株式会社NOKOS代表取締役
樽本理子さま
(ELC第159回生)
私は看護師でも医者でもない、ただただ祖母のことが大好きな一般市民です。そんな私がELCと出会ったのは、祖母が癌になったことが大きなきっかけでした。
私が生まれてからずっと一緒にいる祖母。そんな祖母が癌を告知されてから毎日毎日、懸命にサポートしていましたが、期待とは裏腹にだんだんと細くなっていく彼女の体。毎日の日課だった散歩も、料理も、趣味も、遠ざかっていきました。
ある日、祖母は私にこう呟きました。
「こんな役立たずの体になってしまった。これから一体どうなっていくのだろうか・・・」
その言葉を聞いて、私は何も言葉が出ませんでした。もちろん、祖母のことを「役立たず」と思ったことは一度たりともありません。それどころか、祖母がそこに息をして存在してくれているだけで、私は、私たち家族は、とんでもなく救われるのです。けれども、目の前で下を向いている祖母に対してかけるべき最適な言葉が見つからず、何か励まさなければ、と咄嗟に出た言葉は「そんなことないよ!必ず良くなるから大丈夫だよ!」でした。もちろんその言葉で、祖母の表情が晴れることはありませんでした。
当時より私は「家族愛」をテーマに自分の会社を立ち上げ、多くの家族の愛情を形にする活動をしてきました。人一倍、「家族の幸せ」を考えてきたはずなのに、根拠のない無責任な「必ず良くなる」「大丈夫」という言葉しか出てこなかった自分に、とても大きなショックを受けました。
私は看護師でも医者でもないから、祖母の病気を治すことはできない。けれど、祖母の心を一番癒せる存在でありたい。何か手立てはないだろうか。そう思い、周りの看護師の知人にたくさん話を聞きに行きました。その中で、小澤先生とELCの存在を教えていただき、「もしかしたら、ここでなら、あの時の答えやヒントが見つかるかもしれない」、そう思ってELCの講座に参加させていただくことになりました。
「苦しみとは、希望と現実の開きである。たとえ解決が難しい苦しみを感じていたとしても、わかってくれる人がいると穏やかになれる可能性がある」これが一番の学びでした。一見当たり前に思えますが、私は、祖母から見て、苦しみをわかってくれる人になれていなかった、とはっきりと自覚したのです。
祖母は「本当は、散歩に行きたい、料理もしたい、友達と一緒に趣味だって楽しみたいし、旅行にもたくさん行きたい。だけど、行けない」このギャップに苦しんでいた。ただその苦しみを、わかって欲しかった。なのに、一番近くにいるはずの私が知らず知らずのうちに、わかってくれる人になることを放棄していたのです。
祖母が欲しかったのは「大丈夫」という言葉ではなく「ただ、わかってくれる存在」だったのかもしれません。そして祖母が一人の凛とした女性であることの尊厳を守ってあげることだったのかもしれません。
講座の中で実際に体験したロールプレイングでは、祖母になり切って、祖母の立場まで一度降りてみて、取り組んでみました。そこで初めて、祖母の心の中に触れることができ、彼女が心地よいと感じるコミュニケーションを本質的に理解できた気がしました。
今も祖母は癌と闘っています。ELCの講座で学んだことをこれからの祖母とのコミュニケーションにおいて実践し、祖母にとって一番心地よい理解者でありたいと思っています。
そして、祖母が大事にしていることを私も一緒に、同じだけ大事にできるようにたくさん対話をしていきたいと思っています。
そして社会に対して目を向けたときに、私にはもう一つ叶えたいことがあります。それは、「自分の家族を預けてもいいと思える」ホスピス型住宅をつくることです。
今後、祖母のような癌患者は増加し、それに伴い入院もできない、在宅では負担が大きすぎる、といった、行き場のなくなってしまう人も増えるでしょう。私はそんな彼らの選択肢を増やしてあげたい、そして、彼らと彼らの家族に対して、一番わかってあげられる存在でありたい。そのために、今回の学びも活かしつつ、彼らにとって心から安心できる環境を提供してあげたいと強く思っています。祖母自身が病気と闘う苦しみ、私が祖母の病気で感じた苦しみを、どちらも少しでも穏やかにしてあげられるような、そんな家族に対して一番寄り添える施設を提供したいと思っています。
そのために私自身もまだ修行が必要ですし、一回の講座で習得できたとは到底思っていませんが、これから長い年月をかけてしっかりと実現していきます。
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