コラム64:苦しみの中から支えに気づく文化 皆が穏やかに暮らせる世の中を作るために(2)
沖縄県立中部病院 呼吸器内科/地域ケア科 長野宏昭さま
(第1回ELCin沖縄受講生、認定エンドオブライフ・ケア援助士、認定ELCファシリテーター)
※前半はこちらからお読みください(https://endoflifecare.or.jp/column/20200127-1)
・若手医師の育成
私の働いている沖縄県立中部病院は初期臨床研修のメッカとして昔から有名な病院で、全国から将来有望な若手医師達が集まってきます。私は研修医の教育担当者の1人として、研修医の進路の相談に乗ったり、発表のお手伝いをしています。救急を中心とした急性期病院は、患者の搬送を断らない「最後の砦」となり、地域住民の命を守ってきました。反面、病院は地域と隔絶されてしまい、研修医は患者の生活背景や人生について深く知ることは難しい環境でした。
6年前、当院は地域ケア科を創設し、がんの終末期で予後が1ヶ月程度の患者さんを中心に、訪問診療、在宅でのお看取りを始めました。私は、時間が許す限り、研修医、医学生を一緒に訪問診療へ連れて行くようにしています。訪問診療に同行した後には、どのような気づきがあったかについて参加者とdiscussionする時間も設けています。
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0218780
地域で暮らす患者さんは、病院にいる時とは対照的に、あたかも自分の人生を取り戻したかのように、表情が豊かで、生気に溢れておられます。地域住民の生活を支えてゆくという、在宅医のお仕事を研修医に見せることで、医療の原点を見つめ直す機会になればと考えています。
ELCの活動の中で、私は心から共感できる言葉に出会いました。
「誰かの支えになろうとする人こそ一番、支えを必要としています」
今までに、自分よりはるかに優秀であるにも関わらず、心が折れてしまった研修医、看護師、介護職の方を数多く見てきました。本当に残念なことです。この世で一番辛いことは「自分なんか誰にも必要とされていない」と思うことではないでしょうか。
私は、 心が折れそうな研修医、学生、育児に悩む主婦、仕事に疲れたサラリーマン達にもこの言葉を届けたいのです。
私は、若手医師、医学生、医療者の折れない心を育て、長く活躍してもらう上でも、「苦しみの中から支えに気づき、自分を認め大切にする」精神が役立てられるのではないかと考えております。
・教育の効果を明らかにし、伝えていくことの意義
私は、ELC協会の一連の活動が、これから迎える超高齢、多死時代において、必ず人の役に立つ、社会を変えるポテンシャルを持っているものであると確信しています。だからこそ、活動の成果を目に見える形で残してゆかねばならないと思っています。そのために、学習会後のアンケート内容をアレンジし、学習会後の追跡調査も開始しております。今後、在宅系の学会に発表したり、論文として出版することを目標に取り組んでゆきたいと考えております。
そしてこの活動が、誰か一人に依存するものではなく、私たちが役目を終えた後でも「折れない心を育てる」精神が脈々と地域に生き続けて欲しいと願っております。
・最後に
私は趣味であるヴァイオリンを活かして、定期的にボランティアの病院コンサートを行っています。病気で苦しんでいる人と関わる時には、相手の心の声、苦しみに耳を傾け、相手の世界観を味わう必要がありますが、音楽のアンサンブルでも全く同じことが言えると思います。「聴く」ことができる演奏者は周りの人とうまく調和し、充実したアンサンブルを行うことができるのです。
私が音楽を始めたのは5歳の頃、母親が幼い私の手を引いて近くの音楽院へ連れて行ってくれたことがきっかけでした。私は子供の頃、 母親に「ねえ、母さん、僕はどうして、ひろあきという名前になったの?」と聞いたことがありました。
母親はしばらく「間」を置いてから、このように答えました。
「広い広い原っぱ、 暗くてどこまでも続く草原を明るく照らす光、 貴方にはそんな光のような存在になってほしくてつけた名前なのよ」
ELCの技法で「問いかけ」というものがあります。これは相手との信頼関係が構築されていることが前提で使えるものですが、苦しい状況の中にある人に、苦しみの中で気づいた支えを明確化し、意識化するためのものです。これは「苦しみと絶望という暗闇の中に一筋の光を灯す」ようなイメージだそうです。
私はこの場面になるといつも、母親が私に名前をつけてくれた話を思い出しています。
母親の願いは、私が広い荒谷を照らす光になること…
私には夢があります
・沖縄で一番、「話しかけやすい」ドクターになること。
・ELCの活動成果を目に見える形で発信してゆくこと。
・たとえどこで暮らしていても、どんな病気になっても「穏やか」でいられるような沖縄を創ること。
です。
人生は空の天気のように、晴天もあれば曇りも日もあれば、大きな嵐がやってくることもあるでしょう。私も苦しみを抱えながら生きている1人の人間です。
その昔、山陰地方の雄であった尼子十勇士の一人、山中鹿之助は、空に光る三日月に向かってこう祈りました。
「願わくば、我に七難八苦を与え給え!」
できることなら、苦しみは少ない方がいいのですが…苦しみの中でこそ人は成長できるかもしれません。
全国にいるELCの仲間達、大切な伴走者のみなさんと共に、これからも夢を追いかけて行きたいと思います。
エンドオブライフ・ケア協会では、このような学び・気づきの機会となる研修やイベントを開催しております。活動を応援してくださる方は、よろしければこちらから会員登録をお願いします。
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