?と問うと、二人とも友達の中に入院した人がいたと答えてくれた。学校の勉強が遅れないように、一人じゃないよとメッセージとともにノートを渡したという話。修学旅行に行けない代わりに人形を作って連れていったという話。

 

 言葉の定義が必要であるとすれば、誰かが今困っている、苦しんでいる、そのことに何かしようとする、それがコンパッションだと、エマは言う。だが、言葉が大事なのではなく、大事なのはその行動。彼らがやったその行動こそがコンパッションであり、彼らがそうしたからこそ他の友だちとつながった。さらには、世代を超えて一緒にグランドゴルフをやってみたい。自分は料理が好きだから高齢者から聞きたい。そんなふうに、沸き上がるように、これから地域の人とやってみたいことを言葉にしてくれた。

 

 そして、「コンパッション高校ってどういう高校だと思う?」と問えば、外されてしまうようなことがない、とか、みんなで話し合う、など、それぞれのイメージを教えてくれた。

 

 もう少し、入院に限らず普段遣いのお話や、彼ら自身の苦しみを個人的には伺いたかったけれど、大人にぐるりと囲まれて、打ち明けられることではないかもしれない。エマ曰く、ゆっくりと時間をかけていくこと。この対話からも多くの示唆を得ることができた。

 

 

コンパッションに基づくコミュニティとは何か

 

 コンパッションとは、苦しむ人を前に、私たちがともにあるということ。

 

 私はあなたではない。だから、どんなに言葉を交わしても、分かり合えないかもしれない。しかしその一方で、コンパッションという概念を体験した人たちの間には、たしかにこの一言でつながれる感覚があるのだとも感じる。

 どの見地からコメントしているのか、どんな景色が見えているのか、それを知らずしては、相乗りするのも反論するのも不誠実な気にもなる。わたしが見えている世界はほんのちっぽけで、だけどわたしに見えた確かな世界。

 

 だから、どこまで行っても、全体なんてわからないかもしれないけども、同じ景色を眺めながら、そのかたの発するものに目と耳を傾けて、互いに異なる世界を探索していく。

 

 旅の最後、自分のなかに残った言葉は、「謙虚」。
 コンパッションと、対話はセットなのだと思う。

 

 コンパッション都市・コミュニティをめぐる旅は続く。

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