一般社団法人hito.toco 就労支援員
髙橋ゆうこさま
(ELC第196回生)
「春になったら、帰れるからね」
結婚前、満開の桜の下で撮った写真を婚姻届の控えに貼った私たちにとって、春は特別な季節でした。私は人工呼吸器で眠る夫に、病室で何度も何度も語りかけました。
夫の闘病中、私は『死を前にした人に あなたは何ができますか?』を何度も何度も読み返しました。ページが柔らかくなるほど読んでも心は追いつかず、弱っていく夫の手を握りながら「私にできることは何だろう」と繰り返す日々でした。
その年の1月、春を待たずに夫は旅立ちました。結婚生活=闘病生活、あっという間の5年でした。
「春になったら」それはきっと、自分に言い聞かせていたのだと思います。
春になっても、彼は帰ってきませんでした。あの日からずっと、私は嘘つきだと、自分を責め続けてきました。大好きだった春が、いちばん悲しく、辛い季節になりました。

それからの2年間は、まるで土の中にもぐっているような毎日でした。
勢いで取った社会福祉士の資格も、「どうしてこの制度を知らなかったのか」と、学ぶほどに胸が痛みました。それでももう一度、「夫のいのちのバトンをどうにかして届けたい」――その一心で、いのちの授業と、エンドオブライフ・ケアの養成講座に申し込みました。
大阪の会場で迎えた講座の日は、結婚記念日の次の日。
不安でいっぱいの私に、小澤先生はあたたかく声をかけてくださいました。
受講生もファシリテーターの方も本当に優しい視点の方ばかりで、講座の間、私は何度も涙をこらえたことを覚えています。
休憩のとき、勇気を出して小澤先生に話しかけました。
「ディグニティセラピーに興味があるんです。でも…終末期の方に出会う機会なんて、私にはなくて」
先生は少し笑って優しく言いました。
『高橋さん、何言ってるの。生きている誰にでもできる支援ですよ。
ひきこもりの方でも、障害がある方でも。たとえ、もう目の前に大切な人がいなくても、できるんです。』
そして静かに続けました。
『その人が過去に大切にしていたものは、未来でも大切だからね。』
その言葉で、心の奥の何かがふっとほどけました。
私たち夫婦は、毎年結婚記念日に「1年後のお互いに向けて」手紙を書く約束をしていました。最後の夫からの手紙は、寝たきりになる1年前に書いたものでした。

その文字を思い出したとき、先生の言葉が重なりました。
ああ、夫の「支え」、そして大切にしたかったのは、“わたしそのもの”だったのだと。
講座の帰り道、小澤先生がぽつりと尋ねました。
『旦那さん、今、高橋さんに何て伝えたいと思いますか?』
「大好きって、言うと思います」。
間髪入れず自然に口から出たその言葉に、心の深いところから涙があふれました。
私には、いくつか夢があります。
ひとつめは、障害や病気があっても、夢をあきらめないでいい社会をつくりたい。私は現在、就労支援の現場で、障害や病を抱える方と日々向き合っています。ユニバーサル・ホスピスマインドを軸に、利用者さんたちのやりたいことを実現するお手伝いをしていきたいのです。そして、ライフキャリアとしてディグニティセラピーとグリーフケアを通して、いのちのバトンを未来へ届けていきたい。
ふたつめは、夫が亡くなった40歳という年までに、自分のやりたいことをやり切ること。行きたい場所、逢いたい人、食べたいもの、してみたいこと、たくさんあります。「自分の命がもし40歳までだったら」それを常に頭に置いて、後悔のない毎日を過ごしたい。
その先はどうするの?と小澤先生に聞かれましたが、今の私には答えがありません(笑)でも、
『40歳まであと3年? たぶんね、あっという間だよ。そしてね、その先にね、また絶対新しい景色が見えるから。』
小澤先生が別れ際にかけてくれた言葉が、今も私のわくわくの種です。

・・・最後の夢は、桜の木の下で夫にまた逢うこと。
逢えないことを認めるようで、ずっとずっと言えなかった。
ようやく今、素直に言えるようになりました。
「桜の下で、また逢おうね」

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