東住吉森本病院 緩和ケア科 医師
髙田さゆりさま
(ELC第120回生)
私が、小澤先生と出会ったのは、約20年前です。当時、私は大学浪人生でした。農学部志望でしたが、受験に失敗、苦しい浪人生活の中で、「世の中で最も苦しんでいる人の役に立ちたい」との想いが湧きました。そして、テレビで、聖路加国際病院の日野原重明先生の特集を目にし、もう治療できないと言われた癌患者さんは最も苦しんでいる、そういう人に向き合う緩和医療という分野があるのだと知りました。私は、インターネットで検索して、ホスピスや緩和ケアの医師・病院に連絡をしました。浪人生ですが、ホスピス緩和ケアに従事するにはどうしたらいいでしょうか、と。お返事があったのは、小澤先生だけでした。「ぜひ医者になって、僕の仲間になってください!」との熱い返信を見て、私は医学科志望に変更しました。その次の春には医学科に合格、日本死の臨床研究会年次大会で小澤先生に直接ご挨拶することができました。
卒後、緩和ケア医になるには、まずは治療科で研鑽をと、肝胆膵内科医となり、13年が経ちました。消化器内科医として、癌や超高齢の患者さんの最期に立ち会うことが多く、いつも、患者さん・ご家族に向き合うことを大切にしてきました。それでも、合併症が起きた患者さんから、先生は僕に寄り添ってくれていない!と叱責を受け、信頼関係が結べない苦しみを味わいました。そこで、ELC協会のエンドオブライフ・ケア援助者養成基礎講座を受けました。ロールプレイを通して、自然に涙があふれました。「苦しんでいる人は、わかってくれる人がいると、嬉しい」の言葉がすっと胸に入ってきました。私が前述の患者さんを分かった気でいたことが、ボタンの掛け違いのはじまりだったのです。大いに反省しました。
この春から、緩和ケア科に転向することが叶いました。これからやるぞ!との気持ちで、2024年3月、看取り期のコミュニケーションについての講座に申し込みました。もう言葉を発せなくなった患者さんとも、ご家族を通してコミュニケーションをとれるということを学びました。またまた、ロールプレイでは、自分の亡くなった祖母を思い出して、祖母が私にメッセージを残してくれたと感じ、涙が流れ、お相手の方も泣いておられました。ELCの講座には、心の琴線に触れるような感覚がありますね。
これから、多くの終末期・死戦期の患者さん、ご家族と向き合います。学んだコミュニケーション術を実践し、「これでよかった」と自分らしい最期を迎えていただくお手伝いをしたいと思っています。
エンドオブライフ・ケア協会では、このような学び・気づきの機会となる研修やイベントを開催しております。活動を応援してくださる方は、よろしければこちらから会員登録をお願いします。
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