臨床心理士
東 ゆう子さま
今年の冬はどんなコートを買うか。ホットヨガを始めていい感じなこと。行きつけの美容師さんのカットが上手なこと。研究室の先輩後輩のよもやま話。頑張って書いた論文が賞をもらって嬉しかったこと。時間がない中で英語をどうやって勉強するか。恋愛について。にんにく入りのパスタは苦手で、ローストビーフやサラダが好きなこと。
あかりさん(仮名)とはたくさんの話をした。お互い社会人学生として大学院に通っていた頃、あかりさんの所属する研究室で私はバイトしていた。初対面の印象は、外見はとても可愛く中身は賢そうな人だった。最初あかりさんから一緒にお茶に行こうと誘ってくれて、それからよく二人で研究室周辺のカフェや居酒屋に行って息抜きをした。あかりさんは医療分野で働きながら身体の不思議さに魅了され、まだまだ分からないことがたくさんあるから知りたいと研究の道に進んできた人だった。その研究が面白すぎて毎日楽しいとあかりさんは語った。留学に出発するあかりさんに私は飛行機の中で喉が乾かないようにとハニーキャンディを送った。あかりさんは喜んで受け取ってくれた。
年月が過ぎ、私たちはそれぞれ結婚して母親になった。出産後は子育てと研究の両立に手一杯になりだいぶ会える頻度も減ったけれど、並んでベビーカーを押しながら産後の大変さについて笑いあえる自分たちは幸せだと思った。そんな関係がずっと続きおばあちゃんになっても友達だろうと思っていた。
コロナ禍もあり1年以上会えていなかったある日、あかりさんからLINEをもらった。そろそろお茶をしようというお誘いかなと思ったけれどそうではなく、がんが見つかって入院治療をしていたことや、今は退院して自宅療養をしているという内容だった。
「びっくりさせてごめんね」、よかったら自宅でお茶をしようとも書かれていた。私はすぐに返信をして、1週間後に5ヶ月の娘と一緒にあかりさんの家を訪れた。今はガンも治る時代だし、きっと完治して戻ってきてくれたんだろうと思っていた。
久しぶりに会ったあかりさんは元々大きな目がさらに大きくなったように見えた。いつもきれいなボブにしていた髪型もショートカットになっていた。私は小さい子を抱えながらの療養は本当に大変だね、お疲れさまと伝えた。あかりさんは本当に大変だったと言い、自宅で突然骨折したことを機にがんが見つかったこと、余命数ヶ月と伝えられたが最新の治療が成功して一時は仕事復帰もしたこと、程なくして再発が見つかり最期を覚悟したこと、家族との時間を大切にしようと自宅療養していることを話してくれた。そうしてあかりさんは私の子供を膝に抱いて可愛いと笑い「出産祝いね。産後の養生に。」とはちみつとバスタオルをくれた。
私は途中から話の展開についていけなくなり真っ白になった。あかりさんは治療のために子どもと一緒にいてあげられないこと、家族に迷惑をかけていることが本当に辛い、家族は「そんなこと気にしなくて大丈夫、全く迷惑とは思っていない、子どものもつ力を信じて」と言ってくれるのにどうして母親って罪悪感を持つんだろうと嘆いた。がん治療をしている病院でカウンセラーに話を聞いてもらったけれど全然楽にはならなかった。やっぱりこれはどうしようもないのかな、と。
私はそうだったんだ、本当に大変だったね、よく頑張ったね、本当に辛かったね、と伝えた。それでも私は「余命」という言葉を受けいれられなかった。そして彼女を励ますつもりで「きっとよくなって研究にも戻れるし、みんな待っている」と伝えた。
今思えばそれは自分を励ます言葉だった。
あかりさんは「研究はもういいの、引き継いでくれる人がいるから。それより家族との時間を大切にしたい」とはっきり言った。そして私にもう自分は使わないからとおんぶ紐をくれた。「ベビーカーもあげたいけど、もうあるよね」と言われて「うん、それはあるなあ。よかったら、引き取ってくれる所があるから紹介しようか」と私は答えた。
そうして私たちは別れた。1ヶ月後にあかりさんは亡くなった。亡くなって初めて、私はあかりさんが最期のお別れのために声をかけてくれたことを悟った。鈍い自分が情けなかった。あかりさんの気持ちが軽くなるならベビーカーをもらったらよかった。あかりさんはまた来てね、と言ってくれたんだから、コロナのことを気にしたり、疲れさせるのではないかと遠慮したりせずにせめてあともう一回会いに行けばよかった。あかりさんが見つめていた死を一緒に見ようとせず、必死で目を背けていた自分のことをあかりさんはどう思っていたんだろう。死という話題を自分がいかに聞けないのかを思い知らされた。
私の仕事は臨床心理士だ。臨床、それは「死の床に臨む人」の傍に立ち耳を傾けるという意味だと学び始めた最初に教わった。日々の臨床の場では、自死を含めて身近な人の死をどう受けいれるのかという話題も多い。それに耳を傾けることで私はお金をもらっている。けれど実際、自分の友人の死に耳を傾けることはできなかった。この事実が私を「エンドオブライフ・ケア」の講習会受講に向かわせた理由である。あかりさんが光に還った後の数年間、私は心の片隅でこの事実をどう扱えば良いのかわからなかった。「あかりさん、ごめんね。あの時もっと話を聞けていたら」もっともっとあかりさんと一緒にいれたのではないかという後悔が消えなかった。
小澤先生の著書をたまたま手に取り、私はこの先生のクラスを受講したいと思った。あかりさんからもらった「宿題」をなんとか消化していくために、それは必要なことだと思った。そうして受講したクラスでは「相手の言葉の反復」そして「沈黙」というカウンセリングの基本中の基本を教えていただいた。ああ、そうだった。それだけでよかったのだ。反復、沈黙、そして今この現実の中であなたがどうしたら少しでも穏やかにいられるのだろうかという「問いかけ」。
一般的に、身近な人が死を思っていること、死に近づいていることを認めることは難しいと言われている。身近な人のこころは分からないから、カウンセラーは家族や友人知人近所の人のカウンセリングはしないし、出来ない。私はカウンセラーになる前からあかりさんと共に時間を過ごしてきた。だからあかりさんにカウンセラーみたいに接することはできなかったのかもしれない。生身の自分は死について考え、話すことができなかった。ごめんね、あかりさん。私は心の中でそう思った。でもそれだけではなくて、あかりさんのおかげでエンドオブライフ・ケア協会の小澤先生に出会うことができた。ありがとうあかりさん。
反復と沈黙。その行為をすることで自分と相手の間に第三の間を作ることができる。その第三の間は、様々な思いが活発に動く生の交流の場だ。だから、その場を死に対する恐怖や不安で埋めてしまわないことが大切だと思う。反復と沈黙、そして問いかけによって心の扉を開け続けることで、私たちは本当にお互いが悲しんでいること、そして切ないほどの愛情を感じていることを体験的に伝え合うことができるのではないだろうか。
それは、たとえどちらかが光に還った後でも、残った者にとってかけがえのない時間になるだろう。目の前の相手と交流していたと確信できる時間は寂しさを抱えながら生きる力になると私は思う。それこそが、エンドオブライフの瞬間に反復と沈黙、そして問いかけが必要な理由ではないだろうか。
#ユニバーサルホスピスマインド
#エンドオブライフ・ケア
エンドオブライフ・ケア協会では、このような学び・気づきの機会となる研修やイベントを開催しております。活動を応援してくださる方は、よろしければこちらから会員登録をお願いします。
© End-of-Life Care Association of Japan