コラム127:ELCで見つけた玉手箱

  • 支える人の支え
  • 穏やかな最期
  • ディグニティセラピー
  • グリーフ

みろく福祉サービス株式会社  みろく訪問看護ステーション 看護師

田端 涼子さま

(ELC第133回生)

養成講座参加にいたった経緯

 「今までいっぱいありがとう。私の事を忘れないでね。そして何十年か先でいいから、いつかきっと私を迎えに来てね。」旅立つ母の手を握りながら伝えました。「3月4日で91歳よ。何を食べても美味しい。食べれんごとなったら終わり。」と言っていた母。その通りでした。これからもう少し続くであろう在宅療養生活に備えて、在宅医の先生に訪問診療で診て頂いたり、ケアマネジャーさんに訪問入浴やエアーマットを手配頂いたり、もっと母の傍に居れる時間を作ろうと思っていた矢先。昨年3月6日、91歳の誕生日から2日後のこと。原発不明癌でした。晩年は入院することなく自宅で看取り、葬儀が終わった安堵感も束の間、寂しさと後悔で毎日毎日泣き続けました。モノトーンの世界で桜がこんなに寂しく見えた春はありません。

 

 「私に何かあった時に開いて下さい」古い新聞広告の裏に書かれた包みを偶然見つけたのは、母が亡くなる1年程前でした。恐ろしくなり、そのまま引き出しを閉めました。「その時」が来て包みの存在を思い出しました。意を決して開けてみると、着物姿の母の写真が2枚と私や父(20年前に他界)、親戚宛ての手紙がそれぞれ封筒に入っていました。文面から30年近く前の物で、当時60代の母が何を想い書き残したのか、驚きと、当時の母の想いを知る由もなかった事を後悔しました。もしも時間が巻き戻せるなら、当時の母の想いを聴いてみたいと思いました。

 

 母との別れから1週間経った頃、中学時代の親友のお父様の在宅生活の準備のお手伝いをする事になりました。悲しみのどん底にいた私の止まっていた時間が、誰かの支えになりたいと考えることで少しずつ動き出しました。毎週家にお参りに来ては話を聴き、いつも気遣ってくれる友人達や職場の人達の温かい支えがあったことは勿論のことです。

 

 7月にエンドオブライフ・ケア援助者養成基礎講座が福岡で開催されることを知り参加しました。また、前日は地元北九州で、ディグニティセラピー講座にも参加しました。2日間で貴重な体験をさせて頂きましたので皆様にお伝えさせて頂きます。

 

 

今回の受講を通して感じたこと

 援助者養成講座は、私にとって龍宮城の様な世界でした。

 小澤先生が訪問診療をなさっている場面を偶然テレビで拝見したのは、訪問看護を始めて1年目の頃でした。涙が止まらなくなりました。ご家族の声掛けに、心臓の鼓動で答えているお話しや、ご家族が聴診器を当てて心音を聴かれているシーンは鮮明に記憶に残っています。

 

 小澤先生の講義を最前列で拝聴させて頂き、一語一句聞き逃すまいと聞き入りました。アーティストのライブに行った時の様な感動体験でした。グループワークでは、異なる職種の素敵な方々と意見交換ができ、事例検討も広い視野で考えることができました。ロールプレイでは、話し手・聴き手・観察者と3つの立場を経験できる事で、様々な視点から事例を捉えることが出来ました。話し手役は、自然と感情移入でき、アドリブも出ていました。聴き手役は、相手の言葉を聴きながら、キーワードになる言葉を忘れない様に頭の中で言葉がぐるぐる回っていたり、沈黙の時間も大変でした。観察者は、両者を客観視できることが勉強になり良かったです。相手の想いに寄り添う技術をそれぞれの役を経験することで体現できました。

 

 また、休憩時間にグループにおられた緩和ケア医の先生に、お話しを聴いて頂く機会がありました。母への後悔の想いをお話ししているつもりで、気づけば20年前の父の最期や、決して穏やかではなかった入院中の様子など涙ながらにお話ししていました。また、訪問看護で接するご利用者様とご家族との想い出づくりのお手伝いに、記念写真やアルバム、季節の飾りなど一緒に工作するのが好きな事をお話しすると、手形アートの作り方を教えて下さいました。 

 ELCで見つけた玉手箱はいっぱいです。自分自身の中で、旅立った両親への想いが整理できました。父に対する後悔の想いがあったからこそ、母の看取りに繋がっていること。心の支えとなるものは、亡くなった人との繋がりでも良いことを学びました。今回受講していなければ、まだまだ重たい気持ちを引きずったままだったと思います。

 

 仕事に関しては、新人から過ごした急性期病棟での6年間は、目まぐるしい毎日でした。患者様のお話に傾聴する心の余裕がなく過ぎていきました。クリニック勤務では、入院中ではない患者様に接することで、その方らしさや生活感が見えてきました。現職の訪問看護では、生活の場であるご自宅に伺わせて頂く毎日です。在宅で、ご利用者様やご家族のお話しに傾聴することは得意な分野だと思っていました。「そうなんですね。」「わかります。」と、今まで何と軽々しく答えていたのだろうかと、自分が恥ずかしくなりました。

 

 

学んだ事を実践してみて

 受講後、玉手箱の宝物を使っています。受講で得た対話を実践しています。終末期の方にかかわらず、手ごたえを感じています。物事を理屈っぽく捉えたり、社会や特に医療に関して不満が絶えない方に対して、60分の訪問中、ELCで学んだ対話で通してみました。不思議と会話が穏やかでした。以来、死生観を含めた深いお話もして下さいます。認知症の方に対しても、相手の言葉を繰り返す事だけでも、温かい気持ちが伝わる様で、とても穏やかな空間ができます。暴力行為がある方に対し、振り上げられた手を握手に変えることもできました。

 

 不安を抱えている方のお話も、じっくり聴くことができる様になりました。相手のお話が迷走して終わるのではなく、すっきりした表情に変わるのが見えてきました。「そうなんよ。」と言葉が聞かれる事が増えました。あくまでも自己評価に過ぎませんが、今までの何倍も相手の話を聴ける様になり、看護の幅が広がったと実感しています。見える形があるものとしては、想い出づくりの工作技術がアップしたことです。手形アートは、4作品制作しました。ご本人やご家族と想い出話を伺いながら一緒に、時には担当のケアマネジャーさんもお手伝い頂き、楽しい時間が流れました。

 

 今回の執筆をしていると、看護学生時代に実習で受け持たせて頂いた遠い過去から今まで出逢った患者様が次々浮かんできました。もっと想いを聴くことができていたら・・・

 

 親友のお父様は、楽しみにしていた大相撲九州場所まで、あと少しの11月初め穏やかに自宅で旅立たれました。受講前から関わり、受講後から徐々に病状が進行していきました。我慢強く、多くは語らないお父様でしたが、死生観について話して下さったり、沈黙の時間も教えて下さいました。そして何よりも、母を亡くして悲しみのどん底にいた私は、在宅のお手伝いができ、支えになれていることで救われていたのだと思います。今でも毎月、親友の実家を訪ねてお母様と仏前でおしゃべりする時間は、私にとって大切な時間です。めぐる季節の中で、お母様を傍らで見ていて思うことは、自宅で看取れたことで、疲労感を上回る充実感があり、死後も精神的なつながりが大きいのではないかということです。

 

 最後になりましたが、私の玉手箱には形のある物も入っています。30年以上前の看護学生時代に実習で受け持たせて頂いた当時、80歳の癌患者様から頂いた手紙。そして冒頭の母からの手紙です。

 

 小澤先生から頂いたお言葉で、「誰かの支えになろうとする人こそ一番支えを必要としています」支えられているのは私自身だったことに気づきました。

 

 これからも、たくさん支えられながら、誰かの支えになれたら・・・

 

 母がいつか迎えに来てくれるであろう未来には、玉手箱の中身をいっぱいにしてお土産に持って逝きたいと思います。

 

 小澤先生をはじめ講師の先生方、ファシリテーターの方々、受講時に出会った方々に感謝致します。想いを綴るこんな素敵な機会を頂きありがとうございました。

 

エンドオブライフ・ケア協会では、このような学び・気づきの機会となる研修やイベントを開催しております。活動を応援してくださる方は、よろしければこちらから会員登録をお願いします。

コラム一覧へ戻る

TOP