コラム130:『ママは笑っていたらいいんだよ!』

  • 支える人の支え
  • 子ども
  • 赦す
  • 認める

広島県 リハビリ職

N.K.さま

(ELC第46回生、認定ELCファシリテーター、折れない心を育てるいのちの授業認定講師)

 「露」という、たった一文字の禅語があります。
どんな意味かというと、「隠すことなく、あらわれる」だそうです。これは、枡野俊明さんのご著書にあった言葉です。ひとと比較せず、ひとの目を気にせず、あくまで自分らしく、自然に生きていく。それが“ありのまま”です。と、書かれています。

 

 遡る事、2020年。皆さんの記憶には新型コロナウイルスの流行があると思いますが、私にとっての2020年からは大きな苦しみの始まりでした。祖母・父・母を相次いで天国へ送り、実家終いをし、同時期に子どもたちが学校へ行かないという現象がありました。時間が経つ程に増してくるマイナスの感情に負けてはいけないと必死でした。1か月経ち、1年経ち私は焦りました。あらゆる情報が飛び交い、周囲の人も情報に操作されるように様々な声をあげる。何が正解なのか分からない中、どうしたら子どもたちが学校へ行くことが出来るのかを毎日考えました。

 

 冒頭で「露」という禅語をご紹介しましたが、隠す事無く現れるという意味でした。枡野俊明さんのご著書を読み、私は、この数年に起きた出来事は自分自身に何を問うのか?今、現象として現れているのではないか?と捉えました。子どもたちではなく、私が傷ついてきたこと、私が子どもの頃辛かった思いを今も我慢したり忘れようとしている事、本当は親にかけてもらいたかった言葉があったことを思い出させてくれました。

 

 いのちの授業にある「星の話」。解決できない苦しみがあっても、大切な何かに気付くことができるという内容ですが、私はこの星の話しが大好きです。だからこそ、私は思いました。子どもたちに起こっている現象は、すぐには解決できないだろう。でも、この苦しみは私に大切な事を気付かせてくれる。私が避けてきた事に向き合わないといけないかもしれない。今なら、いのちの授業を共有している仲間の存在があるなら、向き合っていけるかもしれない。

 

 子どもたちが学校へ復帰していく為に必要だった期間は、2年半。私は、自分が弱い人間だったと感じるようになりました。これまで、融通の利かない頑固な私が、自分は弱いと気づいた途端、とても楽になりました。人に弱音を言える、逃げることが出来る、ひとりで抱えない、何より自分を一番に考えても良い。子どもたちも、そんな等身大の私を「ママは笑ってたらいいんだよ」と認めてくれている(のだと思います)。私は思います。何かを始めようとするとき、何か苦しみがあるとき、その人自身が支えられている事が大切です。そして、苦しんでいる人の話を聴く人もまた、誰か(何か)に支えられていること。私は、いのちの授業をはじめ、様々な本、出会った人からの言葉に助けて頂いてきました。ひとつ気づきが増えるごとに、子どもたちも元気になり学校や学び、好きな事への意欲が回復していく経過も感じてきました。今年2月からはそんな等身大の私で、子どもさんを支えているお母さんのための場づくり「コトノバ=こころ・整う・場」を始める予定です。

 

 最近は、年齢を重ねた事もあり以前にもまして心が穏やかであることの有難さを感じるようになりました。子どもたちが学校での出来事を話してくれたり、職場の雰囲気が良かったり、季節の花を食卓に飾って自己満足したり、推し活ができたり。1日の中で、心に大きな波がなく過ごせる事が本当に有難いと思います。子どもたちが言うように、“笑っているお母さん”でこれからも居たいなと思います。

 

 細やかですが、私の経験がどなたかのお役に立てると嬉しいです。

 長文となってしまいました。ありがとうございました。

#折れない心を育てるいのちの授業

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